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スキャナー式デジカメ

  

あまり聞きなれない言葉だと思う。

一般のデジカメは、フイルムカメラと同じように、シャッターを押した瞬間に、1枚の写真を撮る。

  

ところが、このスキャナー式というのは、まさに読んで字のごとく、パソコンに使う「パーソナルスキャナー」と同じ構造である。

つまりスキャナーは、1本の走査線が画面の端から端まで走り、その間に画像を取り込む。

とくに解像度を高く取り込むには、ずいぶん時間がかかる。

  

このスキャナー式デジカメというのも、シャッターを切った瞬間にすべての画面を映しこむわけではなく、1セットのCCDが走り、時間をかけて、画像を取り込む。

ずいぶん以前に、その製品があったのだが、不便なので販売は打ち切られたと思われる。

  

じゃ、なんでそんな不便なものの話が、出るのか?

実は、この構造だと、1億画素以上の超高解像度の画像が撮れる。

僕のデジタル復元の特徴は、高解像度の画像を使うこと。

  

法輪寺の虚空蔵菩薩の復元時に、1200万画素のデーターを数百枚繋いで復元している。

つまり、モニター上で、顕微鏡を覗くような細部から、痕跡を探す。

  虚空蔵菩薩像のつなぎ画像

そのためには、可能な限りの高精細画像であるべきだが、あいにく一般的なデジタル一眼レフでも1200万~2400万画素程度。

だから繋がざるを得ないが、もしこれを1億画素のカメラで撮れれば、それだけ手間が省けるし、繋ぐときの誤差も減る。

で、現在アメリカのある会社が一つだけ、この手のスキャナーバックを販売している。

  

だけど、高価であるし、画素数も1億画素程度が限界。

そこで、この手のスキャナーカメラを自作している人が居て、彼の協力で現在このカメラを使っている。

カメラ本体は、市販のセミ版のカメラであるが、その後ろにパーソナルスキャナーの「取り込み部」をそっくりカメラの後部につけてある。

 

カメラ  

その結果、1億4千万画素~5億7千万画素という、驚異的な画素数の画像が撮れる。

このカメラを最初に使ったのが、笠置寺の弥勒磨崖仏の復元であり、このカメラがなければ、あの復元もあんなクォリティでは出来上がらなかった。あの復元画像は3億画素で作られている。

でも、一般の人にとって、1億画素ってどんな写真なのか、ピンとこないと思う。

そこで比較をお見せする。

  1200万画素

この写真は、1200万画素の一眼レフで撮ったものであるが、正面の建物に「NTT」と書かれたマークがある。

その部分を拡大すると1200万画素だと、この程度の解像度となる。

しかし、これを1億4千万画素のカメラで撮るとここまで、くっきりと写る。

  1億6千万画素

さらに5億7千万画素でとればさらになめらかとなる。

  5億画素

但し、このカメラは画像を取り込むのに時間がかかり、動くものは撮れない。

さらに、カラー画像と赤外線画像は撮れても、紫外線画像は感度が低くとることができない。

万能ではないが、このカメラは復元には欠かせなくなっている。

PS

「不思議な話」など載せると、なんか神がかりで復元していて、科学的根拠がないと疑われるかもしれないが、ちゃんとやるべきことはやっている。

  

ベゼクリク(柏孜克里克)千仏洞

ご存知の方は少ないと思うが、中国・新疆ウイグル自治区にあり、ベゼクリクは「柏孜克里克」と書くらしい・・・

僕はもともと写真をやっていたとき、モノクロ写真の現像法「ゾーンシステム」にのめり込んだ時期がある。

 白黒写真の諧調をコントロールする方法であるが、一般的に「飛ばず・潰れず」というのが、技術の高さを物語る。

しかし、それを逆手に取り、水墨画の山水画の世界を、モノクロ写真で表現できる。

 桂林 b-25 b-24

これらは中国の実在する世界であるが、当時はその「実在する水墨画の世界」に興味があったが、現在は中国の文化遺産に興味を持っている。

しかし、中国という国は、なかなか入り込める世界ではない。

たまたま、ある学者の研究の手伝いで、新疆ウイグル自治区へ行った。

当時、暴動の直後で、町の観光施設は閑古鳥が鳴いていた。

日本の研究者が中国で研究するには、現地の文物局の許可が必要で、事前申請しても、現地に行かないとなかなか許可が下りなかったりするらしい・・・

当時、現地の文物局の代表者は、その研究者の研究内容より、僕の復元技術に高い興味を示した。

ぜひ、「テストしてほしい」というのだが、彼らはお金は一切出す気がないらしい・・・

でも、こちらも実績を作る意味でこの「テスト復元」を引き受けた。

場所は、数年前にNHKの「新シルクロード」の目玉として「洞窟壁画の復元」が放送されたが、同じ場所だが、ベゼクリク千仏洞にはいくつもの洞窟があり、壁画が描かれていたのだが、そのいくつかは、世界各国の探検隊により剥ぎ取られ、持ち帰られたとのこと。

日本でも「大谷探検隊」も当時持ち帰ったとのことですが、現物は日本国内に無いのではないだろうか?

で、そのNHKの番組内で、復元を担当されたのが、龍谷大・岡田教授だが、教授が復元されたのは、各国に持ち帰られた壁画を「ジグソーパズル」の様に組み合わせ、現地の洞窟に描かれた居た様子を、デジタル復元されている。

ところが、現地の洞窟には、はがされずに、土に埋まったままの壁画がいくつかあり、現在そのいくつかは見学できる。

その洞窟の「31屈」と呼ばれる壁画の一部を、テスト復元した。

壁画は、剥がされたわけでも、消えかけているわけでもなく、まだ部分的に土がついた状態で、これ以上土を取ると、壁画が痛むのか?

土の下にはきれいな壁画が残されている。

それを土の上から画像だけで復元した。

  壁画の拡大画像

当日の撮影時間も限られ、また機材も限られていたので、撮ったのは「カラー画像」と「赤外線画像」だけである。

赤外線は、薄いものは透過するが、土が厚く乗った部分は透過しなかった。

ベゼクリク千仏洞壁画・現状画像 ベゼクリク千仏洞・復元画像
現状画像 復元画像
不思議な話・その1

 

僕は、自己紹介にこの仕事に導かれたと書いている。
だけど、多くの人は信じない。
 
また、「目に見えない不思議な力」を実感しているとも書いている。
しかし、本当に見たこともなければ、言葉を交わしたこともない。
 
だけど、僕の「恩師の死」にも書いているが、「受け取り方」で、すべての意味が変わる。
 
何気なく、見過ごしていることが、実はチョットと気になって考えてみると、やはりおかしい・・・
そんなことをたびたび経験するのだが、それを「偶然」と片づけるか?あるいは何かの意味があると感じるか?
 
ただ、それだけの違いである。
 
この文章は、5年ほど前にミクシィの不思議系のコミュに書き込んだものである。
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——— 前略 ———————–
そんな経験もあり、そう言う神様と言うものを信じないと言うか、無信心だったわけ。
 
ところが10年位前かなぁ・・・
元々僕は写真をシゴトとしていて、コマーシャル撮影もするし、営業写真、つまりポートレート写真、もっとわかりやすく言うと、七五三や成人式や結婚式などの写真も撮る。
 
で、近くの神社に七五三の撮影で行ってたわけ。別れた嫁さんは信心深く、いつもシゴトで行っては拝殿に深々と頭を下げて拝む。
でも僕はお世話になっているので、仕方なく形だけ頭を下げていた。
 
で、その頃よく見かける品のいい、いつも笑顔のおじいさんがまたお参りに来ていた。
ある時、嫁さんとそのおじいさんが、なんか話をしているわけ・・・・後で聞くと、かなり「不思議な話」だった。
どうもそのおじいちゃんは近くの人で、ある時寝ていると、枕元に髪が立つ、チャウ!!神が立つんだって・・・
何度も何度も神が立ち、そして「高千穂へ行け」と告げるという。
枚方から高千穂って、北海道に行くようなものかぁ・・・おじいさんは行ったことが無いから、途方にくれた。
すると、すぐに知人が高千穂へ行くことになり、一緒に連れて行ってもらったとの事。
で高千穂神社に着くと・・・・
そこに白髪白髭のおじいさんが立っていて、そのおじいさんに「三ヶ月前から待っていました」と言ったらしい。
どうもその人が言うには、そのおじいさんに「老人の為のユートピアを創れ」と神が言っているらしい・・・・
とはいっても、そのおじいちゃん、多少の私産は有るけど、とてもそんな大金は持ち合わせていない。
帰ってから、また神が枕元に立った・・・
 
今度は「4つの神社に参れ・・・」「それらはこの仕事の為に、違った力を授けてくれる」と言ったらしい。
その4つの神社は九州の「宗像大社」、奈良の「大神神社」、長野の「諏訪大社」、そして地元の「片埜神社」・・・
それぞれに違った力を授けるという。
それで、そのおじいさんはよくその片埜神社で見かけたわけ・・・
    
 
4神社 いわれ

 

当時僕は新しく「デジタル画像処理」の仕事を始めていて、葬儀の遺影の合成をしていた。
そのシゴトを僕もなんとか伸ばしたいから、横耳に挟んだその4つの神社に僕も一通り参ってみた。

元々「無信心」だし「だめもと」と思いながら参ったら・・・・
やっぱり、御利益は無かった。それから、しばらくして・・・
うちはよくバイトの募集をしていた。
 
で、「アルバイトニュース」をみて、能登から電話が入った。
どうも京都の写真スタジオを辞めて、実家の能登に帰るときにアルバイトニュースを買ったらしい。
で、急いで戻ってきてうちに来るようになったんだけど、彼女は能登の由緒ある禅寺の三姉妹の次女らしい・・・
彼女いわく「妹に霊感がある・・・」と。
 
で、彼女に一生懸命「遺影」の作り方を教えるけど、どうもなかなか頭に入らないらしい・・・
パソコンは苦手ではないけど。
で、ある日「どうしても、これをしないといけませんか?」と言い出す。
聞くと「実は霊感は妹だけではなく、三姉妹全員と母にある」との事。
で、遺影をやっていると「枕元に霊がたつ」と言う。
葬儀ではよくある話で、頼ってくる霊があるみたい・・・・
 
彼女は本来、そう言う霊界と人を結ぶシゴトをしなければならない運命にあるという。
なのに、それを逃げているらしい・・・で、その彼女を連れて「片埜神社」に撮影に行ったとき、彼女はしきりに周りを見て歩いていた。
で「この神社と仲良くしたほうがいい・・・」「ここは多くの神様を祭ってあり、御利益がある」という。
だけど、僕は葬儀の遺影を伸ばしたかったから、あまり真剣に受け止めなかった。彼女は子供の頃に、寝ていると神様が迎に来て「今日はどこに行きたい?」と聞くという。
 
子供だから歓んで、行きたいところを言うと、そこに連れて行ってくれたという。
でも少し大きくなると、彼女もそれが怖くなったとの事。
 
彼女に言わせると、古事記や日本書紀のような「神々の世界」は実在するという。
 
その彼女に、あのおじいさんの話をした。
すると、「私も高千穂で不思議な経験をした」という。
 
昔、仕事で熊本に出張に行き、少し時間があるので、友達とレンタカーを借りて高千穂へ行くことにした。
当時はカーナビなど無いし、初めての道なのに、走った距離を時間で割ると70キロくらいのスピードになるという。
実際に僕も走っているけど、かなりの山道なんよ・・・
で、帰りの飛行機の時間もあり、慌てて帰ってきたけど、出発時間には間に合わなかった。
ところが飛行機は待っていたらしい・・・・

そんな彼女は、別のバイトの人の面接中に、突然姿を消した・・・
表われて、居なくなるまで10日間ほどだった。
彼女は置手紙をして・・・
 
当時まだ僕は離婚をしていなかったけど、時間の問題だった。
彼女は「奥さんとやり直してください」「片埜神社と仲良く・・・」と書いていた。
後で思い出したんだけど、彼女は「何かに導かれるようにして、ここに来た」と言っていた。それから数年たって、葬儀の遺影も薄利多売の業者に徐々に押され始め、違う仕事を探していた。
 
ある日、その神社から「古い板戸があり、鳳凰の絵が描いてあるんだけど、痛んだ居るので修復に出した」「上がってきたので、記録の写真を撮って欲しい」と言われ、大型カメラで撮った。
 
修復されたというから、綺麗になっていると思うと・・・・
違って、絵の具が剥がれ落ちたままの姿だった。
修復とは「これ以上痛まないようにする」事をさすらしい・・・・
  
目視-2大 修正-2
現状画像 画像修正画像

 

頼まれたのは記録写真だけだけど、僕は葬儀の遺影なんかでデジタル合成をしているから、コンピューターでなら、このはがれた絵の具を修正できるはず・・・
そう思い、画像をコンピューターに取り込んだ。
 
当時のMacは大きな画像を動かすにはかなりの時間が掛かった。
1ヶ月ほどかかって、4枚の板戸はコンピューター上で甦った。
  
それを神社に見せると・・・
びっくりされた。そのとき、「ひょっとすると、こう言う需要があるのでは?」と気がついた。
  
  
それから数年掛かり、試行錯誤で復元技術を編み出した。その間、何度もあのおじいちゃんの4つの神社には、お参りに行った。
今度はやはり神社やお寺の文化財の仕事だから、きちんと心を込めて頭を下げた。
すると、特に遠くの諏訪大社と宗像大社にお参りに行って帰ってくると・・・
不思議に仕事の話が入ったりした。
  
そんな経験を何度もし、そして何回りも神社にお参りをしていたある時・・・そうそう・・・
もう一つ、不思議な話なんだけど、ネット上で仕事のDMをいくつかの社寺に出したら、一つだけ返事が返った。
どうも九州の禅寺で、古い掛け軸があり、黒くなってほとんど見えないらしい・・
僕は大阪から飛んで行き、仕事を貰ったが、その掛け軸にはなんと「宗像大社の最後の大宮司」の御尊影が描かれていた。
僕は偶然だと思っていた。
 

  

氏貞公御尊影・現状画像 氏貞公彼軸 1回目復元
現状画像 復元画像
 

離婚して数年が立っていて、ある出会い系サイトで「お星様とお話が出来る」「偶然の意味が解かる」「地球儀を回して、指差した場所の料理が作れる」「絶対音感がある」とか、なんか乙女チックなプロフィールを載せているヒトが居て・・・
僕は半信半疑でメールを入れた。
この仕事のホームページと、僕の撮った写真の作品が載っているページを記して・・・・

 

写真作品

  

すると、すぐに彼女から返事が返り、作品を見て「蒼が独特・・・」と彼女は僕の作品を褒めて、そして「仕事のページを見て、今のくまさんの苛立ちが見える・・・」と言う。

なんで、ホームページでそんなの解かるの?そう思って、今の仕事が伸びない実情や、過去の出来事を話した。すると彼女からいきなり「神がかり」のメールが返った。
  
どうも彼女も霊感が有るらしく、彼女は神の存在を「宇宙」と捉えているらしい・・・
絶対音感があり、作曲の仕事をしていたが、子供が出来て辞めて、今はこう言う能力を使ってコンサルタントみたいなことで、お金を貰っているという。しかし彼女は僕には一銭も求めなかった。彼女は、僕には凄い守護霊が着いてくれていて、その霊がしきりに僕に何か言いたがっているという。
  
色々やり取りをしていると、古事記や日本書紀に出てくる神様の名前や歴史上の有名人の名前がいくつも出てきた・・・
多分その守護霊が過去に付いていたヒトだろうという・・・
彼女にあのおじいさんの4つの神社の話をした。
  
すると・・・
4つの神社は実はおじいさんではなく、僕の前世と深く関わっているという。
誰だか解からない、そして僕にはまったく記憶の無い前世のヒトの因縁が、今僕に災いをして、このシゴトが旨く行かないという。
今、自分でその前世のヒトの因縁を断ち切らないと、自分が困るという。
コッチにしてみれば、何も悪いことをしていないのに、何でそんな昔の罪を被らんとアカンねん!!
そうは思っても、自分がやらないとよくならない・・・
  
守護霊が「急げ・急げ・・・・」と言っているらしい・・・
言われたことを仕方が無いのでやると・・・
やはり、この仕事のステージが一つ上がった。そんなやり取りを何度かした後、彼女は「もう、これ以上私に出来ることはない」と言って、連絡を絶った。前の禅寺のムスメも、あのおじいちゃんも、守護霊の伝言を僕に残し、消えた・・・結局、葬儀の仕事が駄目になり、この復元を始めるきっかけは、「この神社と仲良くするように」と言われた地元の神社。
あのおじいちゃんも居なくなり、彼が立てるはずの名前まで決まっていた「老人のユートピア」は、ネットで検索しても存在しない・・・出会い系のメルトモも、その後何度連絡を入れても返事は返らない・・・ 
不思議な話・その2
●甦った虚空蔵菩薩
 
法輪寺の復元した板絵に描かれた虚空蔵菩薩は、「求聞持法」という荒行で使われたものらしい。
 
復元は、本来あそこまでの完成を目指したものではなく、残された痕跡だけで復元画像を作った。
 
ところが副住職は、仕上がりを芳しく思っておられない様子。
 
こちらも自分たちの技術を高めるために、さらに3か月かけ、あそこまでの復元結果を得た。
 
その後、現物の板絵も修復に出され、上がったことを機に「法要」が営まれ、ABC朝日放送が取材に来て、夕方のニュースの特集として流された。
 
その法要当日に、復元画像は掛け軸として一般公開された。
ずいぶん大きくて、立派な掛け軸であった。
   
法輪寺 テレビ取材
 
 
その後、わが社も簡易のタペストリーを作り、スタジオで展示したり、インテックス大阪での中小企業の展示会などでも展示している。
 
その展示会の初日、多くの来館者があったのだが、その時、不思議なことが起きた。
 
他の来館者とわが社の展示スペースで話しているとき、年のころ30代と思われるスーツ姿のサラリーマンが、この虚空蔵菩薩のタペストリーを見た途端、わが展示スペースに入り、いきなり「拝ませてほしい」と言い出した。
 
いきなりこんな言葉を聞くと、何が起きたのか?一瞬わからなかったが、彼はその言葉を発するや否や、ネクタイを緩め、ワイシャツの胸のボタンをはずし始めた。
そして、なんとそのワイシャツの下から大きな数珠を取り出し、手に持ちお経を唱え始めた。
 
こちらは唖然としていたのだが、彼は在家信者だと言い出した。法輪寺の虚空蔵菩薩像の話を知っているらしいが、拝み終えると、名も告げず、名刺もおかずに、人ごみの中に立ち去った。
 
何かの冗談だと思っていたのだが・・・
 
しかし、それにしてはおかしい。
 
たかが、復元画像をタペストリーにプリントしただけのものである。
 
 !虚空蔵菩薩のタペストリー
 
仮に法輪寺で法要された立派な掛け軸なら、「拝ませてほしい」と言われるのも、わからないわけではない。
 
なのに、彼はなぜあれを拝みたいと思ったのか??
 
その後、ずいぶん僕はそのことを考えた。
 
 
その結果としていえるのは、仮にあのタペストリーに描かれた虚空蔵菩薩像に魂が宿っているとしたら・・・
 
それは、立派な掛け軸だろうが、簡易のタペストリーだろうが、同じ魂が宿っているのではないのだろうか?
 
つまり、一般的な仏画のレプリカなら、「本物」があり「複製品」がある。
 
だから魂は本物にしか宿らないと考えるのが自然であるが、この復元に関しては、本物と言えるのは「朽ち果てた板絵」である。
しかし、魂は永遠だとするならば、その魂は、「デジタルデーター」という、物質を伴わず、朽ちることのない「器」へと乗り移ったと考えられないだろうか?
 
 
そう考えるのが自然だと僕は気が付いた。
 
だとすれば、デジタルデーターそのものに魂が宿っているとしたら、そのデーターから出力されるすべての姿に、同じように魂が宿っていると考えられないか?
 
そうすれば、サラリーマンがタペストリーを「拝ませてほしい」と言ったことが、説明できる。
   
 
 
不思議な話・その3
●甦った弥勒菩薩
 
この笠置の磨崖仏の復元に関しても、不思議な縁を感じている。
 
この仕事を始める1年ほど前に、筑波に住む「特殊撮影」の専門家を訪ねた。
彼はその道では有名な方で、紫外線撮影などを使い、芸術作品と言える写真を撮り、個展などもされている。
 
しかし、彼にはもう一つの顔がある。
彼は、古典写真技術のスペシャリストでもあるという。
NHKの「丘の上の雲」で、最初の場面に城をバックに三人だったか?の記念写真を撮る場面や、時々写真館で記念写真を撮る場面が出てくるが、それを指導したと言われていた。
 
彼とは朝から一日写真談義が尽きず、楽しいひと時を過ごしたが、彼は「湿版写真」に特に詳しいらしい。
彼は自分が撮るために、古いガラス乾板を大量に保有していた。
どうも現代のガラスは、平面性が悪いらしく、古いガラス乾板をはがして使うという。
 
僕が文化財の復元をしているので、彼が見せてくれたのは、古い巻物や石仏などの文化財をガラス乾板で撮った画像である。
 
ガラス乾板は、ほとんど第二次世界大戦以前に撮られたもので、戦後ガラス乾板はフイルムに置き換えられている。
 
その写真の中に、なんとなく気になる磨崖仏があった。
僕も大分に磨崖仏を撮りにいった経験もあり、九州ではないかと思ったが、念のためその写真を預かって帰った。
それをネットで調べるが、なかなか同じものがない。
 
 虚空蔵像菩薩
 
戦前にしてはよくとられているが、判りにくいと負う。
そこで
 
 虚空蔵菩薩アップ
 
これがその磨崖仏のお姿である。
 
ずいぶんネットで検索したら、なんとそれらしいものを発見した。
しかも、どうもそれがスタジオのすぐ近くにあるという。
 
場所は笠置寺
 
つまりここから30キロほどの場所にある。
彫られているのは法輪寺と同じ「虚空蔵仏」とのこと。
 
判りにくいと思うので、弥勒仏の復元時に撮ったものが
 
笠置寺・虚空蔵菩薩磨崖仏 
 
である。
非常に狭い場所にあり、引きがないので見上げた形でしか撮れない。
 
それから1年経ち、弥勒仏の復元が決まった。
 
そして、もう一つおかしなことがあるのだが、うちは「研修生」の募集をしているのだが、時々遠方から応募がある。
そのほとんどは、話だけで終わるのだが、実は復元を始める半年ほど前に、東京の女性が応募してきた。
 
2~3度メールのやり取りをしたが、とりあえず遊びに来るように伝えてあった。
しかし、その後連絡がなかったのが、この仕事を始めた途端に、その彼女が遊びに来た。
 
彼女はあってみると、ちょっと変わった娘で、少し空気の抜けたゴム風船をイメージしてもらえばわかるが、いろいろと質問しても、考え込んでしまい、なかなか返事が返らない性格であった。
 
で、彼女に「どうして急に遊びに来たの??」と聞くと・・・
しばらく考えていたが、やっと口を開き「耳元でささやかれた・・・」といった。
 
いろいろ聞くと、彼女はデジタル画像処理の会社で長年勤め、ずいぶんいい生活をしていたようだが、去年ある友達の影響で、急に文化財に目覚め、仕事を辞め文化財関係の学校に入ったらしい・・・
 
そんな話をしたが、帰りの切符の手配をしており、急いで京都駅まで送ったが・・・
新幹線は出ており、やむなくバスで帰ったらしい・・・
 
で、笠置寺の弥勒仏の復元も山場に差し掛かり、復元画像として書き上げた線画を、東京の彼女へネットを通して送り、毎晩のようにデーターのやり取りをした。
 
最初僕の頭に合ったイメージは、モノクロの赤外線画像を用い、ローキー調に仕上げるつもりだった。
 
確かに画像としては復元できる。
しかし、それでは当時の人が信仰した弥勒仏の神々しさが出ない。
 
記者会見まで1週間と迫ったとき、僕はいきなり「」のイメージが浮かんだ・・・
浮かんだというより、実は降りてきたと感じている。
そのイメージを何度も彼女に伝え、やっと復元画像は完成した。
頭に浮かんだのは、今ほど明りに慣れていない当時の人々にとって、月の光に照らされた弥勒仏はこんな感じじゃなかったか?
 
復元画像は誰が見ても手を合わせたくなるはず・・・・
 
先ほどの虚空蔵仏と同じく、本来永遠の命として刻まれた磨崖仏は、戦火を浴び、粉々に剥がれ落ち、700年の月日が流れた。
 
弥勒仏は復活の日を待ち続け「デジタル」という器を得るため、まず僕に縁を繋ぎ、そしてその画像を創りあげられる技術を持った彼女を、自ら呼び寄せた・・・・
 
 
 笠置弥勒磨崖仏・復元画像

 

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