最近ずっと易占をしている。
と、言ってもそれは「占い」というより、「神託」というべきものだと思う。
私がこんな話をしても、誰も信じないし、相手にもしない・・・
しかし、実際に易占をしていて、当たるとか当たらないとかいう話ではなく、私のことを知り尽くしていて、そしてずっと私のことを見ている「存在」がいて、それが私に易占の答えを返しているとしか思えない。
例えば、以前にも少し触れたが、一番安物の筮竹(ぜいちく)を買って、自分でニスを塗った。
すると極端に塗り斑の玉ができたりして、手触りが悪かった。
それを使って。易占しても、精神統一していない時点で筮竹を振っても、またもっとひどいのは、実は筮竹(ぜいちく)の数は本来50本と決まっているのだが、私は届いた筮竹(ぜいちく)の数を数えずにそのまま使っていた
それでちゃんと、まともな答えが返っていた
最近ずっと本を読んで、学んできたが、時々種切れになり、時間つぶしに困る時がある。
そんな時にYouTubeを検索して、何か良い邦画を探す。
何分「無料」となると、有名なモノは少なく、ほとんどは外国語の字幕付きなのだが、今晩はいくつかスタートはさせたが好みのものもなく、最後に行きついたのがこの映画。
子供の頃に父親が警察犬訓練士だったので、自分もその夢を追う若い見習い訓練士の女の子と、落ちこぼれの警察犬見習いの犬のお話し。
よくあるパターンなのだが、一度挫折して、見習いを辞め実家に帰るのだが、その訓練所の家族と、その担当した見習い警察犬との愛情で、元に戻り再挑戦する話なのだが、私は今までいろいろと本を読んだときも、そこに書かれていることと、今自分が置かれている現実とが重なって、その中から自分に当てはめて、感じることがあり、またそこから学ぶことがあるのだが、この映画を見ていても、また同じことを感じてしまった。
11月の14日に毎年頼まれている「中学生の社会見学」があり、6人の中学1年生が見学に来た。
数年前に最初に頼まれたとき、そして次の年も、せっかく説明しても借りてきた猫のようにおとなしく、何の反応もなかった。
しかし、その年の生徒からの礼状を見るとちゃんと聞いていたことがわかるし、内容が一人一人個性が出ており、かわいいところが有った。
ところが去年の見学会のあとに届いた礼状は、代表者一人の文だけ・・・
しかも、内容は間違いなく大人が手紙の書き方の例文を与え、それを丸写ししたとしか思えない、味気ないものだった。
それでも毎年、1週間ほどで届いたのに、今年はなかなか届かない・・・
実はけいはんなの担当者に、去年届いた礼状を見せ、こんなものが届いたが、これじゃ協力したくないと言うと、精華町の職員からその中学校に話が行き、今年は改善すると言う話だった。
なのでどう改善されたのか?楽しみにしていたのだが、やっと1か月ほどたってから先生が礼状を届けに来た。
さっそく読んでみたのだが・・・・
果たして「改善」と言えるのか?はなはだ疑問に感じた。
まず、去年は代表者一人分だったが、今年は全員の6人分の礼状が入っていた。
ところが、どの礼状もすべて最初の書きだしは、大人の季節のあいさつやお礼の文が数行、まったく同じものが書かれ、その後に少しだけ自分の感想が入っているのだが、それもほとんど同じ内容のもの・・・
少なくても、子供の頭で全員同じかきだしになるはずもなく、明らかに教師の差し金と思われる。
これは去年の一人分より、改善というより「改悪」されたとしか受け取れないのだが、現在の教育って、完全に間違っているように思えた。
(資)文化財復元センター おおくま