私は常々、文化財の価値は物質に非ず、その「ナカミ」だと言いづけている。
しかしながら、その意味を一般人ならいざ知らず、文化財の専門家や行政の人びとは、全く理解していない。
ただわたしの持論は、私が自分の「顕在意識」で考えたものではなく、気が付くといつの間にか「自分の中」に有った。
つまりこれは「潜在意識」が、私にその価値観として植え付けたものだと思う。
ヒトの意識には、「顕在意識」と「潜在意識」が存在するらしい・・・・
ヒトの思考や記憶は「顕在意識」でしか働かないと言う。
しかしながら、「潜在意識」は顕在意識よりより深く、より広いとのこと。
心理学者のユンクは、その潜在意識の奥底に「集合的無意識」と言う部分があり、そこで宇宙のすべては一つに繋がっていると言う。
こんな話、いくらユンクでも「顕在意識」で考えても考えつくはずもなく、彼もまた「潜在意識」からいろんなことを教えられていたと思う。
文化財の価値の「ナカミ」とは、つまりそれを制作者は「なぜ」創ったか?
「なに」を残そうとしたのか?
その「おもい」こそ、一番大事なもので、「のこす」あるいは「つたえる」べきものは、その「物質」に込められた「おもい」に他ならない。
にもかかわらず、専門家は「朽ちた」物質を保存することしか考えられないのは、とても悲しい事であり、ヒトのおもいは「物質に宿る」ことを知らない。
こんな話をすると、観念論だと思われようが、しかしこの考えこそ「科学」の最先端の「量子力学」という世界では、常識だと言われる。
ボーアとアインシュタインの、「月は人が見ていなくても存在するのか?」の論争は有名なのだが、アインシュタインは、月は人が見ていなくても存在すると言い、ボーアは存在しないと言う。
この話はボーアの勝ちと言われるが、この話で問題なのは「観察者」の存在だと言う。
つまり「結果」は、観察者の「意識」が、観察物に影響を与えるらしい・・・・
「意識 = おもい 」である。
宇宙で一番大事なのは、「おもい」だと言われる。
このタイトルのことばは http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html に有るのだが、
「そのあたりにあるすべても宇宙も何もかもが、人間が認識してはじめて存在する」
それくらい、ヒトの意識は大事なものであり、宇宙のすべては「波動」だと言われ、物質も意識もすべて波動だと言われている。
たたけば音の出る、金属や板であっても、本当はほとんど空間だと言われ、その同じ空間の中に【ヒトのおもい】も共存できると言われている。
私の持論は、頭がおかしいのではなく、最先端すぎて、文化財の専門家ですら理解できないだけの話しである。
しかし、近々人類の常識が変わるらしく、ヒトの「意識レベル」があがると言われていて、そうなれば多くの人びとは私のことばが理解できると思う。
(資)文化財復元センター おおくま
去年の12月に諏訪大社へ行った帰りに、久しぶりに妻籠宿へ行ってみた。
三脚をすえて、超広角レンズで撮ろうとしたが、小雪が舞い始めた。
このレンズは魚眼レンズのように前部がはみ出しており、フィルターを掛けられないので、雨や雪の中では撮影できず、やむなくレンズを変えてスナップだけ撮った。
どうしてもHRDの写真が撮りたく、出かける前に天気予報を調べると「晴れ」となっていてので、急いで出発したが、まず早朝の暗いうちに「馬篭宿」についた。
車を停め、坂道を上がり、水車小屋のあたりでカメラをセットしたが・・・
まだ暗くて、感度を上げても撮れる状態ではなく、少し明るくなるのを待ち撮りはじめた。
ここは20年ほど前まで、妻籠宿と馬篭宿には何度も撮りに来ていたが、最近はご無沙汰していた。
ただこちらの妻籠宿は明らかに昔の姿が保存されていると言うより、観光客用に新しく作られたものであり、正直言って観光客が多く、絵にはならない。
しかし平日の早朝で、人がいないので、結構絵になる写真が撮れた。
(資)文化財復元センター おおくま