心−文化財について

画像による文化財復元

 復元を開始した当時、私は修復業者から「絵の具が剥げたものより、見えなくなったものが多くあり、それを見たいと言う要望は多くある」と聞き、見えないものを写真に撮る方法をいろいろと勉強しました。剥げた絵の具の部分は「修正」して綺麗に出来ます。しかし「見えないもの」を撮るのは簡単では有りません。

よくマスコミで私の技術を取り上げるときに、「CG」つまりコンピューターグラフィックとして紹介されますが、残念ながらそれは間違っています。コンピューターグラフィックとは読んで字のごとく「コンピューターで描かれた絵」と言う意味ですが、私が行っているのは、あくまでも「写真画像」がベースであり、写真とは想像物を写すことは原則として出来ません。

「赤外線写真」も「紫外線写真」も、そこに「存在」しないものを写すことは出来ないわけです。一方、CGは、「本来そこに有ったであろう物」を描くことが出来ます。つまり、「撮る」と「描く」とはまったく意味が違うわけで、今にも朽ち果てようとする絵馬であっても、肉眼では見えないだけで、実は多くの情報が残されていることがあります。それを人間の目で見える形に置き換えて「視覚化」するのが、「画像による文化財復元」と言う技術です。

しかし、ここで一番問題とすべきことは、文化財そのものに描き加える行為は、多くの場合は文化財への「破壊行為」と見なされ、以後文化財としての指定を受けられなくなるとのことです。
ですから、コンピューターで復元したその画像を別なものとしてプリントアウトするか、あるいはレプリカとして復元することになります。


実は大事なことがもうひとつあり、「復元」とは辞書によりますと、「もとの形態・位置に戻すこと。また、戻ること。」を意味しますから、厳密に言うと「違うもの」として復元することは、実は「物事が再び現れること。また、再び現すこと。」にあたり、「再現」したに過ぎないと言うのが、本当のところです。

しかしながら、それでも世の中には「復元」と言う言葉が多く使われていますが、時間の流れをさかのぼるか、あるいは魔法でも使わない限り、「元に戻す」ことは不可能以外の何ものでもありません。

では、「残された情報を視覚化」する事と、「想像して描く」事は、まったく同じ意味しか持たないのでしょうか?
別なものとして復元するわけですから、区別はつきにくくなります。しかしそれは違います、残された情報は「記録」であり「物的証拠」でもありますが、想像して描くことは「推測」あるいは「仮定」の域を出ません。

 
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