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「思いやりのチャクラ」キャロライン・メイス著 その1

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この本、私は「7つのチャクラ」と「第8のチャクラ」のあいだに書かれたものだと思っていたら、7つのチャクラは1998年、第8のチャクラは2005年で、この思いやりのチャクラは2007年らしい・・・・
 
どうも「チャクラで生きる」と言うのが2000年に出されているようである。
 
 
私は『「ゆだねるということ」(上) ディーパック・チョプラ著』の紹介の終わりに
 
昨夜、チョプラの本を閉じて、彼女のこの本を少し読み始めたのだが、やはり彼女の本は私に安心感を与えてくれる。
 
と、書いたのだが、それはまさに「はじめに」の最初の部分
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ローマ・カトリック教徒として育った子供時代、私とまわりの人たちは英語と天使のことばの両方を使うことができた。
 
奇跡は毎日起きてもおかしくなかった。
天使と聖人の、目に見えない力はあらゆる場所におよび、彼らの存在はあたりまえの事であり、現実であり、日常的な事だった。
 
彼らのことを信じないなんて、想像もできなかった。
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もう、この始まりだけで、彼女が霊や神と言う存在を、目に見える世界と同じように話すことが、素直に理解できた。
 
 
 
著者がいかに神の行いを知り尽くしているかは
 
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「思いやりのチャクラ」キャロライン・メイス著 その2

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外国の著書の翻訳本と、日本人が日本語で書いた本では、少し違いがあり、多くの海外の訳本には、「○○に捧げる」とか、あるいは短い格言のようなものが必ず書かれている。
 

人生には、ふたつの生き方しかない。 ひとつは、奇跡など存在しないかのように生きる生き方。
もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きる生き方だ。

 
                                                                         —–アルバート・アインシュタイン—
 
いい言葉である。
 
私はすべてが奇跡とまではいかないが、数多くのシンクロニシティを経験しているから、奇跡を信じない人生は送れない。
 
また、自分の経験したことを信じるから、最終的に自分の力の及ばない「目に見えない不思議な力」を否定できなくなり、それが最終的には「神の存在を信じる」こととなった。
 

人間は、人が宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部だ。
人は自分自身や自分の思考や感情を、他者から切り離されたもののように体験するが、それは意識の錯覚にすぎない。
 
私たちはこの錯覚にとらわれ、自分間欲望や自分の近くにいる数少ない人たちへの愛情に自分をしばりつけている。
 
けれども、私達は思いやりの対象を広げてことで、自分自身をこの錯覚から解き放ち、あらゆる生き物と自然全体をそのあるがままの美しさのもとで受け入れなければならない。
 
                       ——–アルバート・アインシュタイン——-

 
アインシュタインは、単なる物理学者ではなく、霊的レベルの非常に高い人であったらしい。
 
 
 
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「思いやりのチャクラ」キャロライン・メイス著 その3

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私はシスター鈴木秀子の文章にも何度も涙したのだが、この著者のキャロライン・メイスの文章も、今回のモノは特に胸に滲みるものが多い。
 
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昔、とても年老いた男がいました。
目はかすみ、耳は遠く、膝は震え、テーブルにつけばスプーンをもつのもむずかしく、テーブルクロスにスープをこぼしたり、口からしてだらだらたらしたりしていました。
 
息子とその妻はうんざりし、ついにその老人をストーブの裏側になる部屋の隅に座らせ、陶器のボウルに少しだけ食べ物を入れて与えるようになりました。
 
老人はいつも目を涙でいっぱいにして、テーブルのほうを見ていました。
 
ある時、老人は震える手のせいでボウルを落し、割ってしまいました。
嫁に叱られた老人は何も言わず、ただため息をつくだけでした。
 
それから、息子夫婦は安物の木のボウルを買い、それで老人に食事を与えるようになりました。
 
家族がくつろいでいた時の事です。
四歳になる孫息子が床に落ちていた木片を集め始めました。
 
「なにしているんだい?」父親が訪ねると、その子はこう答えたのです。
「小さな餌入れを作っているんだよ。 僕が大きくなったとき、父さんと母さんがご飯の時に使えるように」
 
息子とその妻はしばらく見つめ合い、やがて泣き始めました。
そして、夫婦は老人をテーブルに着かせ、その日からいつも老人と一緒に食事をするだけでなく、少々食べ物をこぼしても何も言わなくなったのです。
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私はこれを読んだとき、思わず涙がこみ上げてきた。
 
いゃ、感動の涙ではなく、自分自身の懺悔の涙である。
 
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