先日、知人がアップした写真に私のタグがついていた。
最初はさほど気にもしなかったが、その写真にいろいろとコメントが付くたびに、私に連絡が入る。
ちょっと気になるので、その写真をアップした人にメールで聞いたら・・・・
私によく似た人が写真に写っていたので、勝手にタグ付けされたという。
しかも、タグの削除法が判らないという。
仕方がないなと諦めたのだが、しかしどう考えてもおかしいと思う。
つまり、自分がタグ付けしたのならともかく、知人がアップした写真に、「私と似た人が写っている」という理由だけで、アップしたものがタグを付けたわけでもないのに、「勝手に誤認識をして私だと決めつけられた。」
そんなことをfacebookは勝手にやる権利があるのか?と、つくづく腹が立った。
で、その誤認識であるにも関わらず、タグ付けされたタグを消す方法を探したが、結局facebookは「写真の誤認識」を認めていないと見えて、「間違いだから削除する」という項目が存在しない。
しかもその「タグだけ」を削除しようとしても、その「写真の削除」しかできないようであった。
それは知人に申し訳ないし、またコメントを付けている人にも申し訳ない。
私はその写真と関係ないということを示したいだけなのであり、その方法がないということが信じられない。
そんなに他人の顔を機械的に100%認識できると自信を持っているのだろうか?
また検索していたら、すでに消えてしまっているが、ドイツ政府がfacebookの顔認識のデーターベースの破棄を求めているという。
この技術を過信して、「人違い」だけで済めばいいが、間違いなくこんなことでは無関係のものを「犯罪者」扱いに繋がってしまう。
私は「目に見えない」世界をイヤというほど体験しているが、科学技術の過信は間違いなく「見えるものしか信じない」人々を、「先入観」で、罪のない人を犯罪種扱いすることにつながる。
2008年のイギリス映画らしい・・・・
当時確かにこの作品のタイトルが話題になっていたことは記憶している。
なんか、見たいような、見たくないような、そんな気がしていた。
舞台はイギリスではなく、インド。
スラム街育ちの青年が、クイズ番組を勝ち抜く・・・・
ずいぶんと大金がかかっているようで、「100万ルピー」まで勝ち進み、あと1問で全問正解となるのだが、放送時間の終了で、最後の1問は翌日に持ち越された。
ところが放送局は無学な青年が正解を知っているはずがない、インチキをしていると警察に通報し、警察では不法な拷問をされるが、彼はインチキを認めず、正解を知っていた理由を、自分の人生の中で語り始めた。
彼には兄がいた。
母親は暴徒に殺され、兄弟二人で詐欺や泥棒などで金を稼ぎ大きくなった。
一緒に暴徒から逃げた少女を含む3人は、子供を乞食として働かせる悪党に捕まり搾取されるが、結局少女は連れ戻された。
それから数年後、その青年はその少女を探すために、元の街へ戻る。
比較的新しい2013年の邦画である。
主人公は佐藤浩一演じる50歳のカメラメーカーの営業社員。
作品中EOSをはじめ、キャノンのカメラが何度も出てくるから、キャノンの社員という設定だろう。
彼は離婚して大学生の娘と暮らしているが、その娘はバイト先の主任の5歳の男の子が、母親の虐待で、自閉症になりしゃべらないので、その世話を焼いていたが、主人公にその一部を見られ、不倫と誤解される。
ところが、その仕事場の主任は出張のため、主人公と娘はその男の子を一時預かる羽目となる。
しかし、一度味を占めたその子の父親は、再度自分が転職するので子供を預かってほしいと、虫のいいことを言い出す。
主人公は断るが押し付けられながらも、その男の子と心を通わせるようになったものの、父親はその子を母親に渡すといって、また主人公にその役目を押し付ける。
ところがその子の母親は、再婚するから引き取るといいながら、結局引き取りを拒否し、主人公に押し付ける。
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2005年制作のドイツ映画らしい・・・・・
先日から何度も言っているが、人の「真心」とか「良心」というものは、たとえ大多数の人が信じる「万人の常識」は存在しなくても、自分の損得を捨てて、真から信じるものがあるとしたら、それらは「真心」であり「良心」だと思う。
そしてそれらこそ「万人共通」のものだと私は信じる。
さてこの作品、戦時下のドイツで「反ナチ運動」に携わった兄と妹の話。
特に妹の取り調べ中の「凛」とした態度で、信念を貫く姿が描かれている。
反ナチ抵抗組織「白バラ」のメンバーである、兄と妹は大学でビラを配った。
逃げる途中に捕まるが、二人は別々に取り調べを受ける。
その取調官の尋問に屈することなく、最初は無関係を貫くが、やがて証拠物件を突き付けられ、「自分たちがやった」ことは認めるが、決して仲間を売ることをしなかった。
取調官は彼女を誘導尋問に導こうとするが、彼女は冷静に取調官の質問を巧みにかわす。
しかし、自分たちがやったと認めた後は逆に取調官の過ちを正そうとするくらい、冷静で頭の切れる妹で、やがて取調官も彼女から逆に洗脳されようとしていた。
取調官は、妹の罪を軽くするために「兄を手伝った」と言えと本人にいうのだが・・・・
妹は凛として「それは私の良心に反する」と、それを拒む。
当然、反ナチ運動家は「有罪」は免れないのだが、それでも兄も妹も法廷で「たとえ今日我々がここに立たされても、明日は裁判官が立つことになる」とまで、公開裁判の会場に座るドイツの軍人を前にはっきりと主張する。
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2010年のフランスの作品らしい・・・
前回の作品は反ナチ運動の実話であったが、こちらは2006年に発表された小説を元にした作品らしい・・・
時代はやはり第二次大戦下のパリ。
ヒットラーのユダヤ人虐殺は有名であるが、フランスでも同じようにユダヤ人の強制収容があり、多くのユダヤ人が死亡しているらしい。
パリのアパートにすむユダヤ人家族が収容されたとき、子供は小さい姉と弟がいたが、姉はとっさに弟をタンスに隠し、弟に迎えに来るから待っているようにと促し、鍵をかけた。
しかしその家族は家に帰ることはできなかったが、弟を心配する幼い姉は強制収容所を脱出し、フランス人夫妻に匿われる。
その幼い姉の名は「サラ」。 サラとその夫妻は急いでその家族が住んでいたアパートへ向かうが、すでにそこには別の家族が住んでいた。
そしてサラは弟を隠したタンスの鍵を開けた時には、すでに弟はみじめな姿と化していた。
サラは最初に保護した夫妻に引き取られ、また弟の遺体もその夫婦が引き取り、あとからそのアパートに越してきた家族にも息子がいた。 父と息子はその一部始終を見ていたが、母親は外出中で知らなかったという。 » 続きを詳しく読む