2014年8月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

ブログメニュー

甘露の法雨
『生長の家』の谷口雅春氏は、彼の考え方を「光明思想」と呼んでいるようだが、海外では「ニューソート」と呼ばれる考え方と思われる。
 
で、「生命の實相」にもその思想は貫かれているが、それを端的に表したのが、聖経とされる「甘露の法雨」というものだが、これは彼は神の啓示を受けて表されたという。
 
その朗読の動画が
 
 
なのだが、これを見て、私は「すごい・・・・・」と思った。
 
まさに端的にニューソートの考え方というか、「宇宙のこころ」の意図を端的に、そしてわかりやすく著されている。
さすがに神から直接「啓示」を受けたと言われるだけある。
 
さっそくこの経を買おうとAmazonで調べたが、入手不能となっている。
 
知人に当たってもらっているのだが、その一部をネットで見つけた。
 
ここへペーストする。
 
  神(かみ)
(あ)る日(ひ)天<てんのつかい>使生長(せいちょう)の家(いえ)に来(きた)りて歌(うた)い給(たま)う—–
創造(そうぞう)の神(かみ)は
五官(ごかん)を超越(ちょうえつ)している、
六感(ろっかん)も超越(ちょうえつ)している、
聖(せい)
至上(しじょう)
無限(むげん)
宇宙(うちゅう)を貫(つらぬ)く心(こころ)
宇宙(うちゅう)を貫(つらぬ)く生命(せいめい)
宇宙(うちゅう)を貫(つらぬ)く法則(ほうそく)
真理(しんり)
光明(こうみょう)
知恵(ちえ)
絶対(ぜったい)の愛(あい)。
これらは大生命(だいせいめい)—–
絶対(ぜったい)の神(かみ)の真性(
しんせい)にして
神(かみ)があらわるればすなわち
善(ぜん)となり、
義(ぎ)となり、
慈悲(じひ)となり、
調和(ちょうわ)おのずから備(そな)わり、
一切(いっさい)の生物(せいぶつ)処(ところ)を得(え)て争(あらそ)うものなく、
相(あい)食(は)むものなく、
病(や)むものなく、
苦(くる)しむものなく、
乏(とぼ)しきものなし。
神(かみ)こそ渾(すべ)ての渾(すべ)て、
神(かみ)は渾(すべ)てにましまして絶対(ぜったい)なるが故(ゆえ)に、
神(かみ)の外(そと)にあるものなし。
神(かみ)は実在(じつざい)のすべてを蔽(おお)う。
存在(そんざい)するものにして
神(かみ)によって造(つく)られざるものなし。
神(かみ)が一切(いっさい)のものを造(つく)りたまうや
粘土(ねんど)を用(もち)い給(たま)わず、
木材(もくざい)を用(もち)い給(たま)わず、
槌(つち)を用(もち)いたまわず、
鑿(のみ)を用(もち)いたまわず、
如何(いか)なる道具(どうぐ)も材料(ざいりょう)も用(もち)い給(たま)わず、
ただ「「心(こころ)」」をもって造(つく)りたまう。
「「心(こころ)」」はすべての造(つく)り主(ぬし)、
「「心(こころ)」」は宇宙(うちゅう)に満(み)つる実質(じっしつ)、
「「心(こころ)」」こそ「「全能(ぜんのう)」」の神(かみ)にして遍在(へんざい)したまう。
この全能(ぜんのう)なる神(かみ)、
完全(かんぜん)なる神(かみ)の
「「心(こころ)」」動(うご)き出(い)でてコトバとなれば
一切(いっさい)の現象(げんしょう)展開(てんかい)して
万物(ばんぶつ)成(な)る。
万物(ばんぶつ)はこれ神(かみ)の心(こころ)、
万物(ばんぶつ)はこれ神(かみ)のコトバ、
すべてはこれ霊(れい)、
すべてはこれ心(こころ)、
物質(ぶっしつ)にて成(な)るもの一つもなし。
物質(ぶっしつ)はただ心(こころ)の影(かげ)、
影(かげ)を見(み)て実在(じつざい)と見(み)るものはこれ迷(まよ)い。
汝(なんじ)ら心(こころ)して迷(まよい)に捉(とら)わるること勿(なか)れ。
汝(なんじ)ら「「実在(じつざい)」」は永遠(えいえん)にして滅(ほろ)ぶることなし。
「「迷(まよい)」」は須ユ{←臼人}(しゅゆ)にして忽(たちま)ち破砕{←山推}(はさい)す。
「「実在(じつざい)」」は自在(じざい)にして苦<くるしみ>悩なし。
「「迷(まよい)」」は捉(とら)われの相(すがた)にして苦<くげん>患多(おお)し。
「「実在(じつざい)」」は真理(しんり)、
「「迷(まよい)」」は仮<かりのすがた>相、
実在(じつざい)は五官(ごかん)を超越(ちょうえつ)し
第六感(だいろっかん)さえも超越(ちょうえつ)して
人々(ひとびと)の感覚(かんかく)に映(えい)ずることなし。

 

 
実に端的に表されていて、聴いていてとても気持ちが良い。
 
ここまで徹し切れれば、そりゃ葉室頼昭さんが肺結核が消えたというのも、不思議な事ではなく、当たり前の事だと言える。
ただ葉室頼昭さんは著書の中で、阪大の医学部に戻って、この奇蹟の「本当の事」を言えなかったというが、当時の医学部にこんな「病は気から」なんてな話を信じるものが居なかったということを、ちゃんと知っていたので、この話をうまく伝えなかったのだと思う。
 
春日大社の宮司になってからも、葉室頼昭さんは神とは「宇宙の心」だとちゃんと話されていたし、やはり本当の大本の神は「宇宙の創造者」だということになると思うが、しかし我々が信じる神や仏は偽物かというとそうではなく、その宇宙の創造者の下で働くもの達と言える。
 
(資)文化財復元センター  おおく

このページのトップへ