20日、高台寺で行われていた、数珠巡礼の会の幹事会でのプレゼンに行ってきました。
先にプロジェクターの準備を済ませておいたのですが、いざ始めると、パソコンがつかなかったり、ずいぶん焦ったのですが、なんとか終了し、参加寺院の承諾を得、6月に行われる総会でのプレゼンの機会を得ました。
facebookの友達を時々訪ねているのだが、今回は名古屋の「想念寺」を訪ねた。
珍しく町中にある寺で、住職に聞くと、戦争で焼け野原になり、そこに建てられた寺なのだが、現在は広い道路に面する町中となっている。
まず寺の本堂の横の応接間に通されたのだが、そこには素敵な衝立が立てられていて、なんと後ろが透けて見える。
よくよく見ると、泳ぐ鯉は刺繍されている。
で、実は本堂を覗かせていただいてびっくりしたのは、まだ新しいお位牌や、遺影が両サイドに所狭しと並べられていた。
聞くところによると、町中で墓がないとか・・・
しかし、古いお位牌を置かれている寺は見かけるが、ここまで多くの新しい位牌の山は見たことがなかった。
で、その本堂の奥に新しく建てられた地蔵堂があり、そこの通路に、弥勒仏のポスターは目印として貼られていた。
しかもその奥の地蔵堂には数多くの地蔵仏が安置されているのだが、なんとこれらは中国の寺から時々送られてくるものらしい・・
この地蔵堂はいろんなイベントや、訳の判らない人々のたまり場として解放されているらしく、住職の渡辺さんはまだ40代半ばだが、いろんなボランティア活動をされているらしく、昨日もプラモデル愛好家のちょっと危ないオトコがたむろしていた・・・・
でも、一緒に行ったものも「暖かい寺 」と言っていたが、まさに寺の名の通り「想い」と人々の「念」がいっぱい詰まった寺であった。
(資)文化財復元センター おおくま
さすがに25キロ超えたときは、写真を撮ることなど思いつきもしなかったが、長時間20キロを超えた数値を示していたので、夜中に1枚、そして朝方到着時にまた1枚写真を撮った。
その前日など、横浜から枚方まで高速で走っても、15キロくらいの数値しか示さなかったのに・・・
以前に「学芸員就職課」というサイトに、無給にもかかわらず、研修生募集を出しているのだが、その直後にある大学生から電話をもらった。
その大学は、去年1年間男子の研修生が来ていたのだが、案の定続かなかった。
また同じ大学か?と思い、話を聞くと、まだ3回生だという。
ずいぶん気の早い応募だと思い、その大学の教授に親しくメールのやり取りをしている人がいるから、その人に相談するように促し、電話を切った。
ところが先日またその彼から電話があり、一度伺いたいという。
聞くところによると、一度社会に出て、また文化財の勉強のために、今年編入したらしい・・・・
それにしてもはいりたてで、うちに興味を示すとは??
当人はデザインや映像の仕事をしていたらしく、それが一番の理由だろうと思うが、明日実際に会って話を聞くことになった。
(資)文化財復元センター おおくま
昨日、2時過ぎに彼が来た。
歳は20代後半・・・・
手土産は吉備団子・・・・といえば、大学がばれてしまう。
3回生と聞いていたが、どうも「社会人枠」らしい。
映像関係の仕事を長くしていたらしく、どうも両親とも文化財関係の仕事をされていたようで、特に亡くなった父親は発掘の会社をされていたとのこと。
そんな環境もあり、文化財に興味を持ち、文化財について学びたかったらしい。
ただ、彼も結婚適齢期なのだが、結婚をとるか自分のやるべき仕事をとるかを悩み、文化財の世界をとったという話だから、彼は結構真剣に人生を考えているね・・・
私の今どきのフッーじゃない話を、真剣に聞き、一言一言に感動していたくらいだから、彼も今どきのフッーの男じゃないなぁ・・・
彼は映像関係の会社で、撮影も編集もやっていたらしいから、うちにない技術の持ち主で、この仕事には大いに役立つ。
彼としては、まだ大学に入りたてであり、とりあえず3回生の時は、夏休みなどを利用し、うちの仕事にかかわりたいらしく、4回生になると、時間が取れるらしいから、本格的にやりたいらしい。
過去に50人ほどの応募があり、その半分ほどは全国から面接に来た。
ほとんどが、在学中の女子学生だったが、じっくり言って聞かせる僕の話に、感動はして帰るものの、後からは「やはり自信がありません」と、メー ルが返るものがほとんどだった。
彼も卒業したら30歳だから、よほど肝をくくってかからないと、続かないが、現時点では彼も頑張りたいとのことだった。
実際にしっかりした考えを持っているので、後継者としては有望な人材だと思う。
(資)文化財復元センター おおくま