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「リモート・ビューイング」 さがわあつし著

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「リモート・ビューイング」と言う言葉をご存じだろうか?
 
実は私もエハン塾で知ったのだが、日本語訳では「遠隔透視」と言うらしい・・・
この言葉なら何となく聞き覚えがある。
 
ただエハン・デラヴィ氏は、それを「超能力ではない」「誰にでも備わっている能力」だという事から始まったのだが、説明によるとこれはアメリカのCIAや国防省が、ソビエトが超能力者を使って情報収集をしているという話から、それに対抗するために研究費をだし、最初は軍の中でも超能力者の素質のあるものを選び、訓練させ、実際に情報を得ていたらしい・・・
 
いずれその研究者は、「一般人」でもその能力があると判り、一般的な軍やCIAの関係者に訓練を行い、成果を得たという。
 
つまり、これは「訓練」することで身に付く「技術」だと言う。
 
そのエハン・デラヴィ氏も十数年前に、アメリカでトレーニングを受けたらしく、当時3000ドルを払ったらしい。
 
結構いい値段であるが、エハン・デラヴィ氏の好奇心は半端ではなく、彼の講義の幅は広く、巡礼や古代文明や昨日の太陽の話、はたまたスーフィーの詩人の話や日本文化の話など、とどまることがなく、彼自身人類学者だと自分で言う。
 
で、エハン塾でも数回に分けて、リモートビューイングのトレーニングを段階に分けてやっていたのだが、彼もまた自分でメンバーを募り、何度もそのセミナーを開いているという。
 
で、彼は「直観」を鍛えるのに役立つと言うのだが、彼の書くリモートビューイングの本はなかったが、この著者の本があり、とりあえずはそれを買った。
 
で、昨日夕方から読みだしたのだが、この著者は自分ではいろんなセミナーを受けたがものにならず、人がやっていないものとして「リモートビューイング」をアメリカに行って習ってきたと言う。
 
その自分が受けたセミナーの様子を例にしながら、この技術を説明している。
 
たぶんエハン・デラヴィ氏と同じようなセミナーを受けたと見えて、トレーニング法もまったく同じなのだが、この本の著者は、自分は普通の人間だけど、このトレーニングを受けた時から、結構いい透視結果だと言うのだが・・・・
 
一通り読み終えて感じるのは、彼自身現在結構いい値段のセミナーを開いているようで、結局はそこへの呼び水的な意味合いが強いと感じた。
 
一方エハン・デラヴィ氏はエハン塾で、何度も「透視は当てようと思わない事」と強調しているのだが、考えると当たらないわけで、あくまでも「感」なんだと言う。
 
実際に数度の講義の中で、参加者は最初はターゲットに近いが、2度目になると当てようと欲を出してくると、逆に外れることを証明する形となった。
 
ところがこの本の著者にはそういうところは書かれておらず、あくまでも「誰でもできる」「直観力が付く」「ロトなどのギャンブルにも応用できる」と言うような、「欲」を誘う形で、自分のセミナーに誘導しょうとする姿勢が、私にはありありと見えてしまう。
 
で、彼は一切「意識」や「霊」や「魂」と言うような精神世界には触れておらず、「唯物論」的な立場だけをこの本には記しており、その方が「一般受け」すると考えているようである。
 
 
 
一方のエハン・デラヴィ氏は、むしろ精神面の話を講義でしている人だから、そこの深さがこの著者とまるで違う。
 
で、リモートビューイングの技術とは透視能力のように、具体的にその状況が見えると言うものではなく、ターゲットに名前ではなく、数字を割振りし、その数字から浮かぶ「抽象的なイメージ」を断片的に受け取り、それらをいくつかの側面から検討し、具体的なものを導く技術という事になるのだが、そのトレーニングのためには透視するターゲットを他人に作ってもらう必要があったり、またそれを数字に置き換えたりしないと、遠隔透視できないわけで、果たしてそこまでして、自分の得ようとする情報が得られるのか?
はなはだ疑問を感じる。
 
ただ「直観力」を高めるためには大いに役立つトレーニング法だと思う。
 
私はむしろそちらの方が意味があると思うし、その直観力が高まれば、いちいち遠隔透視など必要なく、「第六感」として、いろんなこと、つまり霊的な閃きを得られるのではないかと思う。
 
またそれは直接的に、予知能力や透視能力などの超能力が目覚めるきっかけになるのではないかと思う。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

プラス・マイナス・ニュートラル・・・・

最近エハン塾の話が多いのだが、エハン・デラヴィ氏は、自らを「人類学者」と呼びながら、また「ジャーナリスト」だと言う。
 
彼はエハン塾の講義の初めに、「自分の立場」を説明するのに、三角形を書き、例えば左側に「プラス」と書いて、それを「マスメディアの報道」だと説明する。
つまり我々が普段耳や目にする「情報」はここから発せられるものを指す。
 
一方反対側の右側を「マイナス」として、それに対する反論だと言う。
 
つまり、われわれが普段マスコミから与えられる情報は、ずいぶんと与える側の利益になるものに限られ、それに反するものはけっして報道されることがないとはっきり言う。
 
それをたとえば「異常気象」と言う言葉を最近よく耳にするが、10年前にはそんな言葉はなかった。
 
当時は「地球温暖化」と言う言葉が使われ、そして「CO2削減」と言う言葉にすぐに結び付けられた。
 
それは「グリーンビジネス」と言う「利権」を持った人々が、必要以上に煽り不安を抱かせることが、報道の目的とされた。
 
しかし、当時から反論する学者が大勢いたが、彼らは研究費を削られ、マスコミからもシャットアウトされたとはっきり彼は指摘する。
 
ところが、地球温暖化の証拠とされるデーターは、実は短期間のデーターであったり、はっきりねつ造された物であったりして、現実は温暖化どころか「ミニ氷河期」に向かっていると言う。
 
 
 
そうなってくると、マスコミも「地球温暖化」と言う言葉がつかえなくなり、そこで「異常気象」と言う新しい言葉に置き換え、さらに不安を抱かせようとしていると彼は指摘する。
 
 
あるいは「ドラックビジネス」の利権や、「9.11」のテロも、実は自作自演であり、そこに大きな利権が絡んでいるとはっきり指摘する。
 
そんなことをはっきり発言するジャーナリストは、昔は大勢いたが、現在はマスコミ自体が抑え込むので、とても少なくなったと言う。
 
でも彼はその一人だろうと思う。
 
 
そして、右側の「マイナス」は、それらのマスメディアの報道と反対側の発言を指すのだが、最近Facebookなどで、マスコミやあるいは中国・韓国がいかに自分の都合のいい情報を流しているか?
を、ネットを通じて知ることができるのだが・・・・
 
 
しかし、そこにはその情報を流す側の「エゴ」が全く入っていないのか?という事を考えた場合、いささかなりとも疑問が残る。
 
そこで彼の立場だが、みんなにその右でも左でもない「ニュートラル」と言う立場で、「独立個人」として「判断してほしいと」言う。
 
私も若いころから一般常識にとらわれない「独自の価値観」をもって、物事を判断してきた。
 
彼はジャーナリストとして、正しい情報を流すよう努めているらしい・・・
それでも、受け取る側は「ニュートラル」と言う価値観でそれを判断してほしいと言っている。
 
これは釈迦の教えにも通じる「中庸」という事にも通じるのではと思う。
 
我々はその立場を貫くためにも、もっと多くのことを学ぶ必要があると私は思う。
 
 
つまり、何も「自分の頭で考えない」、「自分の価値観で判断しない」、世の中の大半の人は、一部の人に「操られている」のだが、それすら「自覚」できない状態なのである。
 
彼は現代人は忙しくて、そんな時間がないと言うのだが、それは単に「怠慢」なだけで、要らないものを切り捨てれば、いくらでも時間は作れるという。
 
エハン塾の彼の講義は80分と長いが、一日1本だけ見ても、ずいぶんと学べると思う。
 
自分の「意識改革」こそ、我々は時間を割くべきではないかと思う。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
 

なぜ、文化財復元なのか?

私は最近、神や魂や、意識と言う話ばかりしている。
 
それが仕事にマイナスであることは、十分に承知している。
 
しかし、それでも私ははっきり言いたいことがある。
 
 
 
われわれ現代人は、科学の進歩が、人類を進歩させていると誤解している。
しかし、我々は明らかに「退化」していると私は感じている。
 
よく、文化財の物質的な価値として「匠の技」が取り上げられ、その技術の高さは現在ではとても及ばないと言う話は聞く。
 
しかし、その「」は、決してその職人の「精神レベル」の高さとは無関係ではないと、私は思う。
 
 
そこにはその人の「思い」の高さがその物質に込められていると、私は信じているのだが、私の持論は「文化とは人の精神的な営み」であり、「文化財とは、それを『形』にしたもの」だと思っている。あるいはそれを『記録』したものともいえる。
 
 
だとするなら、その技において、劣る現代人が、果たしてその当時の人よりも「精神性」が高いと言えるのだろうか?
 
 
何度も例に出すのだが、エハン・デラヴィ氏は40年前に日本に来たとき、昔の日本人が居たと言う。
つまり「精神文化の高さ」を持った日本人が・・・
 
 
その彼ははっきり現在の日本人は、当時の精神性を忘れてしまったと言う。
 
また、彼は世界中の古代遺跡を回っているのだが、エジプトのスフィンクスは、エジプト文明以前の存在であり、日本の明日香にある「酒船石」も明日香時代以前からあったはずだと言う。
 
我々の常識では信じがたいが、それはありうる話だと私は思う。
 
 
 
そんな昔、そんな技術を持つ古代人が居たとすれば、彼らは現代の我々を笑っていてもおかしくないだろうか?
 
 
 
話は少し変わるが、facebookの「友達では?」と言う紹介で、そこに映し出された人の名前は、確かに見覚えのある名前である。
 
その人の名前は、確か10年以上前に一時やり取りをした中国女性なのだが、なぜその人の名前がfacebookに載っているのか?
 
私は恐ろしくなった・・・
 
 
ネットの情報は明らかにgoogleの検索やヤフオクでのチェックや、Amazonでの検索結果が筒抜けになっており、その内容に応じた広告が表示されたりする。
 
 
これも不快であるが、それ以上にfacebookで「友達では?」と表示された人の名前は、もう10年ほど前のメールのやり取りの記録が、パソコンに残っているだけなのにもかかわらず、その情報が筒抜けになっているわけである。
 
こんな管理社会が果たして「進化」と言えるだろうか?
 
よく言われるように、ある日突然「国家反逆罪」として何もしていないのに逮捕される日が来るのも、間違いなく近未来と言える。
 
だからこそ「操られている」という事に気が付く必要があるし、また先人と呼ぶべき精神性を持った人々が残した「文化財」から、当時の人々の精神性の高さを学ばなければ、我々は自滅するのも時間の問題ではないだろうか?
 
また、物質とは幻であり、単なる波動として存在するとしたら、物質に拘らず「デジタル」は物質を伴わず、朽ちることがないと言う特徴を持ち、その先人の精神性を後世に伝えるのに向いていると私は信じている。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

「スーフィーの賢者 ルーミー ”その友”に出会う旅」 エハン・デラヴィ著  その序章

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最近ずっとエハン・デラヴィ氏の話を続けている。
 
そうすると、多分彼の「信者」だと思われているだろうと思う。
 
 
 
しかし、私は過去に「他人を信じること」がいかに、裏切られたりあるいは、失望したりすることを何度も経験しており、「盲信」することは決してないのだが、彼の著書を読み、彼の精神性の高さは判ったつもりだったが、この著書を朝から目を通していたのだが、この本にあるルーミーについてはエハン塾で語られていて、面白そうなので買ってみた。
 
そして、この本は800年前のスーフィーと言うイスラム神秘主義の詩人と、もう一人のアタールと言う人の詩を紹介しながら、彼の若き日、19歳~20歳の頃の精神的求道の旅を綴ったものだが・・・・
 
まだ読み終えた訳ではないのだが、このエハン・デラヴィ氏の精神性の高さには、とてもじゃないがついて行けないと思えてきた。
 
いゃ・・・・とにかく彼の求めている精神世界は、とてつもなく奥が深い・・・・
 
彼が日本に暮し、日本文化を吸収しようと随分頑張ったことは紹介した「聖なる国 日本」を読んで知っていたが、彼が日本で暮らすまでに、金を持たずに世界中をヒッピーとして旅をしていた話は、その本にも書かれていたが、私は単なる「貧乏旅行」としか捉えていなかった。
 
 
ところが彼はすでに19歳の時に「ルーミー」の存在を知り、彼の本をリックに詰め、「」としながら道を求めていたことが、この本では自分自身を「アブドゥール・シャ・フランディ・ハシム」と言う別の存在として出会い、その名で自分の体験を綴っている。
 
 
 
しかし、そこに綴られている彼の求める精神性は、半端じゃない・・・・・
 
この本に綴られている本当の意味を理解するには、一度ではとても理解できるものではないと判った。
 
なので読み終えて、もう一度腰を据えて読み直すつもりだが、しかし私は「波動を上げる」事の意味や、方法を探してきたが、それを見つけることができなかった。
 
しかし、エハン塾の彼は親しみのある話題が豊富な、学ぶべきものを持つ人ではあるが、まさかここまで深い精神性を追求してきた人だとは、思ってもみなかった。
 
まさに「波動が高い」とはこういう人の事だろうと、良き手本に出会えた気がする。
 
彼は私とほぼ同年代の62歳らしい・・・・
 
(資)文化財復元センター  おおくま

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