昨日の午前中、受けた1本の電話。
文化財復元センターですか?
実は私は、最近藤森神社の近くに越してきたのですが、いつも朝の散歩のときに神社内に貼ってあるポスターがとても気に入り、ぜひ自宅に飾りたいので分けてもらえますか?
へぇ・・・去年の暮れにfacebookの友達と全国の社寺に送った、「弥勒下生」と題した笠置寺弥勒磨崖仏のポスターをわざわざ自宅に飾りたいと思う人も居るんだ・・・・と、とてもうれしくなり、午後からその電話の主と藤森神社で待ち合わせ、手渡しする事にした。
facebookの友達からは多くの反響があり、いくつかの社寺に貼っていただいているもので、まず友達リストで「藤森神社」の関係者を探した。
しかし見当たらず、DMとして全国の社寺に資料を送っているので、そのリストを見ると、確かに入っている。
昨年発送後に、そのリストに入っている笠置寺と縁のある寺の住職は、「奈良大で教えているので、学生に見せる」とハガキをいただいたが、それ以外は過去3回ほどDMとして資料を送った全国の社寺から反応は皆無であった。
しかし、うちの顧問曰く「送った資料はちゃんと保存されているはず」「何かあったときには必ずそれが生きる」と言われていたが、すぐには仕事に結びつかなくても、ちゃんとこういう形で反響があることを確認できた。
早速藤森神社で、どこにポスターが貼られているのか?探したら、鉄筋コンクリート建ての受け付けのような建物の向かいに、絵馬堂のような平屋建ての建物があり、そこにはペンチがいくつかあったので、休憩所や待合室として使われているところに、周りに金色のフイルムを貼り、その上にいくつかのイベント関係のポスターが、ずらりと貼られていた。
その広いスペースのちょうどど真ん中に、なんとうちのポスターが貼られていた。
しかもなんとその脇を固めるのが、「国宝・大神社展」であったのにはびっくりしてしまう。
恐れ多い気持ちを抱いた。
で、少し早い目に到着したのだが、その電話の主もすぐに現れた。
話を聞くと、元ホテルマンで、最近この近くに越してきたという。
もともと京都生まれの京都育ちだが、若いころに長野のホテルで数か月アルバイトをした。
期間が終わり、社長に挨拶して帰ろうとしたら、リゾートホテルを作る予定があり、それを手伝わないかと声をかけられたらしい。
それからいきなり、そのリゾートホテルの初代総支配人に抜擢されたという。
長年長野のリゾートホテルに勤めた後、また京都に戻ったらしく、京都のホテルに勤めたり、京都の有名寺院の館長の直筆の書を売り歩いた時期もあるという。
さすがに長年ホテルマンをされていた方だけあって、人当たりはとても柔らかい。
このポースターをわざわざ届けていただいたお礼に、人脈を使い、人を紹介したいといっていただいた。
この仕事は技術だけではなかなか仕事に結びつかず、そこには「紹介者」を必要とするのだが、生憎私はモノを創るのは得意であるが、人付き合いは決して得意ではない。
それが足を引っ張っているのだが、しかし「縁」と言うモノがそこには絡んでいて、いくら一人で精いっぱい頑張っても実現できないことも、時期が来てそういう人と「縁」が繋がることで、今まで実現できなかったことも可能となる。
人との縁とはそんなもんであり、自分に欠けている部分は補ってくれる人が必ず現れるものだと思っている。
(資)文化財復元センター おおくま
先週、顧問を通じてアメリカの財団に、この仕事への理解と支援のメールを出した。
その返事がすでにいくつか返っているが、結果としては理解はしてもらったが、支援には結びつかなかった。
ところが今朝起きてみると、また1通のメールが返っていた。
英語が苦手なので、機械翻訳ソフトで訳すと・・・・
どうもその財団は、仏教関係の支援をしている財団らしく、うちの仕事に興味を示し、上限が5000ドルだが「特別交付金」の申請するように勧めてくれ、その書類を委員会に転送するという。
審査会は年2回で、次は7月だという。
それまでに書類と資料を提出するよう促してくれている様子。
後の作業は顧問のところの担当者と、打ち合わせをしながら進めるが、しかしながらやはり海外でもこの仕事はちゃんと評価いただいた証拠として、何よりの朗報である。
ドル建ての支払いなので、最近の円安はとてもありがたい。
アベノミクス、ばんざーーーーーい!!
このタイトルの言葉は、時々耳にする。
当社の「デジタル復元」の説明をすると、よく聞かれるのは「こんな仕事をされているところは、どれくらいあるのですか?」と。
わたしはすかさず「いえ、うちだけです」と答えるのだが、「えっ??」と返される。
なかなか信じてもらえないのだが、十数年前にこの仕事を始めるときに前例を探した。
わたしはもともと写真の専門家だが、デジタルが普及し始めた当時、デジタル画像については全くの素人だった。
だから、とにかく見本となる前例を、インターネットでずいぶん検索した。
そこで見つかるものは、絵画の修復時に、赤外線や紫外線撮影という技術があり、修復跡などを調べるのに使われている程度で、デジタル画像としての復元例は、何一つ見つけることができなかった。
そして現代、ネットを検索したり、テレビの特集番組などを見る限りにおいて、未だに同じ技術は世界中を探したとしても、存在しないと確信している。
こんな小さい会社にできることが、大企業にできないはずがないとどなたも疑問を抱かれる。
5~6年前だったと思うが、事務所がまだ枚方にあったとき、DNPから電話が入り、復元技術についていろいろと聞きたいとのこと。
その後数回にわたり、「匠プロジェクト」のスタッフが数名来られ、こちらもDNPを訪ねたことがある。
御存じのように、このDNPの匠プロジェクトは、有名社寺の襖絵などのデジタル複製で、多くの実績を持つ。
にもかかわらず、復元技術は持ち合わせていない。
またその後、京都に本社を置く「日本写真印刷」も、新聞を見てうちに訪ねてきた。
ここもデジタル複製では、多くの実績を持つ。
また、今から10年近く前だと思うが、京都市のある関係者から「凸版印刷」と「日立の研究所」を紹介され、東京まで行ったことがある。
日立の研究所は、うちの技術とはまた別な方法で文化財の復元の研究をされていたのだが、実は凸版印刷は初めてではなく、紹介される以前に、京都市の文化財関係の友達の紹介らしく、向こうからわが社を訪ねてこられている。
その時の話は、凸版はバチカンと印刷関係でお付き合いがあるらしく、古い印刷物の復元の相談で来られた。
そして昨日、またDNPの営業のリーダーと名刺に書かれた人が、いきなり訪ねてきた。
うちのホームページを見たという。
しかし私は以前に、匠プロジェクトからえらい目にあわされた経験があり、冷たくあしらい、おかえり願った。
(資)文化財復元センター おおくま
ここは「けいはんなプラザ」の「ラボ棟」というビルの9階なのだが、ここの3階には京都府や精華町や奈良県等の行政から出向されたり、大企業からの出向組が、ここに入っている企業を支援する組織があり、うちもいろいろと動いていただいたが、結局仕事が特殊なので、製造業のようにうまくマッチングがいかない。
その事務所におられる地元「精華町」の担当者が訪ねてきた。
大した話じゃないが・・・・と言われながら聞いた話だが、最近「(資)文化財復元センター」について訪ねる電話が、精華町の役場に続けて2本入ったらしい。
何分社名が、柏原考古学研究所や奈良文化財研究所などと、同じに思えるらしく、精華町と関係があるのか?というような内容だったらしい。
電話を受けた担当者が、逆にうちのホームページを見て「すごい・・・」と感心していたと、ここの担当者は伝えに来た。
実は、私は大阪府の「なにわの名工」と、京都府の「現代の名工」とを持っているのだが、その京都府への申請書類を書いていただいたのが、その方で、来年は政府の「現代の名工」へ応募したいと思い、また精華町から推薦してもらわなければならず、当社の知名度アップに、その問い合わせ電話は役だった模様。
(資)文化財復元センター おおくま