先日も書いたのだが、2年ほど前からある神社に遠出をするときに、その時だけクルマの燃費が上がる。
信じない人の方が多いが、私も信じられなかったけど、実際に起きているわけだ・・・・
それは地元に帰り、給油すると普通の燃費に戻って居たのだが、この前の日曜日に地元で給油したのに、今までになく燃費が伸びてきた。
その時18まで伸びたのだが、数日後車を動かすと、16.4くらいにまで落ちていた。
やっぱり一時的なものだったと思って、運転していたら、案の定、それからどんどん下がった・・・
最低13.5くらいだったかなぁ・・・
なぁんだぁ・・・・・とがっかりしたのだが、しかしそれからまた燃料計の数値が徐々に上がり始めた。
上がったり下がったりはするが、それでも17を超えた数値が出る。
不安定なのは、エンジンの回転がおかしいのかと言うと、運転していて違和感は全くない・・・
それどころか、先日満タンにしたけど、念のために40キロほど走った時点で、給油してみたが、入らないガソリンが・・・
わずか1.5リッター弱で止まってしまった。
やはり燃費が上がっていることは間違いない・・・・
誠に不思議なことが頻繁に起きる・・・
(資)文化財復元センター おおくま
この本は先日またエハン塾で取り上げられていたものである。
エハン・デラヴィ氏は動画の中で、著者はユングの「集合的無意識の世界」を「魂」と言う言葉を使い、説明した人であると言う。
また、人は前世というか、霊的世界と言うのか?において、自分が生まれるべき、夫婦を探し、そして現世での人生の設計図を自ら書き、それにしたがってこの世に生まれてくると、この本には書かれていると言う。
私はこの部分に興味がある。
つまり高橋信次も同じことを言っているのだが、まず魂が母親になってくれる人を探して、その人の元に行き、「母親になってください」と頼むと言う。
それを承諾するか、断るかは母親になる人も本人が生まれる前に、「霊的世界」で決められると言う。
そうすると、人の一生は何代も前から決まっていることになる。
で、問題なのは、自分がこの人生で学ぶものを自分で決め、そしてそのための節々の出来事もプログラミングをしたうえで生まれてくるらしい。
しかしながら、生まれた途端にそれを忘れるようにプログラムされているものだから、現世で物質世界に浸り、ちょっと楽をすると本来の自分の学びを忘れ、自分がプログラミングした節目の苦労を、「なんでこんな目に合うんや!!」と不満を抱く。
そうして、その人生が終わるときに、果たして予定していた「学び」のいかほどが実現しているのか?
死を迎えた時に、それを自ら知るわけだ・・・
そして魂はまた、つぎの生まれ変わりの準備に入る・・・・
高橋信次はそんなことを言っているのだが、実はシスター鈴木秀子は、翻訳した「死んで私が体験したこと―主の光に抱かれた至福の四時間」と言う本は、脳死を経験した人の体験談だが、そこで見たことが、まさに高橋信次の話と一致しているようである。
先日宗教と信仰の違いについて、Amazonのレビューに書かれたいたことを紹介したが、この本はそれが書かれた本だったので、追加で購入した。
私は自分の性格を他の人よりは「客観的」に観れていると思うのだが、その中で私はどうしても完全主義的なところが強く、自分では最大限の努力をするものだから、どうしても他人の努力が自分と比べて足らないと思いがちである。
それは、「なぜもっと頑張らないのか?」「やれば出来るのに・・・・」と思ってしまう。
そして、自分に厳しいところもあり、自分でやってはいけない事などを自制している面があり、例えば古いギャグに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言うのがあるが、私はなかなかそれができない。
それはみんなで渡れば・・・と言うより、例え一人だけで、だれも見ておらず、車が来ていないことを確認したうえでも、それでもなかなか足が前に出ない。
つまり、他人が見ていようがいまいが、「私」が見ているわけだから、その自分に嘘がつけない性分だったりする。
とはいっても、融通が全く聞かないわけではなく、その場の状況に応じては「臨機応変」に対応することもある。
この本は先日のシスター鈴木秀子の著書に「傾聴」と言う言葉が使われ、その時にシュタイナーの名前があった。
さっそくAmazonで検索すると、著書も多く、その中でこのタイトルに惹かれて古本を探したが、結構高く、送料を入れると新本とほとんど変わらなかったので、新本で購入した。
このタイトルからすると、どうも現実世界ではない別世界?にどうすれば繋がれるか?と言うニュアンスだと思ったのだが、まさに「霊界」に繋がるための「修行法」を、結構細かくステップをおって紹介されており、しかもこの方法は他の宗教の修行と違って危険も伴わないと、いいことづくめの様であるが、しかしやはり言わんとすることが抽象的すぎて、とても一度読んだくらいでは修行がうまく進み、霊界に繋がれそうにもない。
例えば、動物と鉱物を比べて何が違うか?
それを感じられるまで何度も繰り返すとか、一粒の種を見つめて、それが根を張り芽をだし、やがて花が咲く・・・・
今度はそれが枯れていく・・・
そこまでイメージできるように練習しろとか、まぁちょっとやそっとでは続けられそうもない修行が書かれているのだが、しかしそれを根気よくやれば誰でも繋がると言う。
ただ、修行法はそれだけではなく、他にも断片的な方法もあるとか、それらのステップを通過するころには、自分の意識や見えるものが変わってくるとか・・・
また、そうやってステップを踏んで、エーテル界やアストラル界まで到着しても、その先に行くには本来は輪廻転生を何度も繰り返さなければならないのを、生きたままそこに到達しょうとすると「試練」を受けなければならないと言う。
私は随分試練も受けているし、ものの考え方もずいぶんと変わってきているから、多分そういう世界の入り口の近くに来ているとは思うけど・・・
しかし、なかなかその門はノックをしたぐらいでは開きそうもない。
10年ほど前から、私の周りに起きる不思議な現象は「霊的世界」が絡んでいることを聞いていたが、しかし自分にはどう考えても霊感は無い・・・
と、いうことで次にヘミシンク(Hemi-Sync)を始めたが、いくらやってもそんな世界に繋がらない。
それから数年して、今度はチャネリングも試みたが、やはりだめで、最近も数か月前にも試したが、やはりだめだった。
この本は「シスター鈴木秀子」氏と、「長老アルボムッレ・スマナ・サーラ」氏との対談本である。
この本の副題には「シスターが長老に聞きたかったこと」と書かれていたので、買ったものである。
アルボムッレ・スマナ・サーラ氏は日本在住のスリランカ初期仏教の長老との事。
以前に瞑想を検索中に、そんな人が日本に居ることは知ってはいたが、その瞑想法は私の求めているものではなかったので、それ以上の興味を持たなかった。
今回聖心会と言う、カトリックの修道会の「シスター」と言う肩書を持つ鈴木秀子さんの著書を続けて読んでいるのだが、それは彼女が単なるカトリックのシスターと言う枠に収まらない、とても意識が高い人だと感じたからなのだが、彼女が自分で書いた文章には、相手に対しての畏敬の念と愛があり、またその相談相手に対して「癒し」を与えられる人だと思う。