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邪馬臺・さだまさし

知人がリンクを貼って、教えてくれた・・・

「まぼろしの邪馬台国」の主人公と、さだまさしの父が知り合いらしい・・・

彼はその主人公の歌を作っているらしい・・・

最初はぶっきらぼうで、人の話しを聞かず、誰彼見境なく、食って掛かり、「あんたが大将・・・」と思えるような男なのだが・・・

実はある一面「九州男児」としての、自分の気持ちを相手に伝えることの下手な、そして亭主関白が九州男児と思われがちだが、実はその裏には、とてつもなく「優しく」そして「情」が深い・・・

ただ・・・

それを表に出せないし、相手に伝えられないのは、九州男児に限らず、「ニッポン男児」の共通する性格かもしれない・・・

(資)文化財復元センター おおくま

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まほろば・さだまさし

さだまさしの父の知り合いでもある「まぼろしの邪馬台国」の主人公は、いつもさだまさしの曲を「くだらない・・・」

と言っていたらしい・・・

しかしながら・・・

たぶんそれは・・・

九州男児特有の「口は悪い」が「人はいい」の表れだったと思う、

その彼が唯一、さだまさしの歌を褒めたと言う。

それが「まほろば」・・・

(資)文化財復元センター おおくま

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「バルトの楽園」NETFLIX

この作品を見るのは2回目である。

以前にも触れたが、私の知人がこの作品の撮影現場で、ドイツ人スタッフとのドイツ語の通訳として参加していたらしい・・・

さて先日見た「二百三高地」は、日露戦争の話だが、こちらは第一次世界大戦の話だと言う。

ドイツ人捕虜を日本国内の収容所で収容した時の話しらしいが、どうもその板東捕虜収容所も所長の松江大佐も、実在するらしい・・・

二百三高地の時も、冒頭に日本人スパイ二人が銃殺刑に処せられるときに、日本人スパイはポケットの金を、ロシアの赤十字に寄付すると言い、もう一人は酒を呑みたいと言えば、ロシア側は酒を呑ませて処刑する。

別な作品で、同じ第一次世界大戦中のヨーロッパの飛行機乗りを描いた「レッドバロン」や「フライボーイズ」などでも、お互いに空中戦で相手を撃墜させるのが目的で、相手を殺すことが目的ではないらしく、撃墜されたパイロットの命を奪おうとしない。

ところが第二次世界大戦の「永遠の零」では、主人公は撃墜したパイロットがパラシートで降りているところを、射撃する・・・

何人に限らず、時代が進むにつれ、残虐性を帯びてくる。

さて、話を戻すと、収容所を脱走したドイツ兵を、地元の農家の人は傷の手当てをする。

その心優しさに触れ、脱走兵は自ら収容所へ戻る。

また、所長はそれをあまり咎めない・・・・

収容所では、地元民との交流も盛んで、音楽や体操をドイツ兵は教えたり、パン職人やいろんな職人は、自らの技術を収容所内に限らず、地元民にも提供する。

で・・・・

要するに、戦争に参加している「人間」でも、結局は互いに相手を理解することは可能であり、自分がまず相手に好意を示せば、相手も好意を返すが、逆に自分が敵意を示せば、相手も敵意を返す。

つまり、「国益」と言うものは、実は政府や国王や天皇にとっての利益であり、庶民にはそれらが還元されることはほとんどない。

しかし、逆に国益のぶつかり合いの戦争において、「犠牲」になるのは庶民ということになるが、この話でも分かるように、敵国の兵士と言えどもけっして相手国の兵士に敵意を抱いているわけではない。

この件は先日見た「アメリカ軍捕虜の生体解剖」の話で、日本を無差別爆撃したB29の機長でさえ、終戦後自分が日本を爆撃した話は、家族には一切話していないし、また日本の土を2度と踏めないという。

 
話を戻すと、所長の松江大佐は会津藩の出身だと言う。
知らなかったが、北の果てに追いやられ、随分と苦労をしている。
ネットで調べると、彼らは青森の恐山の周辺に強制移住をさせられている。

また、「北の零年」は淡路島の徳島藩が、北海道へ移住させられた話らしい・・・

勝てば官軍・・・何をしてもいいらしい・・・

このドイツ軍捕虜の少将は、ドイツ国王から功績に対して「ステッキ」をもらっているのだが、ドイツの敗戦と同時に国王は海外に亡命した。
なのに少将は敗戦を知り、銃で自殺を図るが、助けられる・・・

この話・・・日本の「東郷元帥」の話と似ている・・・

やはり一番の見せ場は、敗戦後解放されたドイツ兵たちが、世話になった地元の人たちのために「第九」を演奏する。
感極まるシーンとなる。

(資)文化財復元センター おおくま
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つくづく思うこと・・・

私は最近、自分の考え方を表に出すことにした。 

その結果・・・

仕事にマイナスであることは百も承知だが、しかし、自分の損得より、「社会の益」を優先したい。

早い話が、最近やたらとネットで戦時中の日本軍の行動を美化したり、韓国や中国、そしてアメリカを敵対させるように「煽る」情報が氾濫している。

別にそれが事実であれば問題ないのだが、かならず「裏」には意図が隠されていて、それは日本の憲法をアメリカから押し付けられたものだとか、あるいは中国が日本に攻めてこようとしているとか、また韓国が事実を捻じ曲げているとか、早い話が「日本に都合のいい」話を、あたかも真実だと言わんがために、随分と事実を捻じ曲げている。

 

この行為は同じ日本人として、とても私は恥ずかしい・・・

私は左翼でも共産主義者でもなければ、「日本」と言う国を愛しているし、日本の文化を誇りに思う。

だからこそ・・・「画像による文化財復元」と言う、始めて16年が過ぎたが、未だに世界中で私一人しかできない仕事をしている。

ただ、この仕事をするに当たり、10年以上昔にあるチャネラーから「捻じ曲げられた歴史を正せ」と言われたことがある。

当時私は、「たかがデジタル画像で、薄れた画像を復元するだけなのに・・・」と、大げさなことを言うものだと受け止めていた。

しかし、時が経つにつれて、彼女の言っていたことの意味が理解できるようになった。

つまり古事記や日本書紀は、天皇家が自分の正当性を主張するために作ったものだということは理解できた。

しかしながら・・・

どうも歴史を捻じ曲げているのは、それだけにとどまらないことが徐々に解ってきた。

それが日本における「天皇制」であるようだが・・・

私は決して天皇と言う存在に個人的に恨みを持たない。

しかしながら、「嘘」を嫌うし、「歴史」を自分の都合のいいように捻じ曲げることに、とても反発を覚える。

それは「正義感」と言うものではなく、人としての「良心」が、それを許さない・・・

 

だからこそ、最近の改憲のために、戦前の日本の復活を望む輩が、事実に反する「洗脳」「プロパガンバ」には黙っておけない。

 

だからこそ、私は彼らにとっては「知られては困る」「不都合」な情報を、意識してアップするように心がけている。

それは、私の言っていることを信じろと言うのではなく、情報は片方の話しだけでは「客観的」に判断できない。

だからこそ・・・

彼らの出す情報と「逆」の立場として、「情報」を提供しているにすぎないと思っている。

つまり、そのどちらが正しいかは、他人の話しを「鵜呑み」にすることなく、自分の頭で「考え」そして、自分の「価値観」で判断してほしいと私は願う。

その為には、どうしても「相対する情報」を必要とする。

だからこそ、私は彼らと逆の「価値観」で情報を提供する。

判断するのはあくまでも「日本国民」とか「愛国心」とか「国防」「国益」などと言う、訳の解らない「抽象的」な言葉で、人々を集団の一員として駆り立てるものではなく、「日本国民」と言う狭いくくりの前に「人類の一員」と言う意識を持ちあくまでも「一個人」いいかえれば「独立個人」と言う立場で、「自分の選ぶべき道」を決めてほしいと、私は切に望む。

(資)文化財復元センター おおくま

坂口安吾という人・・・

先日よりネットで、「天皇の陰謀」デービット・バーガミニ・著を、独自に訳しているオーストラリア在住の日本人のサイトがあり、そこにその「天皇の陰謀」の全和訳が載せられている。

「天皇の陰謀」

 

この本には日本において、「天皇制」というものがいかに作用しているかを、日本で生まれたアメリカ人が、日本の外地の捕虜収容所で育ち、戦後・1960年代に再度家族をつれ京都に住みながら、資料を探して、アメリカに帰ってから書き上げたものらしい・・・

この本を独自に訳されているそのサイトの主は、日本人じゃないからこそ「天皇制」のタブーに踏み込めたと評されている。

で、元々この本は1970年代に日本語訳が出版されているが、何冊にもおよび、現在Amazonで調べても古本がべらぼうに高い。

で今回の、その訳者の訳中の感想をまたダブル・フィクションとしての天皇」

として記されているのだが、その中に面白い文を見つけた。

何やら「坂口安吾」(1906年-1955年)という文学者が居るらしく、彼の言葉を載せている。

 天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、 真に実在したためしはなかった。/藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等 が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼等は自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分がまっさきにその号令に服従してみ せることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。(中略)/自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇 にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民におしつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬか ずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。/それは、遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないの だ。見給え。この戦争がそうではないか。( 「続堕落論」 )

まさにまたそれが起きようとしていると、私は思う。

(資)文化財復元センター おおくま

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