私は福岡の甘木で生まれ、小学1年の時に大阪へ来た。
以後半世紀・・・・
その間一度も田舎には帰らなかった。
帰ったところで誰もいないのだが、しかしそれまで望郷の念など一度も起こさなかった。
ところが数年前に、もう一度この目で見てみたいと探したことがある。
ちょうど近くに歴史資料館があり、そこの職員が親切に探してくれ、近くまで送ってくれた。
その時覚えていたのは近くに小さな神社?があったこと。
それをいくら探してもわからなかったが、結局たどり着くと、そこはお稲荷さんだった。
そこを再度訪れ、今度は赤外線で写真を撮ってきた。
幼稚園の時、私はその路地から飛び出し、バイクに曳かれた。
実は最近ある人とメールのやり取りをしていて、その人は2歳の時に溺れかけた記憶があるという。
その話を聞き、ふと私も気が付いた。
家から、お稲荷さんの横の路地を走って抜け、バイクとぶつかったのだが、相手はバイクで豆腐を売り歩く人だったらしい・・・
と、これなら、普通のどこにでもある交通事故の話なのだが、実はその豆腐屋さんは、寺の住職の息子だったらしく、退院してから母に連れられ挨拶に行った。
で、ふと気が付いたというのは、私は子供のころよくそのお稲荷さんで遊んだ。
横の塀をよじ登り、飛び降りたりしていた。
そこで事故にあい、相手は寺の関係者??
これって、どう考えても偶然ではないことに気が付いた。
たぶん、私の不思議体験はすでにこの時にははじまっていたものと思う。
なぜなら、先ほどの2歳で溺れた記憶といえば、「臨死体験」を意味する。
私もたぶん事故の時に「臨死体験」していたのではないかと思う。
50年ほど前に亡くなっている高橋信二も、子供のころに何度も心臓が止まるという奇病に悩まされ、シスター鈴木秀子も、若いころに泊まった教会の二階の階段から落ち、死にかけてから、人を癒す力を授かり、春日大社の宮司を務めた葉室さんも、若いときに肺結核で吐血し死にかけている。
すべて「臨死体験」をしていることになる。
この臨死体験と霊的な力は因果関係があるのかもしれない。