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青い鳥・dビデオ

随分と無料のお試し期間に、配信動画サイトで、多くの作品を見た。

それは私にとって、「学び」の時間だったと思うが、いろいろと感じることがあったし、またそれを少しでも多くの人に知ってもらうためにブログにも書いてきた。

無料期間も終わり、月々500円を払って入るのだが、逆に金を払いだしてから、見たい映画も少なくなり、また見る時間も減った。


そんな中、今日は久しぶりに「いい・・・」作品を見た。

2008年の邦画なのだが「青い鳥」と言うタイトルである。

ストーリは阿部寛演じる中学の臨時教師が、自殺未遂事件を起こした中学2年のクラスの臨時の担任となる。

阿部寛は、実は私は余り好きではない・・・
好き嫌いで言うと、確かに好きではないのだが、今回の役どころはすばらしいものと思う。

彼はドモリの国語教師なのだが、最初はその事件を起こしたクラスのみんなから馬鹿にされる。
実はいつもの彼のかっこいい役とは反対の、さえない教師を演じている。

だけど・・・
その教師には「こころ」がある。

彼はクラスのみんなからいじめられ、自殺未遂を起こし、他の学校へ転向した生徒の使っていた机を、わざわざ倉庫から教室に運ばせる。

そして、元居た場所に机を置き、転向したその生徒に話しかける。

最初はクラスのみんなは、そんな彼の行為に反抗的なのだが・・・・

最後は彼のやっていることを理解する。


学校側はクラスの全員に、事件後に「反省文」を書かせて、それでけじめをつけたものと片付けたのだが、実はその反省文は、学校の教師が目を通し、何度も何度も原稿用紙5枚以上になるように、書き直させたもの。

阿部寛演じる先生に、若い女性教師は、その事実を伝え、「書き直させるたびに、生徒たちの顔が見えなくなった」と正直に話す。

私はこの作品は実に「リアル」に現代の教育の間違いを指摘していると感じた。


先ほど、中学の社会見学を毎年受け入れていると書いたのだが、過去に書いた文に、最初のころに生徒が書いたお礼状は一人ひとり個性があり、素直な気持ちが書かれていたが、ある年から、代表の生徒一人が大人の書くお礼状の見本を丸写しした礼状が届いた。

私はがっかりして、翌年の受け入れを止めようと思ったが、あくる年にまた関係者から頼まれた。

そのとき、そのお礼状を担当者に見せ、こんなことではこちらとしては受け入れたくないとはっきり言った。

するとその担当者は、役場の担当者経由で、その話を学校に伝えたらしい。

すると学校側は、今年は改善すると返事を返してきたので、私はまた受け入れたら・・・・

その年、届いた礼状は、反省どころか、改悪されていて、5人の生徒がみな同じ書き出しの文章を書き、最後に少しだけ自分のかんじたことを書く。

そんな礼状が届く、なおさらがっかりした。

しかし、学校側はそれが正しいと思っているわけだ・・・・

失礼が無いように例文を渡し、生徒はそれを丸写しする。

そんな心のこもっていない礼状を書かせるのは、はっきり言って、今の教師そのものが、「教育とは何か?」を勘違いしていると私は思う。

その勘違いしている教師と学校側の対応、つまり生徒全員に反省文として「5枚以上」を義務付け、それを一人ひとりの反省文を幾人もの教師が読み、その問題点を書き直させる。


まったく「あほかぁ・・・・」としか言えない様なことを教師がさせる。
でも学校側も教師も自分たちは正しいことをしていると、勘違いしている。


まさにその部分が、この「青い鳥」ではリアルに描かれている。

ぜひ、現役の教師と学校関係者にこそ、見てもらい作品だと思う。


じゃ「人を育てる」とはどういうことか?
それができないのが現代の教育制度であり、教育者だと思うのだが、私がまた社会に出たてのころ、世の中には「見習い募集」とか「中習者」なんてな言葉があった。

また私自身、高校を卒業したとき、知り合いからホテルのレストランのコック見習いを薦められた。

私は時代遅れだと行かなかったのだが、まだその当時「徒弟制度」と言うものが世の中には残っていた。

当時は住み込みで技術を身につけるために、親方の下で暮らす。
親方は実の親のように、その弟子の面倒を見て「一人前」に育てる。

それは技術を教えるのではなく「人として」何が大切か?それを身をもって学ばせる。

そう、教えるのではなく、「自ら学ぶ」様に仕向ける。

そうやって、昔の人は「一人前」に育った。

だから、その人は次の世代を育てられた・・・

ところが現代はそんな制度も死語となり、間違った「教える」教育が行われている。

これじゃ、物事を自分で判断できない・・・・

そんな育てられ方をした世代が、次の世代をまともに育てられるはずも無い。

教育関係者の方々・・・是非反省していただきたいと私は思う。

(資)文化財復元センター  おおくま

高千穂神社とくるふし神社(赤外線撮影)

私が高千穂へ行くきっかけは、地元である枚方の「片埜神社」で不思議な話を聞いたことをはじまりとする。

地元のその神社でよく見かける人のよさそうなおじいさんが、神社の奥さんに不思議な話をしていた。

そのおじいさんをよくその神社で見かけるのは、おじいさんが寝ていると枕元に神が立ったという。

その神は「」高千穂へ行け」と告げたらしく、そのおじいさんは知人に連れられ高千穂神社に行くと、白髪白ひげの老人が近づいてきて「3か月前から待っていました」と告げた。

そしてその老人は、その枚方のおじいさんに向かい「老人のためのユートピアを作れ」と神が言っているという。

実はそのあとに話が続くのだが、そこをカットすると、要するにそのおじいさんに地元の片埜神社や、長野の諏訪大社、福岡の宗像大社、奈良の大神神社へ参れば、神が力を貸してくれると言われたという。

それを又聞きして、私も出かけるようになった。

そんなきっかけで、宗像大社へ来たときは必ず高千穂へも寄る。

その高千穂神社のすぐ近くに「ニニギ」を奉ったくるふし神社があり、いつしかそこにも寄るようになった。

ニニギはある霊能者に言わせると、私の前世と深いかかわりがあるらしく、実際に一度行ったときに、帰りに左くるぶしが大きく腫れたことがある。

そんなかかわりの深い神社である。

 

(資)文化財復元センター  おおくま
高千穂神社
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くるふし神社 
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天岩戸神社と天安河原(赤外線撮影)

天岩戸神社には、時間があるときに寄る。
いつも関西から高千穂へとんぼ返りで来るので、2回に1回ぐらいしか、こちらには寄れない。
神社の雰囲気も凛としていて絵になるが、それより天安河原へ時々よるのだが、そこがまた無気味な世界である。

山の神の棲家も異様な雰囲気だが、ここは賽の河原を思わせ、なにか霊的な雰囲気が漂っている。


(資)文化財復元センター  おおくま
天岩戸神社
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天安河原
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私の生まれた場所(赤外線撮影)

私は福岡の甘木で生まれ、小学1年の時に大阪へ来た。

以後半世紀・・・・
その間一度も田舎には帰らなかった。
帰ったところで誰もいないのだが、しかしそれまで望郷の念など一度も起こさなかった。

ところが数年前に、もう一度この目で見てみたいと探したことがある。
ちょうど近くに歴史資料館があり、そこの職員が親切に探してくれ、近くまで送ってくれた。

その時覚えていたのは近くに小さな神社?があったこと。
それをいくら探してもわからなかったが、結局たどり着くと、そこはお稲荷さんだった。

生まれ故郷探索

そこを再度訪れ、今度は赤外線で写真を撮ってきた。

幼稚園の時、私はその路地から飛び出し、バイクに曳かれた。

実は最近ある人とメールのやり取りをしていて、その人は2歳の時に溺れかけた記憶があるという。

その話を聞き、ふと私も気が付いた。

家から、お稲荷さんの横の路地を走って抜け、バイクとぶつかったのだが、相手はバイクで豆腐を売り歩く人だったらしい・・・

と、これなら、普通のどこにでもある交通事故の話なのだが、実はその豆腐屋さんは、寺の住職の息子だったらしく、退院してから母に連れられ挨拶に行った。

で、ふと気が付いたというのは、私は子供のころよくそのお稲荷さんで遊んだ。
横の塀をよじ登り、飛び降りたりしていた。

そこで事故にあい、相手は寺の関係者??
これって、どう考えても偶然ではないことに気が付いた。

たぶん、私の不思議体験はすでにこの時にははじまっていたものと思う。

なぜなら、先ほどの2歳で溺れた記憶といえば、「臨死体験」を意味する。
私もたぶん事故の時に「臨死体験」していたのではないかと思う。

50年ほど前に亡くなっている高橋信二も、子供のころに何度も心臓が止まるという奇病に悩まされ、シスター鈴木秀子も、若いころに泊まった教会の二階の階段から落ち、死にかけてから、人を癒す力を授かり、春日大社の宮司を務めた葉室さんも、若いときに肺結核で吐血し死にかけている。

すべて「臨死体験」をしていることになる。

この臨死体験と霊的な力は因果関係があるのかもしれない。

 

(資)文化財復元センター  おおくま
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追伸
ふと今気が付いたのだが、わたしの生まれた場所は現在空地となっている。
私が育ったころ、父親はここでアンコ屋を営んでいた。
ボンボンとして生まれたのだが、その後仕事を廃業し引っ越した。

そのあとに誰かが同じような仕事をしていたと聞いているが、そこも廃墟となっていたらしく、20年近く前にネットで知り合った人から跡地の写真をもらった記憶がある。

しかし、周りは住宅地であり、子供のころは周りに空地があっても不思議じゃなかったが、今の時代に空地としてそこがずっと残っているということも、確かに不思議といえば不思議である。

 

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