随分とたいそうなタイトルだが・・・・
「神々の指紋」で有名な「グラハム・ハンコック」に、エハン・デラヴィ氏がインタビューする形式で書かれている。
どちらが知名度が高いか?
そりゃ、世界的に600万部売ったハンコック氏の方なので、著者の欄の文字の大きさも違う。
また、前半は彼の業績について、エハン・デラヴィ氏が聞き役となっているのだが、後半は「意識」の話になり、エハン・デラヴィ氏も負けずにずいぶんと頑張っている。
当然この本はエハン・デラヴィ氏の著書を検索して買ったものであり、エハン塾でも少し取り上げられていた。
まず、この本を読む前に、元となる「神々の指紋」を少し読んだ・・・
この本は1999年に書かれた物らしく、当時日本でもテレビで取り上げられてから、爆発的に売れたらしい・・・
ただ、内容的に今までの考古学を否定するものだったので、当時の専門家や一部のマニアからはかなり批判された様子。
「『神々の指紋』の超真相」なる本も出る始末・・・・
で、昨日も少し触れたのだが、われわれ現代人は、科学が発達した現代が、人類にとって一番栄えた状態であり、過去は当然現代より劣った文明であり、我々は常に「進化」し続けていると、専門家やマスコミや教育から教え込まれているから、それを信じ切っている。
しかし、だとすると・・・・・
インカのあの「複雑極まりない石積み」をどう説明する?
エジプトのピラミッドは現在も存在するが、エハン・デラヴィ氏によると20年前に日本の優秀な技術者が、「1/5」のスケールでピラミッドを作ったがすでに現存しないと言う。
いかに現代の技術を持っても、過去の文明に太刀打ちできないか・・・・
その事を私はハンコック氏はこの本で、「提示」しているのだと思う。
別に彼は「これが真実だ!!」と意気込んでいるわけではないと思うのだが、一方それを批判する側は彼の話を否定することに躍起になっている。
彼の説に根拠がないと言う割には、自分の反論にも明快な根拠を示せない・・・
まず、その話を元にこの本は書かれている。
前半はハンコクックの調査した遺跡の話になるのだが、よく日本でも「日ュ同祖論」と言うのが話題になる。
やれ、失われた10氏族が日本に流れ着いたとか、アークが日本にあるとか・・・・
特にアークについて、いろいろと説があったりするのだが、私はクリスチャンでもないので、まったく興味もない。
その話がまず出てくる。
ハンコック氏によると、どうもそれはエチオピアに在ると言う・・・
ただ、多くの専門家はそれを認めないと言う。
それを彼はどんな経緯を経てエチオピアにたどり着いたかを、いろいろと歴史をひも解いているのだが、ただもう一つ判らないのは「アークとはなんぞや??」という事になると、はっきりとした説は無いらしい・・・
その中に面白い話に聖書には、それを奪ったものが自分の都市に持ち帰り、何万人もの人が行列をつくる中で、それを開けると・・・
全員が死んだとか。
あるいは、そのアークの中味は「金」が三次元の物質から高次元の「パウダー」に変化したものであるとか、現代人の常識では計り知れないものだと言う。
それからエジプトの話になるのだが、エジプト文明は約5千年の歴史がある。
しかし、少なくてもスフィンクスはそれ以前、多分それ以前の紀元前1万500年にはすでに存在していたはずと言う。
それは現在エジプトは砂漠で雨が降らないが、それ以前に緑に囲まれ、雨が豊富に降った時期があると、地質学者は言う。
スフィンクスには、その雨による浸食の跡がある。
そして、スフィンクスはしし座を意味し、その方向を向いているが歳差運動により、現在は少しずれている。
それがぴったりと合うのが紀元前1万500年だと言う。
なるほどとうなづける話なのだが、しかしエジプトの考古学者はそれを認めようとしない。
何故なら、もしエジプト文明以前から存在するとなると、エジプトには「所有権」がなく、「全人類の遺産」だという事になるらしい・・・・
そうなると、彼ら学者はエジプトから金をもらっているので、利益に反するから、何が何でも認めようとしないと言う。
こんな世界にも「利権」がらみの嘘があるわけだ・・・・
また当時のエジプト人は、明確な「死」に対する考えをもっていたらしい。
だからミイラを作ったのだが、彼らの考えの中に、現在宗教の世界でもいわれている、「現世は魂の修行の場である」と言う意識をはっきりと持っていたという。
そして死んだ後に、現世の行いに対して、何らかの「評価」が下される。
またエジプトにも「死者の書」と言うものがあり、チベットの「死者の書」とずいぶんと類似性があると言う。
それを聞き、私はチベットの「死者の書」を注文した。
つまり、二つの違った文明であるにもかかわらず、何らかの『異次元』を体験し、その体験を綴ったものであり、そこにはいくつもの共通点があるらしい・・・
(資)文化財復元センター おおくま
後半はエハン・デラヴィ氏の得意な「意識」の話になるのだが・・・
後半は私もいくつも付箋を貼る個所が出てきた。
ある意識の研究家は「いわゆるUFOを私たちが最終的に理解するようになったときに、私たちは死と言うものをやっと理解できるようになっているだろう。 なぜならUFOも死と同じ場所からやってきているから」
意味を理解できる人が果たしてどれだけいるだろうか?
つまり後半の二人の話は、実は人類は20万年前から肉体としてはほとんど進化していないのだが、しかし「行動」は現在の我々とまるで違うと言う。
その時期は「石器時代」になるが、道具を使うのは人類の特徴だと専門家はいうが、実は猿だって道具を使うし、鳥の中にも使うものが居たりする。
だから石器を使ったところで、それが「人類の進化の過程」だとは言えないと言う。
大事なことは、いつから「意識」を持つようになったか?
それが3万5千年前だと言う。
つまりその時期から、人が死ぬと副葬品を一緒に埋めたり、また世界の洞窟壁画のほとんどはこの時期から始まったと言う。
芸術は人類にしか生み出せないものだと言う。
では、なぜその時期から人類は変わったのか?
それはその時期に、偶然「幻覚」を体験したことから始まると言う。
それはある種の植物を口にしたときに、『異次元』を体験することになった。
そしてその異次元には「知的生命体」が居て、彼ら人類の祖先たちは、その生命体からいろんなことを教えられた・・・
それによって、人類は目覚めるのだが、それが約3万5千年前に、違った地域で同時に起き始めた。
そして、先ほどのエジプトとチベットの「死者の書」に同一性があるのは、結局その異次元は、どんな文明を持った人類であろうと、同じ異次元に繋がったからだと言う。
それが「霊的な世界」なのだと言う。
しかし、現在科学者はおろか、宗教関係者ですら、霊の存在を否定する。
ただし、この本は2006年に出されたものである。
当時と現代では先日も書いたように、状況は確実に変わりつつある。
しかし、ハンコック氏もエハン・デラヴィ氏も、実はアマゾンで「幻覚植物」を現地のシャーマンの元で口にし、その異次元を体験したと記されている。
それについては先日紹介した https://www.youtube.com/watch?v=T4EadHD9_d0 の動画で、彼の体験が語られている。
ここで二人ははっきり言うのだが、科学者は自分で体験もしないことを、頭の中で考えて「否定」する・・・
しかしそこには根拠がないと・・・・
また、彼らも現在の宗教を厳しく非難しているのだが
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宗教が始まるその中心では、いつも同じことが起きています。
人々の心をつかむ教祖は、並外れた経験をして、それらの経験について説明した人間です。
しかし、第一世代、第二世代、第三世代と移り変わるうちに、官僚的になり、金もうけの集団になっていきます。
世代が下がるにつれて、彼らはこんなことを言い始めます。『あなた方には創設者の様な経験はできません。
異次元世界とは何か、あなたに教えられるのは私だけです』。
こうやって、彼らは私たちと霊の世界の間に立ちはだかって、人間を巣箱の中に押し付けます。
解放の道具として始まった宗教が、やがて制圧の道具となります。
可能性に向けて開放するのではなく、抑圧しょうとします。
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だからこそ、私は先人の思いこそ、文化財の価値であり、残すべきものだと言い続けている。
後半は面白い話が随分あるのだが、彼らは「シャーマニズム」こそ、宗教の原型であり、我々がもう一度戻るべきものだと言う。
そこで、以前に紹介した「神道よ! 今こそ《古来の本物の道》に戻るのだ!」と言う本に繋がるわけだ。
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人類の祖先たち、現代のシャーマンたちが変性意識状態で何かを見ていた。
これは重要な指摘です。 そしてこれはある意味、伝統的なものすべての背後にある大きい秘密です。
神秘主義集団や古代エジプトのホルス神を信仰していたものであろうとなかろうと、何らかに関係しているものです。
つまり自分たちの芸術を通して表現し、暗示したものがある。
正常な意識下で私たちがそうした暗示を味わうのは難しいことです。
意識というものが何なのか本当に理解している人たちは、より高い意識レベルからすれば、「私たちの想像を完全に絶している世界がある」という事を指摘していた。
それは「頭脳を超えているもの」です。
確かに頭脳は語りますが、脳から出る雑音にすぎません。
あなたが言ったように、科学は意識を明確に定義していません。
どんな神経心理学的な研究にも「これは意識です」と言う公式的見解はありません。
まったく説明できないのです。
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と、書かれているのだが、これは2006年での話ですが、2014年に脳科学者が自分自身が、脳死を体験したにもかかわらず、意識があり、天国と思える場所を体験した。
彼は「意識は脳で創られるものではない」と「プルーフ・オブ・ヘブン」
に、はっきり書いている。
また、著者たちは最後に 唯物論的現代の文化に対する考え方では、古代の叡智は理解できない。
そしてUFOは実は宇宙から飛来したものではなく、「異次元」から来たものであり、異次元にはにおいもあれば手触りもあり、異次元の生命体とセックスすら可能だと言う。
果たして何人の人が、その話を理解できるであろうか・・・・・
(資)文化財復元センター おおくま
先日、この本の紹介を試みたのだが・・・
エハン・デラヴィ氏の10代~20代の求道の凄さに、思わず立ち止まってしまった。
そして、再読を試みている最中である。
まずこの本の中心になっているのが、「スーフィー」と呼ばれるイスラム教の「神秘主義集団」の偉大な教師であり詩人である「ルーミー」なのだが、エハン・デラヴィ氏はエハン塾の動画「究極のスピリチュアル詩人ルーミーの紹介」で、世界で一番売れている詩人だと言う。
その彼の詩を紹介しながら、エハン・デラヴィ氏は「アブドゥール・シャ・フランディ・ハシム」と言う、イスラムの求道の別人格として、その若き日の体験を綴っている。
さらにもう一人、ルーミーより少し年上の「アッタール」と言う詩人の、「鳥の会議」と言う有名な詩を間に挟みながら、話を進めている。
彼は動画でも話していたが、ルーミーは若いころから、イスラム教の教師と言う立場にあり、多くの弟子を抱えていた。
しかし、彼はその時点では悟ったとは言えない状態だったと言う。
ある日、彼の前に「シャムス」と言う、見るからにみすぼらしい貧者が現れた。
シャムスは、ルーミーの周りに積み上げられた本を、池に投げ入れた・・・
ルーミーは怒ったのだが、シャムスは今度は池の中に入り、投げ入れた本を水から引き揚げ、ルーミーの前に差し出した。
するとその本は濡れてはいなかったと言う。
その時、ルーミーはこの人こそ自分の偉大なる師だと直感したと言う。
それからしばらく、ルーミーはシャムスの元で学ぶのだが・・・・
いずれ、師は消えた・・・・
どうも嫉妬したルーミーの弟子たちが、シャムスを葬ったようである。
それからルーミーは嘆き悲しみ、そして詩を書き始めた・・・・・
そして、話はさかのぼり、若きルーミーは父親に連れられ旅の途中に、当時すでに名の知られていた「アッタール」と出会う。
アッタールは若きルーミーが、いずれ彼の父親を超える偉大な指導者となることを予言した。
そのアッタールの「鳥の会議」と言う有名な詩があるらしく、内容はフーポーと言う鳥が全世界の鳥たちを集めて、鳥たちの王のもとにみんなで行こうと誘う。
しかし、一部の鳥たちは「口実」を作って、参加を嫌がり、残った鳥たちを連れて、長く厳しい旅に立ったと言う。
そして、たどり着いた鳥たちは随分と少なくなったが、その王様の宮殿に通され、王と面会することとなる。
しかし、幕が開くと、そこには王の姿がない・・・・
フーポーはたどり着いた30羽ほどの鳥に、本当の王は貴方たちの内に居るんですよと告げた・・・
つまり「神は自分の中に在る」という事を、鳥に例えて教えた詩である。
ルーミーにしろ、アッタールにしろ、イスラム神秘主義の教師であり、それを詩を通して教えた。
一方、若きエハン・デラヴィ氏は19歳の歳の初めての日、アフガニスタンの安ホテルのベッドで赤痢で苦しんでいた。
見かねたホテルの主人は、薬だと言って脂っこい黒い塊を彼にくれた。
彼はそれを飲んだのだが、逆に嘔吐と下痢がひどくなったらしい・・・
実はその薬とは「生のアヘン」だったと言う。
精製すれば麻薬だが、生のものは現地では薬として使われていたと言う。
彼は激しい副作用に襲われるが、その間に幻覚を見たらしい・・・
そして、翌朝目覚めると、赤痢は治っていたと言う。
エハン・デラヴィ氏は若いころから「執着」を無くすために、所持品もお金も極力持たずに旅を続けた様子。
1970年代の初頭、本気でスピュリチュアルな革命を起こそうとする若者たちが、世界中に居た。
彼らはヒッピーと呼ばれ、精神世界へ旅立っていった。
彼もその一人だが、多くはインドを目指したが、やがてベトナム戦争も終わり、目的を失った彼らは元の生活に戻った。
その一部はヤッピーと呼ばれ、ビジネス世界で成功を収めたものも多い。
そんな中、若きエハン・デラヴィ氏はまだ旅を続けていた。
この本には一つのエピソードが記されている。
アメリカの大統領と言うと、どうしても「正義を守る保安官」を自称するものが多く、9.11を自作自演させたと噂のジョージ・W・ブッシュ大統領のような、悪党が多いのだが、ジミーカーターは1980年代、アラブとイスラエルの和平会談に力を注いだと言う。
その会談は失敗に終わろうとしたとき、その夜カーターはベギン首相に小さなギフトを渡したと言う。
その中身はベギン首相の孫のために、自分の写真にサインを入れたものだったと言う。
会談は失敗に終わりかけたとき、カーターの真心のこもったプレゼントに、ベギン首相は翌朝、平和協定書にサインをしたと言う
ベギン首相は筋金入りのテロリスト出身であったが、信仰心は厚い人だったと言う。
カーターは現役を退いた後も、貧しい人々のために自ら大工となり、家を建てると言う地味な活動を続けたり、イスラエルのパレスチナに対する行いを非難したり、エハン・デラヴィ氏は彼は本物のスピリチュアルな人間だと言う。
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うちには時々、テレビ関係者から問い合わせが入る。
バラエティや特集の話も多いが、時々「ドラマ」のストーリー展開で、うちに問い合わせがある。
今日もあるプロダクションの関係者が、「偽札鑑定士」とかいう、ありそうであるわけの無い仕事の主人公のお話だと言う。
で、それをどういう場面で表現するか?と言う問い合わせだったのだが、ずいぶん昔にも、松居一代と言うのかな?
あの人の旦那が良く2時間ドラマをやっているのだが、その一つに主人公が「消防局」関係者と言うのか、あるいは保険の調査員だったのかは忘れたが、ある車の火災の調査時に、燃え残りの新聞紙の記事から、情報を得ると言う設定らしく、果たして赤外線で読み取れるか?と言う問い合わせがあったことを思い出す・
現実的には無理なのだが、そこはドラマの世界・・・・・
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最近、朝日新聞がやたらとつるし上げられている。
それ自体は、彼等がやったことを考えれば当然だと思う。
間違いに気が付けば、プライドを捨てて謝るべきだ。
ただ・・・・
ここでもう一度、日本国民に考えてもらい事は、エハン・デラヴィ氏が言う「プラス・マイナス・ニュートラル」の精神だと思う。
つまり、朝日新聞は確かに記事をねつ造し、日本国民に被害を及ぼした。
その影響は大きいし、それがマスコミの流した情報だから「プラス」に当たるとする。
また一部のマスコミや関係者からは、それに対する反論が出た、それが「マイナス」に当たる。
結果として、マイナス側が正しいことが証明され、朝日新聞はつるし上げられた・・・・・
そこまでは事実だと思うが、しかしモノの本質はそんなに簡単じゃないのではと私は思う。
つまり、国民の意識を朝日新聞に向けている「輩」が必ず居るという事を、ちゃんと認識しておくべきだと思う。
いわゆる「人身御供」として利用している輩が居ることを、知っておくべきだと思う。
つまり、エハン・デラヴィ氏が言う「ニュートラル」とは、一つの立場の意見を「鵜呑み」にすることではないという事。
ニュートラルとは、自分の「立つ位置」を一歩も二歩も下がって、もっと「全体」を見る目が必要だという事。
国民の意識を朝日新聞に向けている間に、「得をする輩」が居ることをちゃんと知っておいてほしいと思う。
我々は気が付かない間に「操られている」という事を、いつも考えておくべきでは??
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