先日、「人生で学ぶべきもの・こころのチキンスープ その2」の中で、こんな話を紹介した。
パパは何でも知っている。
4歳・・・僕のパパは、なんでもできるんだぞ。
5歳・・・僕のパパは、何でも知っているんだぞ。
6歳・・・僕のパパは、君のパパより頭がいいんだぞ。
8歳・・・僕のパパにも、知らないことがあるんだね。
10歳・・パパが育ったころと今とは、だいぶ違うんだよな。
12歳・・あぁ、しょうがないさ。 知らなくても無理ないよ。 だってパパは歳だもの。 自分が子供だった頃の事なんて覚えていないのさ。
14歳・・パパの言うことなんか、気にしなくてもいいんだよ。 古いんだから。
21歳・・えっ、僕の父さん?もうどうしょうもなく時代遅れさ。
25歳・・父さんにも、少しはわかっているみたいさ。 でも、そんなの当たり前だよね。 あれだけ長生きしているんだもの。
30歳・・父さんの考えも、きいたほうがいいんじゃないかな。 何と言っても、経験があるからね。
35歳・・父さんに聞くまで、僕は何もしないからね。
40歳・・父さんならこんな時どうしただろう? すごく知識も経験もほうふだったものな。
50歳・・もし父さんを生き返らせることができるなら、何も惜しまない。 そうすれば父さんに相談できるんだがな。 父さんがあれほど賢い人だったなんて、むかしはまるで気が付かなかった。 もっといろんなことをおしえてもらえたのに。
アン・ランダース
つまり、一つの事柄でも、人は歳とともに人生から学び、年相応に受け取り方が変わると言う話なのだが・・・
この作品は2003年の作品だが、まさにそれを地でいくお話である。
よく話好きの男が、話を誇張して、尾ひれを付けて、面白おかしく語って聞かせる。
そんな男は世界中にどこにもいるものだが、この主人公は息子なのだと思うが、子供のころに父親が寝る前にいろんな話を聞かせてくれた。
その話、まさに子供のころには面白かったが、やがて主人公は20代・30代の大人になる。
その主人公の結婚式のスピーチにまで、父親はそんな子供のころに聞かされた「荒唐無稽」の話をし、出席者からは喜ばれたが、当の花婿の自分より目立ってしまう。
息子は結婚式の後、父親に「そんな作り話、もう二度と聞きたくない」といい、3年間父親と疎遠になる。
ある時、母親から父親が病床に伏したと連絡があり、身重の奥さんと駆けつける。
その病床のベッドの中でも、相変わらず父親はそんな荒唐無稽の話を、主人公の奥さんに話してきかす。
でも、奥さんはそんな父親の温かい人柄に惹かれ、楽しそうに父親の話を聞く。
母親も主人公の奥さんも、そんな父親のファンだが、当の主人公は、「作り話」としか受け取れない。
しかし、父親の付添いの間に、周りの人の話や、父親の書斎に残る記録から、あながちその話が作り話ではないことを知る。
主人公は少し父親を見る目が変わり始めるのだが、荒唐無稽な話も、実は実話に尾ひれがつき、面白おかしく父親が演出していたことに気付く。
そして、父親の最後が近づいた時、父親が息子に「自分が死ぬ場面」の話を、創って聞かせてくれと、逆に頼む。
息子は話の出だしだけ父親に聞き、その後は自分も父親と同じように、父親の最期を、父親の話で出てきた仲間たちに囲まれ、そして川の中に入り、ビックフィッシュとなって、水に帰っていくと言う物語を聞かせ、父親は息を引き取る。
で、実際に父親の葬儀には、父親が語ってくれた物語の主人公たちが、話よりもスケールは多少は小さいが、実在し最後の見送りに駆け付けた。
まさに、上の話をそのまま「絵」にした物語なのだが・・・
あれほど、父親の作り話を嫌がっていた主人公の息子は、結局自分が父親となりその息子に、父親のような「荒唐無稽」の話を聞かせる・・・
(資)文化財復元センター おおくま
2001年のアメリカの作品である。
以前に知的障害のある母親が、お腹を痛めたわけでもない養女を、どれだけ愛していたのか?と言う中国の
と、言う作品を紹介した。
この作品も知的障害のある父親が、わが娘をどれだけ愛しているのか?
それを胸が痛いほど感じさせる作品なのだが、7歳の知能しか持たない父親と一緒に育った障害の無い7歳の娘。
娘はそんな父親に、むしろ自分が母親のように優しく接しているのだが、福祉課の職員がその父親には子供を育てる能力が無いと、親権の剥奪の訴えを起こす。
その障害を持つ父親は、優秀な女性弁護士に弁護を頼みに行くが・・・
女性弁護士は弁護料が払えそうもないので、その依頼を断る。
しかし度重なる依頼に、最後は無料で弁護を引き受け、裁判は続く。
もう一歩と言うところで力及ばす、その少女は父親と引き離され、里親のもとに引き取られる。
が、しかし、女性弁護士は再度裁判へ持ち込むが・・・・
その間知的障害があっても、娘を愛してやまない父親の愛情に、里親も最後は折れる・・・
親子の愛が、むしろ知的障害があるために、純粋に注がれ、娘もそんな父親をとても慕う。
「無償の愛」と言う言葉は、キリスト教での一つのテーマだが、これぞまさにその見本であると言える。