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「論語」久米旺生・訳
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005 - コピー
年も明け、試練を受け3年目に突入したが、その間に今まで本を読まない男が200冊を超える本を読んできた。
霊的な話やニューソートとか、精神的な話など、ずいぶんその手の本を読んで学んできたが、とうとう「論語」にまで繋がってしまった。
 
元々アホな高校しか出ていない私としては、まさか漢文などこの歳で読もうとは思っていないのだが、この本「中国の思想シリーズ」の一つで、以前に「易経」を読んだ。
 
易経についてもいろいろと読んで中では、結構わかりやすい本だったので、これも買ってみた。
 
この本、本文としては「現代語訳」がメインで、漢文と読み下し文が付加されていると言うものである。
 
 
漢文は無理でも、読み下し文程度なら読めなくはないが、しかしその意味はと言うと、ちょっとわからないものも多い。
 
ところがこの本、メインが「現代語訳」なので、まったく違和なく文そのものは読めた。
 
 
私は「論語」と言う言葉は知ってはいたし、それが孔子と関係あるものであることも知ってはいたが、それが弟子たちによって書かれたものであることや、何が書かれているのかまでは知らなかった。
 
今回初めて、孔子の言葉を中心にまとめられたものであることを知ったのだが・・・・
 

話は変わるが、何度も話すのだが、私の「常識」は一般の人々とずいぶんと違う。
 
それは外からの影響を受けずに、「自問自答」をすると「内なる声」がその答えを返してくれたり、何もしないのにいつの間にか自分の中に出来ていた「価値基準」なのだが、それが実はこの「論語」の現代語訳にとても近い。
 
 
私は随分昔からその影響を受けているから、「今の世の中は間違っている」とずっと思ってきた。
 
 
たぶん、一般の人々は、自分で「思考」することなく、「知識」として与えられたものや、マスコミなどの影響を受けて、それが「自分の常識」だと誤解しているものだと思う。
 
その常識を私は「おかしい・・・」とずっと思っている。
 
 
そのおかしいと思っている私の価値観からすれば、この「論語」に書かれたことの大半は、「正しい・・・」と思ってしまう。
 
 
それくらい、現代と論語の世界とは、相反する面が有ると思う。
 
なぜ「論語」を読むことになったかと言うと、「君子」という言葉にたどり着いたから。
つまり「易経」の中に、頻繁にその言葉が出てくる。
 
最初は「君主」のことかと思っていたが、少し違うらしい・・・
そこでいろいろと調べるうちに「人としての理想の姿」らしいことがわかった。
 
 
それを追い求めていたのだが、どうも「孔子」の言葉はそれに近いらしい・・・・
 
その言葉を集めた論語を読み、違和感なく読めたのだが、ではその価値観は私と近いが、それが私が実行できているかと言うと、少し自信がない。
まだまだ、頭では分かっていても実行できていないものも多い。
 
 
 
その事は反省するのだが、もう一つ問題なことがある。
 
 
私の価値判断によると、「相性」と言う言葉があるが、例えば出会い系に相手に求めるものとしては「価値観」「趣味」などが「同じ」人を求める人がとても多い。
 
ところがわたしはむしろ逆に「正反対」の方が相性が良いことを知っているし、易経の中にもそれは書かれている。
 
逆に自分と同じ価値観を持ったものとは、磁石の「」と「」の様に、近づけると反発することがある。
 
まさに「孔子」の考え方がそれで、とても近いのだが、いゃ私自身の考え方と同じだから、反発を感じる面もある。
 
 
私の性格は、いい加減なことが嫌いで、白黒をはっきりさせないと気が済まないし、一つ一つに理屈が通っていないと気が済まない。
 
それがどれだけメリットであり、デメリットであるかは、私には「自覚」がある。
 
結構孔子も同じ性格らしく、やれ「」や「」やとことも事細かく「定義」づけているのが、「論語」を読むと判る。
 
 
自分がそういう性格だからこそ、孔子のそういう態度が私には「」と「」として、反感を感じる面もある。
 
ただ、それでも、私は孔子から多くを学んだ。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

 

 

 

 

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