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エラーが出ていた・・・
実は最初にこのサーバでHPを立ち上げたとき、http://fukugen.info/wordpress/ でないと表示されないのを、何とかwordpress.を消して、http://fukugen.info/ だけで表示できないかと、素人なりに調べたら、何とかできるようになった。
 
だから、メールなどへのHPのアドレスは「http://fukugen.info/」と、ずっと書いてきたのだが、うちのサポーターに言われて気が付いたら、そのアドレスではエラーが出るらしい・・・
つまり「http://fukugen.info/wordpress/」とちゃんとwordpress.を入れないと表示されなくなっていた。
 
いろいろとサイトを弄繰り回している間に、おかしくなった模様。
 
それが原因で、統計結果の検索項目に「文化財復元センター」と言うのがあったんやなぁ・・・
 
申し訳ない。
 
先ほど、サポーターのボランティアの知人に直してもらったので、とりあえず「http://fukugen.info/」でも表示されるようになった。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
「みなさん これが最後です、さようなら」樺太1945年 夏 氷雪の門
この映画も最終的に政治に葬りさられたものである。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
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「ゆだねるということ」(上) ディーパック・チョプラ著
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この本は「第8のチャクラ」の中で、この著者の名前が出てきた。
エハン・デラヴィ氏の著書にも、確か出てきたと思う。
 
Amazonで検索すると、ちょうど「ゆだねるということ」と題した本が上・下2冊出ていた。
 
私はこの「ゆだねる」と言うことについて、多くを知りたいと思い、2冊を取り寄せた。
 
いゃ、「愛への帰還」のマリアン・ウィリアムソンの2冊の本と同時に注文したのだが、正直言ってマリアン・ウィリアムソンの著書からは、もう一冊の『人生を変える「奇蹟のコース」の教え』にしても、私と相性が悪いのか、「はじめに」を読み始めた時点で、私には得るものがないことに気が付いた。
 
それから、この本を読み始めたのだが、小さくて比較的薄い文庫本である。
Amazonのレビューを見ると、シンクロニシティについて量子力学の面から書かれたもののようである。
 
まず書きだしは比較的読みやすいのだが、著者は「存在」を3つのレベルに分けている。
 
1.現実・物理的な領域
2.量子・エネルギーの領域
3.「すべて」である領域
 
問題なのは、この第3のレベルが「スピリチュアル」で、可能性の領域だと言う。
 
で、この領域でシンクロニシティが起き、奇蹟が起きるらしい?
 
そして、この領域をうまく使えば、人生は好転すると言う。
 
で、私は元々、シンクロニシティそのものは、すでにイャと言うほど経験しているから、今更その手の話を聴きたいわけではなく「ゆだねる」ということについて、知りたいからこの本を買った。
 
しかし、読み進めてもなかなかこの言葉が出てこない。
 
もう一つこの本に出てこないのが、「」と言う言葉と「」と言う言葉である。
なのに著者はスピリチュアルと言う言葉と「」と言う言葉を使う。
 
この著者、どうも医者でもあるらしく、死後の世界や神の存在は信じていない無神論者であろうか?
 
じゃ、「ゆだねる」相手は誰なのか?と言う話になるのだが、後半部分に入り「宇宙」にゆだねると言う意味の事が書かれている。
 
しかし、彼の言う宇宙は、「全てが一つ」の世界で、そこに自分の「思い」をうまく乗せ、そして結果をゆだねれば、希望は実現すると言う。
 

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「思いやりのチャクラ」キャロライン・メイス著 その1
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この本、私は「7つのチャクラ」と「第8のチャクラ」のあいだに書かれたものだと思っていたら、7つのチャクラは1998年、第8のチャクラは2005年で、この思いやりのチャクラは2007年らしい・・・・
 
どうも「チャクラで生きる」と言うのが2000年に出されているようである。
 
 
私は『「ゆだねるということ」(上) ディーパック・チョプラ著』の紹介の終わりに
 
昨夜、チョプラの本を閉じて、彼女のこの本を少し読み始めたのだが、やはり彼女の本は私に安心感を与えてくれる。
 
と、書いたのだが、それはまさに「はじめに」の最初の部分
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ローマ・カトリック教徒として育った子供時代、私とまわりの人たちは英語と天使のことばの両方を使うことができた。
 
奇跡は毎日起きてもおかしくなかった。
天使と聖人の、目に見えない力はあらゆる場所におよび、彼らの存在はあたりまえの事であり、現実であり、日常的な事だった。
 
彼らのことを信じないなんて、想像もできなかった。
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もう、この始まりだけで、彼女が霊や神と言う存在を、目に見える世界と同じように話すことが、素直に理解できた。
 
 
 
著者がいかに神の行いを知り尽くしているかは
 

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「思いやりのチャクラ」キャロライン・メイス著 その2
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外国の著書の翻訳本と、日本人が日本語で書いた本では、少し違いがあり、多くの海外の訳本には、「○○に捧げる」とか、あるいは短い格言のようなものが必ず書かれている。
 
人生には、ふたつの生き方しかない。 ひとつは、奇跡など存在しないかのように生きる生き方。
もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きる生き方だ。
 
                                                                         —–アルバート・アインシュタイン—
 
いい言葉である。
 
私はすべてが奇跡とまではいかないが、数多くのシンクロニシティを経験しているから、奇跡を信じない人生は送れない。
 
また、自分の経験したことを信じるから、最終的に自分の力の及ばない「目に見えない不思議な力」を否定できなくなり、それが最終的には「神の存在を信じる」こととなった。
 
人間は、人が宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部だ。
人は自分自身や自分の思考や感情を、他者から切り離されたもののように体験するが、それは意識の錯覚にすぎない。
 
私たちはこの錯覚にとらわれ、自分間欲望や自分の近くにいる数少ない人たちへの愛情に自分をしばりつけている。
 
けれども、私達は思いやりの対象を広げてことで、自分自身をこの錯覚から解き放ち、あらゆる生き物と自然全体をそのあるがままの美しさのもとで受け入れなければならない。
 
                       ——–アルバート・アインシュタイン——-
 
アインシュタインは、単なる物理学者ではなく、霊的レベルの非常に高い人であったらしい。
 
 
 

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