一昨日の朝、目を覚まし、フト諏訪大社へ行くことになった・・・
で、その話は昨夜書いたのだが、別な視点からの話である。
つまり、私は2年ほど前から頻繁に行く、諏訪大社と宗像大社などに行くと、不思議と車の燃費が上がる現象が起きるようになった。
最初は帰りにガソリンを入れてから、燃費が上がりだした。
そのうち、向かうときにも燃費計の数値が上がりだした。
これはその後、例外はまったく無いのだが、多分ほとんどの他人はその事を信じない。
私自身、何らかの「目に見えない力」が働いていることは判るが、それが何であり、誰の仕業なのかも全く判らなかった。
ところが先日、ずいぶんと大きな試練を受け、その答えを探しているときに、私の仕事は「社寺界(?)の偉い方」の支援があることが分かった。
で、フト思い当たるのは、この諏訪大社の神さまなのだが、HRRY山科氏によると、諏訪大神は「男神アマテル」だという。
つまり縄文神で、八百万の神より格が高いらしい・・・・
そんな神が復元の仕事の後押しをしてくれているようなのだが、バックの格が高い分、私の試練の壁も高かった。
さて、先ほどの燃費が上がる件は、このお方の仕業であることは判った。
ただ・・・
どういう理屈で、それが起きるのか?
私はそれも知りたい・・・・
そんな中、HRRY山科氏の動画の中で「USO800」の存在を知ったのだが、これは我々の幼稚な化学や、訳の判らない「常識」ではありえない出来事と言える。
USO800の発案者の岩崎士郎氏によると、矢印型と言うか、家型と言うか、のシールを張ると、そこに空間エネルギーの流れができるという。
其のエネルギーは「万能」で、いろんな効果があり、車のいろんな性能をアップしたり、水がおいしくなったり、果物が腐りにくくなるとか、あるいは地震のような揺れを吸収するとか?まさにいろんな力として働くようだが、しかしその効果は「人によって違う」らしい・・・
そう、人によって違うというところが味噌なのだが、つまりそれを信じる者には効果があり、信じない者には効果がないわけだ。
HRRY山科氏はそれは「想念」だという。
我々の「思考」がその力を創りだしているというのか、あるいは利用可能としているということになる。
要するに、やれ科学的でないとか、常識では考えられないという、思考レベルの低い人には、存在していても利用不可能を意味する。
さて、前置きが長くなったが、私の燃費の向上もどうもこの作用が使われているように思う。
もちろん、私はUSO800を貼っていないから、常時空間エネルギーが作用しているわけではなく、神社行の時だけ神様がその効果を与えてくれているようである。
で、面白いことに、この燃費が上がる現象は、神さまだからと言ってもとんでもない燃費が出るのではなく、どういうわけか上限は「車のカタログ値」で止まっているわけで、今までの最高値は「22」程度なのだが、このメーターの数値から約15%くらい引いたのが、実質燃費となる。
私の車はモビリオなのだが、面白いことにカタログ値が「18.2」となっている。
ピタリと一致している。
そこから考えても、この現象は「空間エネルギー」を利用したものだと考えられる。
で、今までで燃費が良い時は、クーラーなしで夜の空いている時間帯となる。
今回は昼間にクーラーを付けて、しかも名古屋付近はとても渋滞しているから、結局行きは「16.4」程度の数値になってしまった。
それでも最近乗っていると「13~14」の数値しか出ないから、明らかに上がっている。
そして帰りは、夜に走ったり、昼間でも雨が降って涼しかったので、クーラーを切っていると「18.1」にまで回復した。
これは明らかに目に見えない何らかのエネルギーの影響だと私は思う。
追伸なのだが、今回の旅行中に、坂道の急カーブで危うく曲がりきれないところがあった。
これを神様は守ってくれたのだが、実はこのUSO800の作用の一つに「遠心力を弱める」と言う作用があるらしい・・・
仮にUSO800を貼っていたら、今回の危険はなかったのか?あるいはそれを神様は使って、私を事故から守ってくれたのかもしれない・・・・
(資)文化財復元センター おおくま
この本の存在を知ったのは、HRRY山科氏のビデオからなのだが、HRRY山科氏は最初は UFOに興味があり、アダムスキーの宇宙人から教えられた「宇宙哲学」に興味を持ったが、やがて「神」へと導かれた様子。
その彼がビデオの中で、この本とアダムスキーの「宇宙哲学」の共通点をいくつも話されていた。
その時点でこの本の内容は「思考の物質化」や、「引き寄せの法則」と同じであることは判った。
ただ、今まで私が読んだこの手の法則は、確かに一部は「精神面」を強調するものもあり、その手の本はほとんどこの翻訳者の訳によるものだが、引き寄せ関係の本のほとんどは「欲」が表に出て、いかに願望を叶えるか?の方法を取り上げたものが多い。
しかし、どうもこの本は違うらしい・・・
で、早速この本をAmazonの安い本屋へ注文したが、やけに届くのに時間がかかったのだが、どうもその本屋は同じようなクレームをずいぶん出している、誠意のない本屋だった。
その話はさておき、読んでみたが、この本はページ数も少なく、同じ訳者の思考の現実化の本も、似たような作りとなっている。
ただ、この本はすでに100年以上前に書かれたもので、聖書に次ぐ出版数を誇るものらしい・・・
Amazonのレビューを見ても「自己啓発書」として捉えている人が多いようだが、私は単なる成功哲学と言うより、まさにHRRY山科氏も同じ思いだろうが「宇宙の法則」に沿った生き方を提唱した「人生哲学」の書だと思う。
著者も「はじめに」に
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この小冊子は、私の瞑想と体験のなかから生まれたものです。
よって、私はこれを、昔から頻繁に論じられてきた「思考パワー」の完璧な解説書である、などと主張するつもりは全くありません。
私はこの本を通じて行っていることは説明と言うよりも提案であり、その目的は、できるだけ多くの人たちが、ミズカラの手で「自分こそが自分の人生の創り手である」という真実に気づくのをうながすことにあります。
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と、言っているのだが、この本に書かれたことは、私の経験からまともな話であると断言できるのだが、しかしこれもすべては「受け取り方」次第であり、「こんな話バカバカしくて聞いていられるか!!」という輩には、この本はなんの力も与えないが、しかしこんな話を「自分の糧」とできる者には、その後の人生に大きな違いが現れることは間違いないと、私は思う。
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私たちの運命を決定する神は、私たち自身の内側にいます。
私たちの思いこそがそれなのです。
私たちは、自分自身によってのみ束縛されます。
思いや行いが「不運の悪魔」として機能するときにです。
そのとはそれらは、私たちを束縛する忌まわしい「看守」たちです。
しかし、それらはまた「自由の天使」としても機能することがあります。
そして、そのときそれらは、私たちをあらゆる束縛から解放する「救済者」たちです。
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彼もまた、神は「我々の中」に居ると据えてい.る。
そして、我々自身が、自分を「常識」や「既成概念」という考え方で拘束していて、我々自身が自分の可能性に足かせを付けているという。
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人々の多くは、環境を改善することには、とても意欲的ですが、自分自身を改善することには、ひどく消極的です。
かれらがいつになっても環境を改善できないでいる理由が、ここにあります。
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と、ズバッと切っている通り、人は外見的なものは見えても、その中身に原因があることを知らない。
これも突き詰めれば、科学的に証明されないものや、目に見えないものを信じないという、人間の愚かさがその原因ではないだろうか?
またこの本では、その例を3つ上げているが、その一つとして
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ここに、悲しいまでに貧しい男がいます。
彼は、自分のあらゆる環境が改善されることを願っています。
しかし彼は、報酬が少ないということを理由に、仕事をさぼること、つまり、自分の雇い主をだますことを選んでいます。
彼は、真の豊かさを築くための原則を何一つ理解していません。
彼は、貧困からはい上がるにまったく値しないばかりか、なまけ心、ずるい思い、卑屈な考えにふけり、それにしたがって行動することで、より深刻な貧しさを自分自身に引き寄せつつあります。
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どうだろう?? 耳の痛い人は大勢居しても、聞く耳をを持つ人はとても少なくないだろうか?
(資)文化財復元センター おおくま
この本にはずいぶんと良いことが書かれている。
まさに人生のバイブルだろう・・・
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良い思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。
これはトウモロコシからはトウモロコシ以外のものはけっして成長しないこと、あるいはイラクサからはイラクサ以外のものはけっして成長しないことと同じくらい明らかなことです。
この法則が自然界のなかで機能していることは、誰でも知っています。
でも、それが個人の人生のなかでもまったく同じように機能しているという事実を認識している人は、とても少数です。
そしてそのために、ほとんどの人たちは、それと協調して生きていません。
苦悩は、つねに何らかの方面の誤った思いの結果です。
苦悩は、それを体験している個人が、自分を存在させている法則との調和に失敗していることの、明確なサインです。
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私自身、高橋信次の本を読み、不安が少し消えて、慢性胃潰瘍が消えた・・・
自分の行いを正さない限り、人は最終的に不安の元が消えないことを、身をもって体験した。
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この宇宙を動かしているのは、混乱ではなく秩序です。
その一部である私たちの人生や社会を根底で支配しているのも同じ秩序であり、それは、不正義や不公平さではなく、正義と公平さの上に成り立っているのです。
人間は、自分自身を正すことによって、はじめて宇宙の正義と公平さを知ることができます。
その過程で人間は、周囲の人たちや状況に対する自分自身の姿勢を改めると、自分に対するそれらの姿勢もまた、速やかに改まるものであることを、身をもって知ることになります。
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この話は、最近のニューソート系や津留晃一氏の話によく出ているのだが、自分が相手をどう思っているかは、例え口や態度に出さなくても、それは念波となって、相手に届くらしい。
だから、全ては自分の責任であり、自分が思考を変えれば、自分を取り巻く世界が変わるという話になってくる。
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どんなに弱い人間も、自分自身の弱さを知り、「強さは持続的な鍛錬によってのみ開発される」という真実を信じたときから、奮闘・努力を開始します。
そして、努力に努力を重ね、忍耐に忍耐を重ねることで、やがてはすばらしく強い人間へと成長することになります。
虚弱な肉体をもつ人間が、それを忍耐強くトレーニングによって強化できるように、虚弱な心をもつ人間も、それを、正しく力強い思いを意識的にめぐらしつづけることによって強化できるのです。
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結局は自分の人生の責任は自分にあるということに尽きる。
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私たちの達成に成功すること、また失敗することのすべてが、私たち自身がめぐらす思いの直接的な結果です。
公正な秩序が保たれているこの宇宙内では、いかなる調和の欠如も破壊につながります。
よって、そのなかで果たすべき個人の責任はとても重大です。
私たちのもつ強さも、弱さも、清らかさも、けがれも、ほかの誰のものでもなく、私たちじしんのものです。
それらは、ほかの誰によってでもなく、私たち自身によってのみ育まれます。
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この本は1902年に書かれたもので、アダムスキーが宇宙人と遭遇したのが1952年だという。
つまり、アダムスキーが宇宙人から教わった宇宙哲学より、50年も早く「宇宙の秩序」を著者は知っていたことになるが、当然人類は宇宙に行くのはずっと後である。
著者の知人は、彼が丘に立ち、宇宙と交信していたと言っているらしい・・・
最近はやりのチャネラーよりも、ずっとずっと以前の話であるから、明らかに彼も「宇宙の創造主」の下で働く聖者の一人だったといえる。
HRRY山科氏は、特に震災以後日本の上空には多くの葉巻型の母船が、日本を監視しているらしい・・・
宇宙の秩序を我々我欲に駆られた人類が、地球を破滅に追い込みつつあり、破滅すれば人類がどうなろうと、宇宙の秩序を乱すことになるので、それを監視しているらしい。
また著者はこの続きとして
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また、強い人間が弱い人間を助けることができるのは、弱い人間が意欲的に助けを求めているときだけです。
そして、たとえそのときでさえ、弱い人間は自分自身が強くならなければなりません。
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このことは私自身、嫌と言うほど味わっている。
世の中に「小さな親切」という言葉がある。
一方で「大きなお世話」という言葉もある。
両極端であるが、果たしてこの違いは何だろう??
中身は同じでも、「受け取り方」が違うと、その価値は逆に取られてしまう。
違うのは「受け手」の意識なのである。
相手にそれを受け入れる気があれば、「小さな親切」でも、その気がなければ「大きなお世話」と化してしまう。
でも、大きなお世話と思う人は、しかしそれが自分の受け取り方の問題だとは、誰も知らない・・・
すべては、自分の人生は自分の「思い」が創り上げているという、この著者の話は、解るものにしか解らない話なのが、悲しい・・・
(資)文化財復元センター おおくま
谷口雅春氏の著書に、よく「一燈園」の話が出てくる。
ちょっと気になるのでネットで調べてみた。
を見ると1905年(明治37年)に「西田天香」氏により設立された「懺悔奉仕団体」だという。
谷口氏は自分に自信をもって積極的に生きる道を説き、この一燈園は逆に「許し」を得て生きる道だという。
しかし、谷口氏は、中に流れるものは同じだという。
そんな中、谷口氏の著書も戦前戦後という時期なのだが、この『生長の家』は現在3代目の孫が代表を務めているが、この「一燈園」も実は現在京都の山科で、そのまま活動を続けているという。
そこには創設者の魂が生き続け、未だに多くの人々が共同生活をしているらしい・・・・
それこそ、見えるものしか信じなくなった現代人からすれば、「時代遅れ」の生き方だと馬鹿にされるだろうが、私はむしろ逆だと思う。
彼らの生き方や、『生長の家』の生き方こそ、先ほどのジェームズ・アレンが1902年に書いた『「原因」と「結果」の法則』にもあるように、1905年に設立された「一燈園」の生き方こそ、宇宙の法則に沿う生き方ではないかと思う。
時代遅れなのは、彼らではなく、「宇宙の法則に逆らい自滅の道を歩み続ける現代人」こそ、宇宙の創造者から見れば、時代遅れの愚か者としか見えないのではないかと思う。
我々はもう一度、初心に返るべきではないだろうか・・・・・・
(資)文化財復元センター おおくま