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「いまここに生きる智慧」 鈴木秀子・著
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006
この本は「シスター鈴木秀子」氏と、「長老アルボムッレ・スマナ・サーラ」氏との対談本である。
 
この本の副題には「シスターが長老に聞きたかったこと」と書かれていたので、買ったものである。
 
アルボムッレ・スマナ・サーラ氏は日本在住のスリランカ初期仏教の長老との事。
 
以前に瞑想を検索中に、そんな人が日本に居ることは知ってはいたが、その瞑想法は私の求めているものではなかったので、それ以上の興味を持たなかった。
 
今回聖心会と言う、カトリックの修道会の「シスター」と言う肩書を持つ鈴木秀子さんの著書を続けて読んでいるのだが、それは彼女が単なるカトリックのシスターと言う枠に収まらない、とても意識が高い人だと感じたからなのだが、彼女が自分で書いた文章には、相手に対しての畏敬の念とがあり、またその相談相手に対して「癒し」を与えられる人だと思う。
 

ところが今回のこの本、シスターが長老に気兼ねしているのか?はたまた敬意を表して一歩下がっているのか?
鈴木秀子さんの優しさがどうも出ていないように感じた。
 
それに対して「長老」と言う肩書のアルボムッレ・スマナ・サーラ氏は、どうも仏教の枠の中の人で、それ以上に人としてのおおきさを感じられないように思った。
 
確かに言っていることに間違いはないけど、それは「釈迦の教え」をもとにした話であり、一方の鈴木秀子さんは、明らかにカトリックと言う枠を超えた大きさを持つ人だと私は思っている。
 
しかし、長老と言う肩書からすると、シスターである鈴木秀子さんよりも、一回りも二回りも年上で、それだけ人生を知り尽くした人のように思うが、プロフィールを見ると、長老の方がシスターよりも5歳くらい若いようである。
 
そんな若造を相手に、鈴木さんは相手に敬意を払った対応なのだが、この本の中に鈴木さんが我々は脳に知識があるんじゃなく、実は大宇宙の中に在って、そことコンタクトしていると言う話をすると、長老と言う名の若造はそれをあっさり「妄想」だと切って捨てる・・・・
 
鈴木秀子さんは、確かに8年間の沈黙の行を終えた、れっきとしたシスターではあるが、しかし修道会の中で神に祈りを捧げる人生ではなく、東大の大学院を出て、海外にも何度も留学し、そして海外で教壇に立ち、また母校の教授でもあり、エニアグラムのセミナーを開いたり、多くのNPO活動をされたり、また何と言ってもユングの研究もされているので「集合的無意識」ということをご存じなのだが、この若造は仏教の枠の中の事しか知らないらしい・・・
 
余りに不快に感じ、残り1/4ぐらいなのだが、読むのを止めた。
 
(資)文化財復元センター おおくま
 

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