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「こわれかけたこの星に今してあげられること」エハン・デラヴィ著 その1
 003
この本は対談本である。
 
エハン・デラヴィ氏はいろんな分野の人と対談本を出している。
最初に読んだのが、奈良 泰秀氏との「神道よ! 今こそ《古来の本物の道》に戻るのだ!」だった。
 
これは神道のアウトローとでもいうべき宮司との対談で、現在の神社神道の疑問点が明らかになった。
 
次に読んだのが、神々の指紋のグラハム・ハンコック氏との対談の「人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、全ての期限は『異次元』にあった」も、古代遺跡と人間の意識の話で、なかなか面白かった。
 
特に神々の指紋を軽く目を通したが、文庫本だったためか、細かい文字がびっしり詰まっている割に、図や写真があまりなく、正直言って、飽きてしまう。
それに比べると、この二人の対談は飽きることなく、最後まで読めた。
 
 
そして今回のこの本はサティシュ・クマールと言うジャイナ教の僧であり、核兵器廃棄を説くために1万4000キロの平和巡礼をした人らしく、現在イギリスで「シューマッハー・カレッジ」と言う教育機関を作った人らしい。
 
 
 
早い話がスピリチュアルな対談なのだが・・・・
私はその手の話に興味があるのだが、しかし話が高等すぎるのか、正直言って疲れてくる。
 
朝から半分ほど読んだのだが、時々休憩しないと、いや意識を他に向けないと、ちょっと疲れて読み進めることができない。
 
ただそんな中でもいくつか付箋を貼った場所があるのだが

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「チベットの死者の書」川崎信定・著
 001
先日、エハン・デラヴィ氏とグラハム・ハンコック氏の対談本の中に、エジプトの死者の書と、チベットの死者の書には共通する部分があると書かれていた。
 
 
私は以前からこの死者の書に少しは興味があったのだが、わざわざ買うこともなかったのに、その対談を見て買ってしまった。
 
 
ただ・・・
まず最初にこの本を開いた・・・
書かれていることが、チンプンカンプンでまったく理解できない。
頭がウニ状態となった。
 
こりゃだめだぁ・・・と諦めかけたが、とりあえず昼寝をした。
その間も、頭の中からは離れなかったのだが、とりあえずもう一度読んでみようとページを開いた。
 

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「こわれかけたこの星に今してあげられること」エハン・デラヴィ著 その2
003
この対談相手のサティシュ・クマール氏は、熱心なジャイナ教徒の母に育てられた。
その母は文字が読めないし学問もない。
 
にもかかわらず、とても意識の高い人だったらしく、彼は4歳にしてすでに「巡礼」の意味を教えられたらしい。
彼は8歳でジャイナ教の僧になるのだが、母親についてこんな話を語った。
 
母親は手作りで素晴らしいものを作る。
ある時手作りの素晴らしいショールを姉に送った。
 
姉は喜んだが、着けて汚すものがもったいないので壁に飾ろうと言うと、母は貴女が着るために作ったのよ、飾るためじゃない、他人に見せびらかすためでもないと言う。
 
姉は母親が手作りするのに時間がもったいないから、ミシンを買おうと言う。
すると母は

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波動が高いって???
なんどもブログに書いてきたのだが、私は神から試練を与えられ、波動を上げることを求められているようである。
 
それは判るのだが、「波動って何??」と言う問題がまずある。
 
私に限らず「波動」を目で見た人はいない・・・
そう、赤外線や紫外線同様に、「見えない」のである。
 
とはいっても、ネットにはその「波動」という言葉が溢れている。
 
つまり、我々が普段認識している「物質世界」は実は幻であり、本当の自分は「」であり、そこの世界には物質は存在しないと言う。
 
固体であるはずの物質は、量子力学とかいう世界では、単に空間に動いている量子かな?つまりこれ以上小さく分けられない分子が回りながら波打っているっうのかな??
 
つまり、どんな物質も人の意識も、生物も、突き詰めれば「波動」ということらしい・・・
 
でも、人間の眼にはそれは見えない。
 
で、その波動とやらには、高いとか低いとかいう違いがあるらしい・・・
 
その訳の判らない「波動」を上げろと神様から迫られているみたいである。
 
 
 

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また不思議なガソリン現象が・・・
今日は朝から枚方市の「NPOフェスタ」の会場に詰めていた。
 
私は「画像による文化財復元研究会」の代表でもある。
 
とはいっても、実は今は元スタッフの女性に、一任しているのだが、年に一度は展示があり、パネルを運んだり、会場当番をする。
 
客はほとんど来ないし、本を読んでいても、周りがざわつくと頭に入らないし、4時に片づけて仕事場に帰る途中にガソリンを入れた。
 
何度も話をするのだが、私の車は普段は燃費計の数値は最近落ちて13~14くらいしか示さない。
実質12キロくらいかなぁ・・・
 
ところが2年前に九州の宗像大社の帰りに、急に燃費が伸び、20くらいを指した。
実質17キロくらい・・・・
でも、こちらに戻ってガソリンを入れると、また燃費は元に戻ってしまう。
 
その後も、諏訪大社や宗像大社などへ行くときは同じ現象が起きるようになったが、しかし戻ると、また燃費は下がる。
 
なのに今日はその諏訪大社の帰りにガソリンを入れた分が残っていて、入れる前に15.2くらいを指していた。
当然地元でガソリンを入れると、また燃費は元に戻るのだが・・・
 

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