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「神道 見えないものの力  葉室頼昭」・その1

 007
この本は、葉室頼昭さんの「〈神道〉のこころ」の後に出された3冊目の本だと言う。

最初の本もそうだが、彼が書いたと言うよりインタビューに応える形式となっている。
最初の本が1997年で、この本は1999年初版の発行となっている。
 
私はこの本の題名を見た時、「見えないものの力」というから、なにか霊的な不思議な話を集めたものかと思っていた。
 
葉室頼昭さんは2009年1月3日に亡くなったようなので、亡くなる10年ほど前のものとなる。
 
以前に2つの本を一緒に取り上げたり、「神道〉のこころ」を詳しく取り上げたりしているので、葉室頼昭さんの人柄はお分かりだと思うが、
まずこの本のはしがきに
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私は子供の頃から、家の伝統という目に見えない存在を感じ、いつも不思議に思っていました。 私の家は、平安時代から朝廷の神事、とくに神社と調停を取り持つ仕事を行ってきた公家のいうですが、明治になり公家の制度がなくなり、朝廷の神事とは関係なくなったのに、その不思議な伝統というものが続きました。
 
神職ではないのに私の曽祖父は奈良の談山神社の宮司になり、祖父は生粋の陸軍の軍人であったのにこれまた晩年には金毘羅宮の宮司になり、また父は銀行員であったのにこれまた晩年には京都の下賀茂神社の宮司になりました。
 
そして当時医者であった私は、まさか私が神職になるとは考えいいなかったのに、なぜか春日大社の宮司に就任することになったのです。
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と、有名な話が載っていますが、本人を除くこれらの人々はいずれも婿養子として、葉室家に入ってこられた方の様で、遺伝ではないのに、この家に養子に来ると、「家の伝統の力」という運命に従っていると言う。
 
そして「目に見えざる伝統」の導きは一体どこから来るのかと言われていますが、この本の「見えないものの力」とはこういうものを差しているようです。
 
確かに「伝統」というものも、目に見えないものですが、わたしは「文化」というものも同じだと思う。
 
私の心の中には、いつの間にか「文化とは人の精神的な営み」という答えがあった。
 
そう、「精神的」なんですよ。
 
そうすると「文化財」とはなにか?という話になってくるのですが・・・・
 
私の答えは「文化財とは、それを形にしたもの」あるいは「それを記したもの」という価値観が、いつの間にかあった。
 
 
 
 
少し横道にそれるのだが、当社で復元した「法輪寺・虚空蔵菩薩像」を、ある東文研の研究者に見ていただいた時に「この色はどこから解ったのか?」と聞かれた。
 
現在は「蛍光X線分析装置」を補助金で買いましたが、当時はありませんでした。
こちらが「残った色から判断した」と言いましたら、ひとこと「分析すらしていないものは復元とは言えない」と、切り捨てられたことがあった。
 
この手の分析機器はとても高価で、国の予算でこれらの機器を買える人にとっては「すら」なのでしょうが、我々民間の企業にとっては「なんてとても」というものなのですが、しかし、その高価な分析機器でいったい「」が解るのか?
判るのは使われた「絵の具の成分」だけである。
 
彼らにとっては、そういう「物質」にしか価値を見出さないのか、あるサイトで昔、研究者が絵の具の分析をしたら「どこどこ産」のトルマリンが検出された。
そこのトルマリンを使っているということは、「当時」それが日本に入ってきていたということが確認できたと、あたかも鬼の首を取ったような話でした。
 
文化財の価値って、絵の具の成分ですか?
私には違うとしか思えない。
 
なぜそれを描いたか?「作者のおもい」こそ、「精神的」なものだと私は思う。
 
 
そのはなしと、葉室頼昭さんの言われていることは、相通じると思う。
 
 
葉室頼昭さんの話の中に、現代の西洋医学の間違った考え方に対する非難が数多くあるのだが、ある年老いた夫婦があり、その夫が入院した。
その時奥さんはつきっきりで看病し、初めて夫婦でいろんな話をしていたのに、その担当の若い医師は、その奥さんを引き離し「そんなことをしていたら、長生きできない」といって、無理やり夫を集中治療室に入れて、看病できなくしたと言う。
いずれ夫もなくなるのだが、それを見ていた別の教授は「いったい何のための医療だ」と、機関誌に不満を載せたと言う。
 
確かに「集中治療室」にいれれば、少しは長生きできたとしても、数日の事であるし、それよりも奥さんに看病させて看取らせてやった方が、どれだけ亡くなった夫も幸せか?
 
そういうことを葉室さんも訴えられているのだが、現代の「専門家」はなにか間違っているような気がする。
彼らに見えているものは一体何だろうか・・・・・
 
 
 
また
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それから、なぜ私が、形成外科を選んで、うまれつきの変形の赤ちゃんを回復させようと思ったのか。 これも不思議なことだと思います。 そして突然大野病院の院長なったり、医療をやりながらなぜ神職の勉強をするようになったか。 
 
それから、どうして枚岡神社の宮司になったか。 どうして春日大社の宮司になったか。 このすべてが導きであって、今自分の人生を振り返ってみると、すべて春日大社の宮司になるために導かれたように思います。 
 
そして、やはり神の導きというものを人々に広めるために、こういう人生を歩まされてきた。
 
私は今になって、ようやく神様のご意志を実感したのです。
 
だから、この世の中というのは自分で生きているのではない、生かされているのだと、わたしは「神に導かれる人生」についてのお話をいつもしているわけです。
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と、言われています。
 
もう一つ葉室頼昭さんは親鸞聖人の「歎異抄」の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」について
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これはどういうことかというと、いい人というのは、善人ではなく、自分に悪かったと自覚していないひとです。 自分は悪いことをしていないと言う人でも、仏はすくおうとされるんです。 
 
そして悪人というのは、私が悪うございましたと目覚める人です。 そういう人は救われるのは当たり前である。 こういう意味なんですね。 
 
だからいちばん救われないのは、おれは悪いことをしていないんだ、おれは善人だと言う人がいちばん救えない。
 
それは神道の祓いと同じです。 一生払い続けて罪・穢が払われると言うこととおなじです。
 
自分は悪かった、間違っていた。 だからもっと改めましょうと言う人は救われる。 おれは悪くないんだ、おれは正しいんだと言う人は、神さまでも仏さまでも救えない。
 
こういう人は地獄に落ちていきなさいという意味なんです。 ですから、じぶんは正しいと思っている人は、ざんねんだけど地獄に行ってください。(笑)
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この言葉にはわたしは身をつまされる思いがした。
まさにグザッと胸に刺さったのだが、私は自分では曲がったことが大嫌いで、正義感が強く、悪いやつは懲らしめないと気が済まない、そんな性格なんだが、これは間違っておらず正しいと信じていた。
 
しかし、葉室頼昭さんは、それが一番救われないと言う。
 
確かに私はそれが原因だろうと思うが、人生で最大の試練を与えられている。
 
ただ、大事なことは、それに「気づく」かどうかだと思う。
 
多くの人はそれに気づかない。
 
私は以前から「気づき」という言葉を、好んで使う。
それは、人はなかなか自分では気が付かない事でも、「他人さま」から言われて、初めて自分の過ちに気が付くことがある。
それを私は「気づきを与えられる」というのだが、時々私はそんな思いを経験することがあった。
 
今回のこの話も、守護霊がこの本に私を導き、その事に気付かせてくれたものだと思う。
守護霊に感謝します。
 
 
(資)文化財復元センター  おおくま
 

「神道 見えないものの力  葉室頼昭」・その2

007
室頼昭さんはまた、医者という立場で「アポトーシス」というものがあり、われわれの体は新陳代謝で常に生まれ変わっているが、しかしそれらは遺伝子を受け継ぐことにより、うまく入れ替わるが、そうならないのが癌だと言う。
 
しかしがん細胞は始終出来ているが、体に不必要だからほとんどは消える。
そんな感じで、人間の体も使わなかったり、不必要と思われるものは消える・・・
そんな法則が「アポトーシス」として、宇宙にあると言う。
 
宇宙の法則って「引き寄せ」だけじゃなかったんですね!!
 
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もしわれわれの生活が神の法則に反する生活をしていれば、それはアポートシスで消えていくということになるわけです。 ですから、日本人は二十一世紀にはほとんど消えるのではないかと心配しているのです。 いま神の法則に沿った生活をしている人間が、この日本という国にいったい何人いるのか。
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そして
 
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これは予測でもなんでもない。 神の、そして大宇宙、大自然を貫く仕組みがあるんだから、その通りになったらみんな消えてしまいますね。 だから、神さまは日本人に消えてもらいたくないから一人でも多くの人に目覚めなさいと、私のような人間に言わせているのではないかと思うんです。 だから私は、神さまの法則に沿って生きてくださいと、口をすっぱくして言っているわけです。
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また「時間」について
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結局、時間というものは宇宙に存在しないんですね。 そういうものが存在すると思うところに間違いが出てくるわけです。
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この考えは、ずいぶんと「引き寄せの法則」関係では出てきますね・・・
つまり、自分の願望は「」すでにかなっているんだけど、それが見えないだけだと言う。
 
だから、それがすでにかなったものとして「感謝」をしない限り、それが実在の世界に姿を現さないと言う。
 
もう一つ「最短距離」についてなのだが、一般的に2点間を直線で結べば最短だと言うが、しかし飛行機で日本からヨーロッパに行こうとすると、北へ行って南に戻るのが最短距離だと言う。
それは「球」だからそうなる。
 
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それと同じで、たとえば私が春日大社の宮司になる。 この宮司になる一番の最短距離は、国学院とか皇学館という神職の専門学校を出て、そのまま春日大社に勤めたら、藤原氏の直系ということもあり、おそらく三十年くらい勤めたら、宮司になったはずです。 しかしこれは人間の頭が考える一番の最短距離ということです。
 
しかし、実際は、私は遠回りも遠回りして、医者をさんざんやって春日大社の宮司としてきたでしょう。 これは神様のお考えになる一番短い時間なんです。
 
つまりわれわれが考える時間と神の時間というのは違うんです。 理屈でこの道を行ったら一番短いだろうと考える道は、必ずしも正しくないんです。
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と、言われていますが、要するに我々の考えることなんて、たかが知れているから、自分で考えないで神様にお任せしろということでしょうね?
 
見えないものの力」とはそういうことだろうと思う。
 
また「不易流行」という言葉を取り上げられているのだが、命が伝わるとは、親の遺伝子が子に伝わったり、新陳代謝で新しい細胞に生まれ変わったり伝わるのだが、それでは地球上の環境に変化があった時に、100%そのまま伝わると生き残れない。
 
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環境に耐え抜いて生きていくことによって、はじめて進化というのが起こる。 ということは、環境の変化に順応すると言うこと、自分の体を変えると言うことですね。 それによって進化というものはできていく。
 
神さまが伝えたのはそういう進化ですから、環境によって自分の体を変えていくと言うことですね。 一方では遺伝子を伝えながら、片方で環境の変化に順応して自分の体を変えていく。 この二つをやっていくのが進化ということです。
 
そうすると、片方では続けると言うことと変わっていくと言う、まったく矛盾したことを同時に行うのが進化ですね。
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そしてそれが先日もブログに書いた。
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私が春日大社にきていちばん最初に、この大社はつぶれるぞと言ったんです。 ここは不易だけやっていた。 昔の伝統をあくまでも維持しょうとしていたんです。 
    
いまは地球の環境がすごく変わってきているでしょう。 世界がこんなにも急激に変わることはいままでありませんでした。 そして日本はいま、始まって以来の環境の変化の中にあります。 
    
神社といえども、これに順応していかなければ滅びる。 だから流行をやらなければいけないと言い続けています。 祭りというのは、原点に返って、厳格に古式どおりやる。 一方ほかのことは、時代に応じて順応して変えていく。 そういうことでなければならないということで、いろいろと改革をやっているんです。
    
ところが、それにきがついていない神社もあります。 ただ昔のことだけ守ればいいと思っている人がいますね。 そうすると、どんな格式のある神社と言えども、だんだん落ちぶれる方に進んでいく。 ですから、不易流行というのはそういうことです。 逆に不易をやらないで、流行だけで変わるというのは変化です。 変化だけでも滅びるんです。
    
 そこに伝統を伝えつつ変わる変わるという矛盾したことをやるのが進化であり、これをやらなければいけないのです。
    
いま日本は歴史と伝統を捨てて、アメリカのものを持ってきて変化だけしたわけです。 だから、今のような国になってしまったんですね。 そうではなくて、伝統を伝えながら時代に順応していかなければいけないんです。 これをまったくだから滅びると言っているんです。 
    
感謝しないと滅びると言っているわけです。 もう変化するのはいいんです。 今度は不易をやらなければいけない。伝統を伝えることです。 流行ばかりだったら、本当に滅びてしまうでしょう。
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と、言う言葉に繋がってくる。
 
我々はこの意味をもっと重く受け止めなければならないと思う。
    
この不易流行でいうところの矛盾と同じかどうか?疑問があるのだが、ニューソートの世界では、すべては自分次第という考え方なのだが、「そのままでよい」という話が出たり「自分を変えれば、世界は変わる」という矛盾した話が出てくる。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
 

「神道 見えないものの力  葉室頼昭」・その3

007
葉室頼昭さんは「日本人の特徴」という項目で
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ところが日本人は、自然に恵まれているから、自分で何かする、周りを変えていくと言うのではなくて、自然に生かされてと言うことをこの何万年かかけて体験し、そういう生かされていると言うことに感謝してきた民族なんですね。 私はこの、生かされていると言う心が、神道として結実したんだと思っていますが、これは他の宗教とは全然成り立ちが違う。 そして、これが日本人の世界唯一なる特徴であり、その特徴によって、真実の生活をしているのが本当の日本人であるはずです
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と、言われ
 
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だから神様はなぜ日本人を誕生させたかというと、こういう今現在の状況になることを神様はご存じで、地球の末世というか、こういう時代を救うために、日本人を生み出されたのではないかと思うのです。 またそれを知って呼んだ外国人がいるんです。
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この手の話は、いろんな分野でも聞かれますね・・・・
かの「日月神示」にも、いずれ天変地異が起きて、大半の人類は滅びるが、一部の神のご意志に沿った生き方をしてきたものは生き延びる。
 
また、日本という国の特殊性も、その本にはありましたが、当時読んだときにずいぶん独りよがりな考え方だと思っていましたが、ここでまたその考え方に出会うと、あながちウソではないようですね。
 
そして、神が呼んだ外国人として、大正時代にアインシュタインが日本に来て
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科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。 そして、最後に疲れ果てるだろう。 その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。 それをするのが日本人である。 そして、この日本列島にこういう日本人を造ってくださった神さまに、心から感謝する。
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それくらい日本人は特殊であり、先日の「日月神示・その2」/にも書いた、私のパートナーは日本人でないといけないと、「目に見えない不思議な力」が働いていたのは、嘘ではないんですね・・・
 
ただ、そこまで期待されていた日本人が現在どんな状態かということになると、「神道 見えないものの力  葉室頼昭」・その2」の「不易流行」という話に戻ってしまうんですね・・・・
 
(資)文化財復元センター  おおくま

「なまけ者のさとり方  タデウス・ゴラス」

027
この本は、2年ほど前に買ったものだが、比較的薄く、数時間で読めてしまうものだが、この本では、ずいぶんと気持ちを癒された思いがする。
タイトルから解るように「はじめに」には
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私はなまけ者です。世間でよく言われているように、さとりを開くためには何年も修行が必要だとか、人一倍の努力や厳しい自己鍛錬をしなければならないというのなら、さとりはわたしにはなかったことでしょう。
 
そのうえ、食べ物に気を付けなければいけないとか、たばこは体に悪いからやめろとか、道徳にかなった生活をしなくてはいけないというようなことになれば、なおさらのことです。
 
さとりとは、これらの事とはまったく関係がないと、私はこの本で言いたいと思っています。
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と、まず書かれている。
 
 
随分、砂澤たまゑさんの厳しい修行と差があるし、葉室頼昭さんの言われることとも、ずいぶんかけ離れている。
 
しかし、だからこそ、当時胃の痛む思いをしていた私は、救われた思いがした。
 
 
この作者は1924年のアメリカに生まれたらしい。
ほとんど生涯、出版関係の仕事に従事しているようだが、しかし彼をネットで検索しても、ほとんどこの本の話題しかない。
 
ただ晩年、もう1冊の本を書いてはいるが、この本がそこそこのヒットしたにもかかわらず、もう1冊の本はどうもこの本の内容とずいぶん違うらしく、出版社が出版しようとしなかったと言う。
 
 
とはいうもののこの本は
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私自身が人生において再び行き詰まり、途方にくれた時に、読んでみたいと思うようなものを私は書いてみるつもりです。
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と、書かれているような内容である。
 
 私がこの本で癒されたと言うのは
私はこの現実を受け入れまする
私はこの現実と一体です。
私は平等の正義を受け入れます。
私は平等の正義に一切逆らいません。
私は平等の正義と一体です。
 
と、書かれているのだが、彼の考え方はまさにニューソート系の様で、すべてを自分で何とかしょうとせずに、「」に委ねなさい。
そうすれば、きっとうまくいきます。
 
と、言うのが彼の結論ですが、しかしこの結論は砂澤たまゑさんの
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神さんはわたしにすべてのことを忘れろ、何も考えるなとおっしゃりました。 バカになれとも言われました。
無にならなければ、神さまは動かれようがないのです。
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と、言う話と相通じるものがある。
 
そうすると、やはり「」は自分で勝手に考えて動くより、ちゃんと神を信じて神に委ねよ!!と、言われているとしか取れない。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

「人生を変える一番シンプルな方法」

029
この本は半年ほど前に買ったものだが、アメリカはいろんなセミナー産業が盛んなようで、何でもセミナーにしてしまい、高額の参加費を取るらしい・・・
 
これもその一つと思われるが、要するにいろんな「思い」を手放すことにより、気分が楽になり、また運がよくなると言う。
 
確かにホ・オポノポノでもそうだが、潜在意識のクリーニングやら、思いを手放すことで、「神の恵み」を得やすくなると言う考え方からきているものと思われる。
 
そして、アメリカの「セドナ」で、これのセミナーが開かれているらしく、その手の人からはセドナは「聖地」であり、その手法を「セドナメソッド」と呼ばれているらしい。
 
 
言うなれば、そのセミナーへの誘い水のような本だと思われるが、ページそのものは300P近いのだが、そのほとんどはどういうものを手放すか?という話なのだが、その中身はすべて似たようなことを、繰り返し書かれているだけで、肝心な手放す方法については、数行しか記されておらず、要するにたとえばボールペンを手に持ち、その手を握り締め、その手を開けば、ペンはどうなりますか?
 
と、いう話である。
答えは「ペンは落ちる・・・」というだけの話。
つまり、それらのいろんな気持ちもこれと同じで、握った手を広げれば簡単に手放すことができると言う話なのである。
 
この手のやり方はホ・オポノポノでもいくつもの本が出ているが、肝心な部分は本には書かれておらず、それは高額なセミナー参加者にのみ教授するというのと同じだと思う。
 
 
ただ、この「手放す」方法に関しては、セミナーに参加しなくても、結果としては自分で「手放した!!」と思えば、それだけでも十分気持ちは楽になる。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

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