ネットの当社の技術を知り、電話で相談されたのだが、父親が残した日記を、その世話をしていた兄弟が改ざんした疑いがある。
つまり一部の内容がどうも消された形跡があり、それを復元できないか?
と、いう話であったが、1ページだけではなく、数ページあるという。
費用的な話は電話ではしなかったが、依頼したいので自分で車で持ってくるという。
来られ、日記を見せてもらい、そして費用的な話をした。
どうも、遺産相続が絡んでいる様子で、父親と同居していた兄弟には月々食費として数万円が払われていたにも拘らず、亡くなった父親の財産分与について、面倒を見ていた手間を月々数万円として、数年分・・・・・
自分の取り分であると主張しているとのこと。
しかし、依頼人は、父親は同居していた兄弟の扱いに不満を持っていた様子で、近所の人に愚痴を言ったり、警察を呼んだりしていたとのこと。
つまり、父親はその不満を日記に綴っていたのに、その部分をどうも不利になるからと消した形跡がある。
それを裁判で証明してほしいと言われ、当社で調べた結果を「調査報告書」として依頼人に渡した。
それを裁判の証拠として提出するとのこと。
当社もできればネットに掲載したいと申し出ると、承諾いただいたので掲載した。
ある裁判のための調査報告書
いつもの目的地である宗像大社に着いたのは、出発した翌日の夕方。
すでに本殿の入り口の門は閉まっており、中には入れなかったが、取りあえず入り口の門の写真は撮れた。
周りはすでに薄暗くなっていたが、α7Rはミラーレフカメラであるが、ファインダーは付いており、そこには電気的な画像が見える。
このミラーレフはなかなかの優れもので、暗い所で、暗いレンズを付けていても、明るく見えるし、ピントの山を電気的に検出してくれたり、最大の特徴は真っ黒の赤外線フィルターを付けているのに、ちゃんと撮影画像が見えるのである。
これはとても私にはありがたい性能で、しかもISO1600くらいで撮っても、ノイズキャンセラーが働き、滑らかな画像となる。
しかもロウファイルで撮って、現像ソフトでずいぶんと弄繰り回せる。
本殿は撮れなかったが、二の宮・三の宮は撮れた。
それから高宮へ真っ暗な中行ったのだが、途中に空間に何やらキラキラと光るものが見える。
真っ暗な中、カメラと三脚を構えて上るのだが、行き先を示してくれているような、ひのキラキラと光る光・・・・
実は五月だというのに、ホタルらしい・・・・
高宮の周りには無数にホタルが飛び交っていたのだが、あいにく赤外線撮影では撮れなかった。
また、高宮にカメラを向けたが・・・・
ISO6400に感度を上げても、全く何も写らなかった。
(資)文化財復元センター おおくま
数ヶ月前にもこの場所に行った。
神々の棲家
その時も書いたのだが、余りにも人が作るには規模が大きい・・・・
しかもあの巨木の曲線をあれだけ見事に使いきって作られている。
それはまさに「作る」ではなく「創る」という文字にふさわしい雰囲気である。
実際に作ったのはあの土地の持ち主である農園主だということだが、しかしおかしいと思わないか??
あれだけの規模のものを、自分の土地に建てる。
使われた杉の巨木はたとえ無料だとしても、運搬費・組み立てるための重機の費用、そして一人で作れるものじゃないから、少なくても延べ数百人分の労賃。
あわせれば数千万円はかかっていると思われる。
しかし、無料の施設であり、その施設が金を生むことは無い。
単なる道楽で作るには、余りにもスケールがでかい。
以前、私はそこを「神々の棲家」と評した。
ちょうどギリシャのアクアポリスの神殿のような規模。
人が住むには余りにもデカい!!
どう考えても、その農園主にはこれを作って、それに見合う「見返り」があるだろうか???
そう考えたとき・・・・
答えはひとつ、彼は「何らかの力」から指示されて「創らされた」と、私には思えてならない。
じゃ、その何らかの力とは??
そう、「神」としか言えないと、私はあの時感じたのだが・・・・
今回どうしてもあの場所をもっと本格的に撮ってみたいと思い、九州まで出かけたのが一番の理由である。
そして、高千穂へ行く途中に、ちょうど昼過ぎだったと思うが、やっとこの場を突き止めた。
そして、今回「赤外線撮影」でとったのだが、それをノートに取り込みじっくり見たら・・・・
今度は夜の暗闇で撮ってみたい思ったので、帰りにもまた寄り、夕方になるのを待って再度撮り始めた。
これはその昼間の光で撮った、1回目の写真である。
あぁ、言い忘れていたが、私が前回ここを「神々の棲家」と表したのは、そう「思った」からなのだが・・・・
再度、この場所を突き止め、やっとのことでたどり着き、カーナビにその場をセットしょうとした時、やっとこの場の地名が判った。
その地名とは・・・なんと「高森町」の「山ノ神」という地名なのである。
私の感は的中していたことになる。
地名が、この施設ができた後に付いたとは考えられないから、まさにもともとここには「山ノ神」が住んでおり、持ち主である農園主は自分で意識しているとは考えられないが・・・・
まさに「山ノ神」から指示されたこの施設を創ったと考えるのが、私は一番自然だと思う。