「エニアグラム」と言う言葉をご存じだろうか?
私は全く知らなかった。
それはエハン・デラヴィ氏のエハン塾で「西洋神秘学者の紹介:Georges Ivanovitch Gurdjieffは誰?」
の中に出てきた言葉なのだが、「図形」であった。
そしてそれが人の性格を知る方法だと言う。
そこでAmazonで調べると鈴木秀子と言う人の本が有った。
で、興味を持ったのは2000年以上の歴史を持ち、スーフィーの秘儀をグルジェフが知り、そこから広まったと言う。
ところが、「9つの性格」と言う本には、なぜそれがスーフィが秘儀としていたか?という事が語られていない。
性格を9つに分類することが、なぜ2000年以上前に分析され、それがなぜスーフィーの秘儀とされたか?
興味はそこに在った。
で、結局ネットで調べると、スーフィーからグルジェフを経て、アメリカで広まったと言うが、どうもその話は証明されていないらしい・・・
しかも20世紀に入り、性格分類としてのエニアグラムの創始者と名乗る人が居たり、その人とそれを広めようとしていたカトリックの関係者との間で「著作権」争いがあったらしい・・・・
そんな話を知ると、果たしてこれが「古代の叡智」と言えるのかなと疑問が湧いた。
そのあたりを考えると、興味は薄れたのだが、せっかく買った本だし、自分にプラスになればと思い、とりあえず読み始めた。
で、問題なのは自分の性格を知る事なのだが、私はもともと絵描きを目指したり、写真を撮ったりしていた。
そのころ、私は他人の作品にはあまり興味がなく、あくまでも「己を知る」、「己を表現」する方法と考えていた。
よく「自己表現」と言う言葉があるが、自己を知らないものは、それを表現できない。
少し話は変わるが、私は高校時代に美術部の部長を経験した。
当時の顧問の先生は、とても小柄で元気な男勝りのおばぁちゃんだった。
その人から多くを学んだのだが、その一つに高校時代に顧問から「絵なんて、描かなくってもうまくなりますよ!!」と言われた。
私は当時美大を目指していたので、石膏デッサンに励んでいた。
その時、私は目が点になった。
つまり、デッサンにしろ、絵にしろ、描かなくてはうまくなるはずがない・・・・・
ところが、私は30歳代に、突然その意味が理解できた。
それは、技術は確かに練習すれば上達する。
しかし、芸術とは技術じゃない・・・
そこで「自己表現」と言う言葉に戻るのだが、大事なのは「表現すべき己」の質の高さが問題なのである。
「己を磨く」事こそ、実はその絵の質を高める方法なのである。
そのためには「己を知る」必要があるわけで、自分のことを「客観的」に知る必要があるわけだ。
だから、芸術家は他の人よりも自分を知っている。
そんな事があり、私は少なくても一般の人よりは、自分を知っているつもりなのだが、一方よく聞く話なのだが、多くの人は「他人は自分のことを解ってくれない」と言う。
しかし、現実は逆で、自分のことを一番知っているのは周りの人で、一番知らないのは自分自身であると言える。
何故なら、人間は他人の事はよく見えるが、自分のことは客観的に観れる人はとても少ない。
だからこそ、このエニアグラムによる自分の性格分析は意味を持ち、そしてそれを改善する方法を知る事で、改善されるわけだ。
ただ、この本はどちらかと言うと「組織」内の人間を分析し、適材適所として、企業に役立たせることがどうも目的とされているようで、私のようにあくまでも「一匹狼」であるものにとっては、単に周りの人々との「人間関係」に応用できるぐらいかな・・・
ただ、自分のことを誤解している人にとっては、大いに役立つシステムだと思う。
(資)文化財復元センター おおくま
私は最近「空間エネルギー」と言う言葉を時々使う。
それHRRY山科氏の動画の中で「USO800」の存在を知ったことからなのだが、それについては「空間エネルギー??」
を見てもらうと判るが、どうも我々の周りの「空間」には、得体のしれないエネルギーが存在しているらしい・・・
それは宇宙の創造主から贈り物ともいえる「万能エネルギー」と思われ、その効果はいろいろあるし、またそれは霊能者にとっては「おつげ」のようなものであったり、一般の我々も「閃き」としてそれを受け取ることができたりすると私は解釈している。
とはいっても、誰もそのエネルギーを見たものはいない・・・
するとそれは存在するとは言えないと、常識ある科学万能だと信ずる人は否定するわけだ。
しかし、実はそのエネルギーの実用化を計画した人が居た。
「ニコラ・テスラ」と言う人らしいが、彼の名前はスピリチュアル系の本で知ったのだが、かなり天才的な人で、「思考」のなかで、試作機がちゃんと動作するかを確かめられた人らしい・・
彼は19世紀末から20世紀初頭にかけて、その実験をしている。
彼の考えはエジソンをもしのぐ天才らしく、「テスラコイル」とから出る「電磁波」は無線で送れ、ほとんど減衰しないという事を実証しているらしく、その特許も取っていたという。
あるサイトによると、我々が使う家庭用の電気を生み出す発電機は、10KWの力を生み出すのに15KWの力が必要だと言う。
しかもこの電気を得るのにガスや石炭や石油や原子力を使うが、ニコラ・テスラは「共振」を利用した機器で1KWを入力すれば、10KWの電力を得られるという。
つまり、考え方を変えると「呼び水」さえ与えれば、10倍のエネルギーを「空間」から得られるという事になる。
まさに真の「グリーンビジネス」としては理想的な話なのだが、実は当時すでに彼のスポンサーになっていた「モルガン」は、実は電気を送るための電線を作る「銅」を大量に買い占めており、テスラの方法は「無線」であり、電線を必要としないことがわかり、資金援助を打ち切った。
その後、テスラの実験施設は火災に在ったりして結局実現しなかったし、彼の死後にFBIにより資料は持ち去られたとか・・・・
いかに世の中が「利権」を持つものに牛耳られ、我々がいかに彼らの思うままに操られているかは、自分が学ぶ気があれば、いつでも知ることができる。
せっかくの神さまの贈り物を、一部の欲に駆られたものは存在を葬り去っている。
(資)文化財復元センター おおくま
この本は今朝の「エニアグラム」の中の「9つの性格」と同一の著者である。
実はエハン塾で、エニアグラムをエハン・デラヴィ氏が紹介するときに、日本で始めたそれを紹介した人として彼女の名前を挙げていた。
確かその時、シスターだと言っていたように思う。
で、その本を注文した時に、同時に彼女の数冊の著書の中にこの本はあった。
そして最初に気になるエニアグラムについて書かれた、最初の本を読んだ。
彼女は東大の大学院を出て、フランス、イタリアに留学した才女の様である。
彼女はシスターという事で、エニアグラムに関する本を翻訳したことで、それから自分でも何冊もその手の本を出されたのだと思う。
ただ・・・
そのエニアグラムの本は、男言葉で「○○だ」「だろうか?」「している」と言う口調なもので、正直「本当にシスターなのかな?」と思ってしまった。
しかもその本は企業のセミナーなどで彼女が教えていると言う。
なんか聖職に在るものが??と思って、少しがっかりしたのだが、しかしこちらの本はまるで別人が書いたようにさえ思える。
まさにキリスト教のシスターと言う立場の人が、死を前にした人々と接して、その人が残した言葉をいくつも集めたものだが、最初にこの本を注文した時は「死にゆく者」と言うから、病院のベッドの中で今にも死のうとしたときの「臨死体験」でも集めたものかと思っていた。
しかし、読み始めると、久しぶりに何度も何度も涙が止まらなくなった。
それは1年ほど前に、高橋信次の書いた小説「愛は憎しみを超えて」と言う本を、最初に読んだ時の気持ちに近い。
あの時も主人公の母親と主人公の少年時代の苦労を、涙なしではとても読み進められなかった。
そんな経験をして、私の心が洗われたのか?それから気持ちの安らぎを得られるようになり、慢性の胃潰瘍は完全に消えた・・・
今回、この本の最初の部分には、人は死がまじかにら迫ると「仲よし時間」と呼ばれる、一時急に元気になり、そして自分の人生で「やり残したこと」、または「和解したい人」のことを思い出すと言う。
それは燃え尽きる前のろうそくに似て、一瞬炎が大きくなり、最後の輝きを放つと言う。
彼女は自分自身も一度臨死体験をしているらしく、またシスターと言う立場上、多くの人の死に立ち会った。
それを集めたものだが、特に前半は津軽に住む「大原紫苑」と言う女性を中心に、その人の体験を綴っている。
その紫苑さんは自分の夫を看取った後、ボランティアとして近くの老人ホームの後援会の代表をしたり、人生に疲れた人々を自宅に泊め、おいしい手料理を食べさせ、そして心を開かせて当人の話を聞く・・・・
そんな活動を長年やっている人らしいが、その人の体験した話の一つに、その老人ホームはカトリック系の老人ホームらしく、著者もそんな関係で頻繁に出向いていたらしいが、その老人ホームや地域の施設に多額の寄付をしてきた「今井先生」と皆から慕われる、地元の会社の社長がおられた。
彼はとてもできた人物で、自分の会社の従業員で仕事中に事故にあい、片腕をなくした青年をその老人ホームの仕事に世話した後も、その青年をずっと陰から見守られていたらしい・・・・
彼は地元でも有名な人らしいが、子供の頃に貧しい子だくさんの農家に生まれ、独力で会社を作りがむしゃらに働いてきた人らしい・・・
その人が病院のベットの中でその紫苑さんに「私はがむしゃらに働きぬいてきた」「紫苑さん、私はもっと楽しみたかった」と呟いた。
まさに、自分がやり残して悔いが残る気持ちを整理しているわけである。
そして急に泣きじゃくり始めた・・・
紫苑さんはその今井先生の肩に手を回し、安心させるのだが、すると彼は「かあさん」と呼んだ。
紫苑さんは「はーい」と返事を返すと、ゆっくりと彼を寝かせた・・・・
さらにかれはまた「かぁさん」と唇が小さく動いた。
すると紫苑さんは「かぁさんは待っていますよ。これからずっと一緒ですよ」と、心を込めて答えた。
そして
透き通った声で
かあさんはよなべをして
手袋編んでくれた
木枯らしふいちゃ冷たかろうて
せっせと編んだたよ
と、歌い始めた。
どうもこの歌はこの地方をうたったものらしい・・・
すると、その病室に居た奥さんも家族も、そして部屋の外で待機していた彼の会社の関係者や、病院の医者と看護婦まで一緒に合唱し始めたと言う。
紫苑さんと著者はそれを聞きながら病院を後にした。
彼はその歌を聞きながら、天国に旅立った・・・・
こんな感じで、人は死をまじかにすると、人生の整理をし、心安らかに死への旅路へと旅立つ。と言う話がぎっしり詰まっていて、何度も読んでいて涙してしまった。
(資)文化財復元センター おおくま