数日前に、個人から復元の依頼を受けた。
病院のカルテに、消された部分があり、それを何とか読みたいと・・・・
テレビドラマなどでは、医療ミスを隠ぺいするために、カルテの改ざんをすると言う話が有る。
なにか依頼人にとっては、そのカルテに記されて、そして消された部分に対し、どうしても知りたい気持ちがおありの様。
電話で問い合わせがあり、実はそのカルテとは、現物ではなく「コピー」だと言う。
一般の方には理解できないと思うが、わが社の復元技術は本来「実物に残る痕跡」を「視覚化」することで、当時の姿を「画像として復元」するものである。
それは可視域では見えなくなっていても、「可視域外」には残された「情報」がある可能性がある。
ところが、それを「コピーしたもの」となると、その可視域外の情報がコピーされている可能性はとても低い。
この本は『「孔子・人間、どこまで大きくなれるか?」渋沢栄一・著』を注文した後に、追加で注文した。
前書が論語の言葉を引用しながら、自分の経験を踏まえ、人生訓を語ったものであるが、こちらは逆に自分の人生の中で得た教訓を中心に、孔子らの教えも踏まえて書かれているように思う。
この著は明治四十五年に書かれたものらしいが、まったく時代遅れで古臭いと感じることなく、現在でも通用する話が多い。
先日も話したが、マッカーサーの政策で日本人がふがいなくなったと言われるが、渋沢にとってはすでにこの時代に青年たちのふがいなさを嘆いている。
渋沢栄一は産業界で多くの実績を残した人であるが、しかし当人は「富」に対しては「淡泊」な人らしく、自分の富のために産業界に身を投じたのではなく、「公共」の発展のためにも官界から民間に下った、実に立派な人の様である。
先日同じ孔子や中国古典の本を書きながら、他人の悪口を著書に載せたり、手前味噌の自慢話を平気でしたり、自分の富の一部を社会貢献に使っていると、自画自賛する某氏と違い、先ずそれ以前に自分に回るべき「富」を受け取らない心意気が、まさに「君子」と呼ぶにふさわしい人だと思う。