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「スーフィーの賢者 ルーミー ”その友”に出会う旅」 エハン・デラヴィ著  その1
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先日、この本の紹介を試みたのだが・・・
 
エハン・デラヴィ氏の10代~20代の求道の凄さに、思わず立ち止まってしまった。
そして、再読を試みている最中である。
 
 
まずこの本の中心になっているのが、「スーフィー」と呼ばれるイスラム教の「神秘主義集団」の偉大な教師であり詩人である「ルーミー」なのだが、エハン・デラヴィ氏はエハン塾の動画「究極のスピリチュアル詩人ルーミーの紹介で、世界で一番売れている詩人だと言う。
 
その彼の詩を紹介しながら、エハン・デラヴィ氏は「アブドゥール・シャ・フランディ・ハシム」と言う、イスラムの求道の別人格として、その若き日の体験を綴っている。
 
さらにもう一人、ルーミーより少し年上の「アッタール」と言う詩人の、「鳥の会議」と言う有名な詩を間に挟みながら、話を進めている。
 
彼は動画でも話していたが、ルーミーは若いころから、イスラム教の教師と言う立場にあり、多くの弟子を抱えていた。
 
しかし、彼はその時点では悟ったとは言えない状態だったと言う。
 
ある日、彼の前に「シャムス」と言う、見るからにみすぼらしい貧者が現れた。
シャムスは、ルーミーの周りに積み上げられた本を、池に投げ入れた・・・
 
ルーミーは怒ったのだが、シャムスは今度は池の中に入り、投げ入れた本を水から引き揚げ、ルーミーの前に差し出した。
 
するとその本は濡れてはいなかったと言う。
 
その時、ルーミーはこの人こそ自分の偉大なる師だと直感したと言う。
それからしばらく、ルーミーはシャムスの元で学ぶのだが・・・・
 
いずれ、師は消えた・・・・
 
どうも嫉妬したルーミーの弟子たちが、シャムスを葬ったようである。
 
それからルーミーは嘆き悲しみ、そして詩を書き始めた・・・・・
 
 
そして、話はさかのぼり、若きルーミーは父親に連れられ旅の途中に、当時すでに名の知られていた「アッタール」と出会う。
 
アッタールは若きルーミーが、いずれ彼の父親を超える偉大な指導者となることを予言した。
 
 
そのアッタールの「鳥の会議」と言う有名な詩があるらしく、内容はフーポーと言う鳥が全世界の鳥たちを集めて、鳥たちの王のもとにみんなで行こうと誘う。
 
しかし、一部の鳥たちは「口実」を作って、参加を嫌がり、残った鳥たちを連れて、長く厳しい旅に立ったと言う。
そして、たどり着いた鳥たちは随分と少なくなったが、その王様の宮殿に通され、王と面会することとなる。
 
しかし、幕が開くと、そこには王の姿がない・・・・
 
フーポーはたどり着いた30羽ほどの鳥に、本当の王は貴方たちの内に居るんですよと告げた・・・
 
つまり「神は自分の中に在る」という事を、鳥に例えて教えた詩である。
 
ルーミーにしろ、アッタールにしろ、イスラム神秘主義の教師であり、それを詩を通して教えた。
 
 
 
 
一方、若きエハン・デラヴィ氏は19歳の歳の初めての日、アフガニスタンの安ホテルのベッドで赤痢で苦しんでいた。
見かねたホテルの主人は、薬だと言って脂っこい黒い塊を彼にくれた。
 
彼はそれを飲んだのだが、逆に嘔吐と下痢がひどくなったらしい・・・
 
実はその薬とは「生のアヘン」だったと言う。
 
精製すれば麻薬だが、生のものは現地では薬として使われていたと言う。
 
彼は激しい副作用に襲われるが、その間に幻覚を見たらしい・・・
 
そして、翌朝目覚めると、赤痢は治っていたと言う。
 
エハン・デラヴィ氏は若いころから「執着」を無くすために、所持品もお金も極力持たずに旅を続けた様子。
 
 
1970年代の初頭、本気でスピュリチュアルな革命を起こそうとする若者たちが、世界中に居た。
彼らはヒッピーと呼ばれ、精神世界へ旅立っていった。
 
彼もその一人だが、多くはインドを目指したが、やがてベトナム戦争も終わり、目的を失った彼らは元の生活に戻った。
 
その一部はヤッピーと呼ばれ、ビジネス世界で成功を収めたものも多い。
 
 
そんな中、若きエハン・デラヴィ氏はまだ旅を続けていた。
 
 
 
この本には一つのエピソードが記されている。
 
アメリカの大統領と言うと、どうしても「正義を守る保安官」を自称するものが多く、9.11を自作自演させたと噂のジョージ・W・ブッシュ統領のような、悪党が多いのだが、ジミーカーターは1980年代、アラブとイスラエルの和平会談に力を注いだと言う。
 
その会談は失敗に終わろうとしたとき、その夜カーターはベギン首相に小さなギフトを渡したと言う。
その中身はベギン首相の孫のために、自分の写真にサインを入れたものだったと言う。
 
会談は失敗に終わりかけたとき、カーターの真心のこもったプレゼントに、ベギン首相は翌朝、平和協定書にサインをしたと言う
 
 
ベギン首相は筋金入りのテロリスト出身であったが、信仰心は厚い人だったと言う。
 
カーターは現役を退いた後も、貧しい人々のために自ら大工となり、家を建てると言う地味な活動を続けたり、イスラエルのパレスチナに対する行いを非難したり、エハン・デラヴィ氏は彼は本物のスピリチュアルな人間だと言う。
 
 
 
(資)文化財復元センター  おおくま
 
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