写真用語で「記憶色」という言葉がある。
人が「青い空」「赤いバラ」という言葉から連想する色は、現実の色よりより鮮やかな色をイメージするという。
アナログのフイルムの時代でさえ、それを意識して色鮮やかに写るフイルムが一般向けとして好評を博していた。
私が写真の始めた当時、「写真とは真実を写すから写真なんだ」と聞いたことがある。
ところが現実は写真は大いに嘘をつくし、その1枚の写真は民衆を扇動するために利用されたりする。
特にデジタルの時代になると、写真は「画像」と呼ばれるようになり、画像はパソコンソフトで簡単に「加工」することが可能となった。
それは記憶色以上に色鮮やかに加工され、そして安易にありもしない状況を、「画像」として「合成」して見せることができるようになった。
「デジタル復元」とは、そんな技術を応用しているから、可能となったのだが・・・・
しかし、安易に加工できるから、私は作品としての「写真」はあえてデジタルで撮ろうとは思わない。
それは私のこだわりであるが、映画の世界も実写と3Dの区別がつかないほど、リアルに嘘をつく。
人には「慣れ」があるから、最初は「凄い!!」と感動しても、何度も同じようなものを見ると、より強い刺激を求めるようになる。
そしてだんだんエスカレーションして、バーチャルの世界にのめり込む。
そして現実では許されない犯罪が、バーチャルの世界ではゲームとして楽しめたりするのだろう。
またその区別がつかなくなると、犯罪を犯すものが増えるのだろうが、しかしそこまでいかなくても、ネットの世界には色鮮やかな画像が氾濫し、現実ではありえないような合成画像がまことしやかに嘘をつく。
そして、SNSの世界ではそれらが多くシェアされる。
それだけ共感を覚える人が多いのだろうが、いずれその感動もより過激なものを求めるように麻痺してこないだろうか?
もう一度現実の世界に目を向けて、それらの画像は嘘が含まれていることに気が付いていただきたい。
その区別がつかなくなる人々が増えることを、私はとても危惧している。