っ・た・くぅ・・・・・
何なんだよ、この作品・・・・
なにやら直木賞の候補作らしいが、現実味がまるでない・・・
何やら「大阪」は、実は「独立国」として、明治政府に認められていたらしい・・・
東京から「会計検査院」の三人が、大阪のいくつかの組織の「補助金」の検査に来たのだが・・・
なにやら、不穏な動きを感知するが、なかなか尻尾がつかめない・・・
ただ、「鬼の松平」と異名をとる主任が、その謎を突き止めた。
それによると、大阪国の総理大臣曰く「資金難の明治政府に、資金を提供し、独立を認めさせた」と言う。
だけど・・・
私の知る情報じゃ、明治政府に資金を提供したのは、最終的にロスチャイルドに繋がる「ユダヤ資本」と言う話である。
まず、そこから無理があるし、また「プリンセス・トヨトミ」と言うくらいだから、豊臣の血を引く「姫」の存在があるわけだが・・・
話を聞いていると、当の「姫」もそれを知らないし、多くの「大阪国」の国民も、姫が誰だか知らないらしい・・・・
と、、荒唐無稽の作り話なのだが・・・
ただ、ここで問題とされているのは、その「大阪国」の存在を、父から子へ伝えるには条件があると言う。
まず16歳以上であること。
そして父の死が近いこと・・・・
実は会計主任の松平も、父親は大阪出身だが、離婚して母親と東京で育ったらしい・・・
若い頃、父親が仕事場に電話をしてきて、「話したいことがある」と言ったのに・・・
自分は忙しいと断った。
つまり自分は知らなかったが、「大阪国」の一員らしい・・・
で、実は自分の事と重なった想いがした。
私の母は若い頃に少し霊感があったらしいが、歳を取り少し精神に異常をきたし、入院したことがある。
退院後も、目つきに落ち着きが無く、私はまだ治っていないと思った。
そして、私は結婚したのだが・・・
別れた女房は、思いやりがあり、相手を大事にする。
だからそんな私の母親がよく訪ねてきたり、長電話をしてきても、女房は大切に対応をした。
だけど、私としては、母親の存在がうっとおしく思えたし、何度もそんな母親を叱ったりした。
母親はその後亡くなるのだが、兄貴に「剛由を頼む・・・」と、言って亡くなったと、兄からこの前聞いた。
だけど・・・
私は母親の葬儀の記録写真は撮ったものの、その後10年ほど墓参りにもいかなかった。
その事と、この主任の会計検査院が、父親の電話を無視したことと重なってしまった・・・
その主任検査員は最終的に、「大阪国」の存在を私は知らないと言って不問に伏した。
自分に父親の話を聞かなかった「悔い」が残ってのことだし、私も数年前から時々そんな母親の墓参りをするようになった。
大事なのは人としての「情」だと思う。
(資)文化財復元センター おおくま
未だにNETFLIXでえいがを見ている。
で、本日見たのがこの作品・・・
何やら作品紹介に
ファラフェル それは中東の街角で売られている豆コロッケ
そして核の脅威が迫る世界で、人類を救う唯一の希望なのだ!!
と、訳ワカメな説明文から私はこの作品を見ることにした。
だってぇ・・・見るものが尽きてきたので・・・・
ところがどっこい!!この作品・・・・
なにやら喜劇の様で、最初から笑わせる。
最初にイスラエルの軍事司令部が出てきて、何やらイランが核弾頭をイスラエルのむけて発射準備していると・・・
それに負けじと、イスラエル軍は先制攻撃の準備にかかる。
ところがどっこい、その時その時原子力委員会の視察団が来ている。
イスラエルの関係者は、何とか視察団をごまかし、彼らを追い返すが、独りだけドイツ人のオトコだけイスラエルに留まる羽目となる。
彼はイスラエル人の母と娘と共に、イスラエルがイランにミサイル攻撃をしょうとしている間際に食い止めるのだが・・・
以前にイスラエルの映画で「迷子の警察音楽隊」
内容的にはエジプトの警察音楽隊が、「文化使節」としてイスラエルに来た。 ところが行く場所を間違え、違う場所に降り立つ・・・・
そこでの人々との交流を描いたものだが、詳細はその時の書き込みを見てもらいたいが、その作品もイスラエルだし
、今回の作品をイスラエルの作品らしい。
どちらも喜劇なのだが・・・・
迷子の警察音楽隊は、最後に恋の歌が出てくるのだが・・・
それはイスラエルからエジプトへの求愛の歌でもある。
ああ夜よ ああ私の夜よ
私の心が解き放たれていくよ 永遠に光り輝く
真夏の太陽の下で 忘れ去られた日々が 美しく甦るよ 二人の過去の思い出が
孤独の甘い日々が もし人生が もう一度あるならば
一瞬たりとも変えたくないよ この素晴らしい日々を
明るい光が地に満ちて 私たちの良い心が 生み出していく 恋に焦がれる気持ちを
それに対して、返歌として女性が
何を見ても あなたを思い出す 心を込めて
お話ししたいの でも耳に心地よい話にも あなたは背を向ける
やさしいあなたを探し求める私 心を込めてお話したいの 冷たいあなたに
神のお導きを あなたは今 どこに? なぜ話をしてくれないの?
若い恋があなたを変えたの? いったい何が起こったの?
いとしいあなた どこにいるの? 私の心の中に
棲みついた人 何を見ても あなたと比べてしまう 何をしていても
忘れられないのよ 時が過ぎても 思いは募るばかり 時が繰り返し聞く
「あなたはどこ?」と 冷たい あなたに 神のお導きを おしゃべりしたり
黙り込んでしまったり 若い恋が あなたを変えたの? いったい何が起こったの?
今回も、イスラエルの作品でありながら、イスラエルの軍部の姿をコミュカルに描いているし、イランの少女とイスラエルの少女のネットでの交流から、お互いの軍部が相手が攻撃してくると妄想して、お互いに攻撃しあう寸前に互いにその気がないことを知る。
私はヒットラーのユダヤ人虐殺や、杉原千畝の話し、また日本にユダヤ人が流れてきたと言う話と、もう一つ「ロスチャイルド」のようなユダヤ資本が、世界を支配に収めようとしている話くらいしか知らない。
だけど、イスラエルと言う国が世界に脅威を与えている存在だと、最近は認識している。
にもかかわらず、当のイスラエルの映画界ではこんな自国を自虐的に描いた作品が作られている。
つまり、どこの国も「政府」は対立していても「国民」は決して政府と一体ではないということだと思う。
政府は互いの利害関係で対立していても、互いの国民は決して争いを好んでいないと言うことだと思う。
遠藤周作の小説で、小説そのものは1957年に発表された。
映画化は1986年に「日本ヘラルド映画」によって、制作されたらしい・・・
この映画、Wikipediaによると第37回ベルリン国際映画祭・銀熊賞審査員グランプリ部門受賞作とある。
何やら題名から、日本軍が戦時中に開発した「毒ガス」の話しかと思いながら見始めた。
ところが、大学病院の外科で軍部から頼まれ、「米兵捕虜の生体解剖」と言う話が出た。
この話・・・
何やら聞き覚えと言うか、映像で見たような記憶があるのだが・・・・
さりとてこの映画を見た記憶もない。
原作者の遠藤周作は御存じの方も多いと思うが、クリスチャンである。
この小説は、実話に基づくが、細部は変えられているらしい・・・
で、要するに大学病院の権力争いが絡んでおり、執刀教授以外に何人もの医者、そして看護婦が手術を行ったが、のちに軍事裁判にかけられ
死刑を言い渡されるが、朝鮮戦争がはじまり、全員釈放されたと言う。
で、何故私はこの話を聞き覚えがあったのか?ネットで検索した。
すると、NHKのドキュメンタリーとして放送されていた。
私はこの作品に導かれたと思っている。
私はよく不思議な体験をする。
その結果「目に見えない不思議な力」の存在を否定できなくなった。
それを「神」と呼ぶか「ほとけ」と呼ぶか、あるいは別の呼び方があるのかもしれない。
ただ、私は自分の人生から多くを学んだ。
その一つに、人の人生は決して自分一人で決められるものではなく、多くの事と関わりがあるということ。
そして「導かれる」と言う言葉があるのだが、私は最近まで世の中は間違っていると思いつつも、どうせ政治の力では変えようが無いと諦めていた。
ところが昨今やたらと戦時中の日本兵は正しかったとか、林田民子や杉原千畝の美談をネットで目にすることがある。
しかも、従軍慰安部問題や、南京大虐殺の話にまで「事実無根」とやたらと騒ぐ。
私も日本人だし、愛国心はあるし、震災の時の日本人の行動などが海外で評価される。
そういうことについては日本人として誇りに思う。
ただ・・・
私は人は善人の塊も悪人の塊もいない。
いずれの人にも両方宿っているし、物事は「客観的」に判断するものだと思っている。
だから最近facebookなどで、あまりにも露骨なネット右翼の発言に、正面切った反対意見を出し始めた。
これもその一つなのだが、今日「海と毒薬」と言う30年前の映画を見た。
この作品、つい最近になり目に入ったものであるが、その内容を再度ネットで探すと、この動画にたどり着いた。
私はこれは「導かれた」ものだと思っている。
現在、選挙前にやたらと「愛国心」とか「日本国民として恥ずかしくない」「防衛のため・・」とか、やたらと日本国民を一つの方向へと纏めようとする動きが目につく。
しかし、本気で日本の近代史を調べだすと、定説と裏の歴史が違うことに気が付く。
戦時中も「アジアのために戦った」と、のたまわれているが、しかし戦争で他国のためにわざわざ戦うことなどありえず、必ずそこには「国益」を求め「略奪」が存在する。
これは世界史を見ればわかるとおりだが、何故か最近日本の戦争目的をきれいごとだけ並べる動きがある。
先日オバマが広島で有意義な演説をしたのに、まだそれを「戦争責任」とか「生体実験」とか言う、「被害者」意識だけをむき出しにして、相手を責める。
しかしながら我々日本人も「米軍捕虜の生体実験」と言う、作り話ではない経験を持つ。
執刀した医師たちは死刑判決を受けるが、数年後釈放されたが、これを指示したのは「軍部」であると言う記録が残っている。
果たして日本国内においてさえ、こういう「残虐行為」をした軍人が果たして中国や南方において、ネット右翼が言うように「善良」で有り続けただろうか?
この話の当時の医学生と、その犠牲になったB29の生き残りの機長が、戦後会って話したらしいが、彼は家族のだれにも自分が日本を爆撃したとは伝えなかったし、この主人公が日本に一度来ないかと尋ねた時、その機長は「私は二度と日本の土を踏めない」と言った。
言えることは、彼らアメリカ人だって、上官の命令で逆らえなかったし、この主人公の医学生もそして執刀した医師も「軍部」には逆らえなかった。
これが今改憲で言われている「全体主義」の行き着く先にあるもの・・・
そしてもう一つ大事なことは、マスコミの出す情報には「意図」があり、また反対側の話しにも「意図」があると、何度も言ってきたが、だからと言ってマスコミの番組すべてが嘘ばかりではないし、反対意見だって都合の悪いことは言わない・・・
この番組は2015年12月12日に放送されたもので、NHKだって、ちゃんとした番組も作っていることは理解すべきだと思う。
(資)文化財復元センター おおくま
http://www.dailymotion.com/video/x3hzq8o最近ネットで、写真と見間違えるほどリアルな鉛筆画などが話題になっている。
私も写真を始める前に絵を描いていた時期があり、こだわり性だから、油彩画の古典技術にのめり込んだ時期がある。
徹底的に「写実」をやりたかったが、生憎デッサン力の限界もあり、結局挫折した。
それから「写真だったら、押せば写る」と、隣の芝生は青い状態で転向した。
しかしどんな道でも、やりだせば奥が深く、写真だって「念写」じゃない・・・
ソレナリの「表現テクニック」を必要とした。
特に当時モノクロ写真にのめり込んでいたのて、暗室技術が無ければ、作品は「創れ」なかった。
それで、ゾーンシステムと言うものにのめり込んだのだ。
ゾーンシステムとは、アンセル・アダムスの提案によるもので、普通にフィルムを現像してプリントしても「自然界の諧調」はなかなか表現できない。
その諧調の幅をコントロールする現像法なのだが、それを用いると
こんな写真が撮れる。
つまり、人はたとえばレンズの味にこだわるものは、「それを活かした」写真を撮ろうとするし、また技術にのめり込むと、「それを活かした」写真を撮りたくなる。
これは、要するに「作例」であり、決して「作品」とは言えない。
作品とは自己表現である。
高校時代に、美術部の恩師が「絵なんてねぇ・・・」「描かなくてもうまくなりますよ・・・」と言う謎の言葉を残されたのだが、当時は美大をめざし一生懸命デッサンに励み、練習をすることで「うまく」なれると信じていた。
だけど・・・
その意味が数年後に突然わかったのだが、「作品」とは「自己表現」であり、「表現するべき自己」を磨けという意味なのである。
決して自己表現とは、テクニックではない・・・
で・・・・
思い出すのだが、私はモノクロを始めて、色んな写真を撮ってきたのだが、むしろゾーにシステムをやる前の方が「作品」と言えるものだった。
(資)文化財復元センター おおくま