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「霊能一代  砂澤たまゑ」  つづき・・・その1

どうしても、この本について、もっと書きたいと思う。

011
それはたぶん・・・「内なる自己」つまり潜在意識かあるいは「魂」か「内なる神」が、「健在意識」の私に働きかけているのだと思う。

 

この本はすでに4度ほど読んだ。

読み直せば読み直すほど、この砂澤さんの霊能力の凄さが解る。

 

彼女は確かに「大正十一年一月一日」の生まれで、すべてが一並びだという。

おかげで負けず嫌いの子供だったという。

 

だけど、ただ負けん気の強さだけではなく、父親は鋳物師で、母親は稲荷教会の娘だったらしく、小さい時から信仰心の篤い子供だったらしいが、同時に人に対して思いやりがあり、小学校には、近所の「乳姉妹」というべき、赤ちゃんの世話を自らしていたらしく、背中にその娘を負ぶって、小学校に通ったり、近所の家の手伝いを頼まれもしないのに、勝手にしたりしていたらしい。

 

そして、その評判を聞いた人が、彼女をその家の子供の世話と、母親の病気の看病のために、手伝いに出してほしいと、父親に相談に来たらしく、父親はその気がなかったのに、彼女が自ら手伝いに行くと言って、結局小学5年と6年の2年間、その家に住み込み、手伝いをしたとか・・・

 

イマドキの子供なら考えられない話。

 

その後も彼女は一生の間に、血の繋がらない子供を9人も育てたという。

 

それだけ聞いても、どれだけすごい女性か判るのだが、子供のころにすでに神様が彼女に時々話しかけたり、いろんなことを教えてくれたりしたので、神さまって便利なものだと思ったらしい。

 

彼女は小学校を出ると、働きに出たらしく、当時は田舎の娘はそれが当たり前だったとのこと。

彼女は最初は知人の紹介の医者の家で住み込んだらしいが、いずれ洋裁学校でミシンを習い、その技術のおかげで、戦争中に満州に行っていて、命を長らえたという。

 

その時も神様が、日本に居ては、戦争で危ないから、満州に行こうと言いだしたとか・・・

神さまは「今度の戦争は、神風は吹かないし、日本は昭和二十年八月十五日に戦争に負けるから、八月の二十五日に日本に帰ってこよう」と、はっきりと言ったとのこと。

 

そしたら、実際に満州の「バルーン爆弾」の工場で求人があり、すんなり通って、満州に行き、そして無事言われた八月二十五日に、きっちり日本の土を踏んだという。

 

これも凄い話だと思う、きっちりその彼女についている「お稲荷さま」には、先が見えていたわけや・・・・

 

 

戦後は、いろんな仕事を経験したが、求人も少ないので、自分でお菓子屋さんを始めたけど、弟たちが仕入れ値よりも安く売ったりするから、赤字が続き、そこで神様にどうしたらいいか?聞いたら・・・・

「ほら、言うことを聞かないからだ・・・」と怒られたらしい。

 

つまり、神さまは以前から彼女に「お代になれ」と、勧誘していたらしいが、まだうら若き娘としては、夢もあるし、断っていたらしく、その彼女が根を上げるのを待っていた様子。

 

ただ、私も復元の仕事に導かれたと思うのだが、自分のやりたいことの道は、最後は神さまから断たれるみたいな気がする。

 

だから彼女も商売がうまくいかないように、神さまは手を回したらしい・・・

 

 

 

彼女も本に書いているけど、神さまは信じる者にはいろいろと「おかげ」を与えてくれるが、神さまの言っていることを聞かないと、逆に罰を与えたりするのが、日本の神さまらしい・・・

 

一方西洋の神は「契約の神」らしく、キリスト教などは「人間は最初から罪を背負って生まれてきた」だから、それを「信仰」という名の「贖罪」で、それを償わなければならないという考え方らしい・・・

 

またスピリチュアル系で言えば、宇宙の創造主である「神」は、全知全能で、その分身として「人」を作ったから、本来、人間は不可能なことなどなく、「自分の思考」の狭さが、不可能を作っているし、「思考」を変えることで、不可能が可能になり、病気も自分の気持ち次第で治るという。

だから、神さまは自分の分身に罰など与えないし、罰は自分で創りだしたものという。

 

つまり「引き寄せの法則」で言う、すべては自分の思考が引き寄せているという考え方なのだが、そうすると私が体験した不思議な出来事はすべて、自分が引き寄せたものということになる。

だけど、少なくても「顕在意識」にはない出来事ばかり起きるし、仮に自分の思考が引き寄せているなら、もっと自分の得になることを引き寄せるけど・・・

 

 

で、実際に私も1年ほど前から、スピリチュアル系の本をいろいろと読んで、引き寄せを試みたが、結局うまくいかない。

 

そこには、先日もある霊能者から言われたのだが「確かに引き寄せの法則もあるかもしれないけど、しかし日本の神さまは、そんなものよりも大きな力を持っている」「上手くいかないのは、信心が足らないから・・・」と言われてしまった。

 

確かに、砂澤さんじゃないけど、神さまの存在を現在、嫌と言うほど「実感」させられている。

 

 

 

さて、話を戻して、砂澤さんも結局あきらめて、「お代」になるための修行に入るのだが、神さまはつきっきりでその修業の指導をしたらしく、真冬の雪の積もった夜中に、白衣一枚で、自宅横の川に浸かり、一心不乱に祝詞をあげ続けたら、声が破れたらしいが、一度破れたら二度とは破れないという。

その雪の積もったところを夜中に白衣一枚で歩いて川に浸かるものだから、村の酔っ払いが「幽霊」と間違えたらしい・・・

 

もともと彼女の母親は、稲荷教会の娘だが、母親は実は養子で、その教会の先生とは血が繋がっていないという。

その母親の育ての母は、やはり霊能者で、二千人の信者を抱えたことがあるほどの凄い人だったらしい。

 

本来なら、砂澤さんの母親が後を継ぐべきなのに、父親と結婚して家を出たし、義理の娘だから、霊力は無かったらしいが、結局その娘がその後を継ぎ、稲荷教会として信者を集めることになる。

 

つづく・・・・

 

「霊能一代  砂澤たまゑ」  つづき・・・その2

011

だから、砂澤さんの母親は、自分が跡を継がなかったから、子供が跡を継ぐことになったことをちゃんとわかっていて、彼女には何も言わなかったし、ある時「神さまの娘なら、これくらいでは死なない」と言って、寒中の水の中に放り込まれたこともあったらしい。

 

 

神さまは、砂澤さんに

 

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神さんはわたしにすべてのことを忘れろ、何も考えるなとおっしゃりました。 バカになれとも言われました。

無にならなければ、神さまは動かれようがないのです。

 

とまれ、私のような御神示が受けられるものは珍しく、教師の資格を持つ人でも少ないでしょう。

 

行は和田山で日々積むだけでなく、京都の伏見稲荷のお山でも行いました。 ここには頻繁に通いました。 これもすべてご命令でした。 それは今日に至るまで続いております。

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と、書かれているのだが、日本の神さまは自分の手足となって仕えてくれる「お代」を求めておられるらしく、彼女も本に書いているのだが、自分のような霊能者は数十万人に一人だろうという。

でも、それだけの霊能力を持っていても、修行をしないと本物に慣れないらしく

 

 

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何度も申しますが、自然が神様です。 自然の中に霊があり、それが肉体に宿るのです。 神様仏様はみな自然の中におられます。 だから私たちは先祖を祀り、神さまに手を合わせてきたのです。自然の中の霊と先祖が神さまで、一番力があるのです。

 

形のないものが一番力があります。

 

霊の世界も複雑です。 私のような霊能者には、霊の世界が分かります。 だから霊能者なのです。

 

霊には悪い霊もあります。 死後に供養されなかった霊です。そういう霊は、ポンとたたくだけで払えるものもありますが、除霊しなければ払えない霊もいます。 除霊するにはする側の霊力が強くないとできません。 霊能者の力が高くなければ負けてしまうからです。 つまり霊能者にりっぱな強い神さまがつかなければ負けてしまうのです。 そのためには霊能者が修行を積んだ能力の高い人でなければなりません。 そうでないと立派な神様がつかれないからです。

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と、はっきり書かれている。

 

ここまで言い切れるのは、やはり厳しい修行を耐えた人だから言えることだと思う。

 

ただ、そこまで言う彼女も、実は途中で何度も自殺を試みたという。

だけど、死なせてもらえなかった。

 

だから、逆にどんな荒行をしても死なないと思うから、耐えられたらしい・・・

 

で、その荒行の最たるものが、百日間の断食だったらしく

 

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百日断食中もお山を巡り、すでに述べましたようなさまざまな行を行いました。

食べていないからといってじっと座っているわけではないのです。 ですが、食べていませんから、八十日を過ぎるころには、山道を登ることなどできなくなってしまいました。 それでも手に草履をつけ、ひじや膝にも草履をあてがって、這ってでも昇ろうとしました。

 

でも、ついに力尽きてしまい、歩けなくなってしまいました。 すると神様が迎えに来てくださり、白いお馬に乗せられて清明舎まで連れて行ってくださりました。

 

こうした苦行の果てに、わたしは百日断食を満願達成いたしました。 私の他にも何人かがこの荒行に挑まれましたが、私の他はだれも成し遂げることができませんでした。 これはわたしの中でひときわ大きな意味をもつ出来事でした。

 

生死を掛けた激しい行の中で、生死の境をさまよっていると、神さまが見えてきました。 それが私の信仰心を確かなものにしました。命をかけなければ何も見えてこないということを悟りました。

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と、書かれているように、彼女の行はすさましい物だったようですが、だからと言って彼女の体は決して大きくなく、どうも写真を見ると百五十センチあるかないかくらいの小柄な女性の様です。

 

とにかく、凄い人だと思います。

 

仮に彼女を超える「お代」がいるとしたら・・・

 

二十歳ほど年上の「中井シゲノ」ぐらいじゃないだろうか?

 

つづく・・・・

「霊能一代  砂澤たまゑ」  つづき・・・その3

011
そんな感じで、彼女の人生はすさまじいものだったようですが、、この本の後半は、彼女を取り巻く信者さんとの不思議な話を記してありますが、そういう不思議な話も面白いのですが

 

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いまはほとんどの人が神様の存在を疑っていますから、神様がいると申し上げてもなかなか信じようとされません。

今の時代は目に見えるものしか信じなくなってしまいましたので、無理もありません。

 

ですがいらっしゃるのです。あなたの肩の上に停まっておられることもあります。 神様以外にもさまざまな霊があなたの周りにはたくさんいます。 私にはそれが見えますが、普通の人にはそれが見えないだけの事なのです。

 

神さまは姿形は見えませんが、それだけに何でもできます。 だから怖いのです。 神様はいつも見ておられ何でもご存知です。

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と、書かれていますが、確かに目に見えない神様の怖さを、現在まざまざと見せられています。

こういう話は、自分が経験しないと解らないでしょうね?

 

ただ、実はどんな人にだって、自分の周りにいろんな不思議なことが起きているんだけど、実はほとんどの人はそれに気が付いていないだけの話で、世の中に「偶然は存在しない」とは、スピリチュアル系でもいいますが、自分が意識しない限り、その事に気が付かないだけの事なんですね・・・

 

 

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人はすべて神の子です。 人間は、自分で何でもでき、すべて自分で決めてやっていると思いあがっていますが、実は神様がそうさせておられるだけの事なのです。

 

神さまは姿形がなく目には見えませんから、何も知らない人たちにそれを信じろと言っても、なかなか難しいと思います。 そういった人たちが、神さまを信じられるようになるためには、何らかの奇端があったり、不思議なことを体験したり、言われたことを信じてやってみたらうまくいったり、助かったりと言った経験をすることが必要なのかもしれません。

 

こう言った経験を積み重ねながら、人間は信仰の道に入っていくのですが、そういうことを人に体験させるためには、私にその能力がなければなりません。 そうでなくては、たくさんの人が信じてついてきてくださらないからです。 その能力を身につけるために、私は激しい修行を積んできたのです。

 

私はすべてのことを断言しますが、それは神様がそうおっしゃっているからです。

 

神さまがおっしゃっていることはすべて正しいということを私自身が身を持って体験してきたからこそ、自信を持って断言できるのです。

 

しかし、力のない霊能者にはそれができません。 ですから当たることもあれば外れることもあるとなってしまうのです。 多少霊感があると言う人は時々おられますが、そういった人と修行を積んだ本当の霊能者とは霊力が違うのです。

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と、自ら言われているわけで、ここまで自信を持てるのは、外れたことがないということでしょうし、またあれだけの修行を積んだからこそ、絶対の自信を持たれているのでしょう。

 

いずれにしろ、この本に導いてくれた、我が守護霊に感謝します。

 

(資)文化財復元センター  おおくま

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