私は私に「不思議な出来事」を起こす、「目に見えない不思議な力」の正体をずっと追い求めてきた。
私は若いころから「自問自答」をすると、忘れたころにその答えが返ったり、また気が付くといつの間にかその「答え」が自分の中にあることに気が付いた。
そんな経験をしていると、モノの「判断基準」が、普通の人とずいぶん違うことに気が付いたのだが、よく人は「常識」という言葉を好んで使う。
それは、自分の考え方、判断基準などは、「みんなと同じ」だと言うことが前提条件になるのだが、実際はみんな違う「常識」を持っていて、「自分にとっての常識」でしかないのだが、その事に気付く人はとても少ない。
「神」というのも、実はそんな「思い込み」によってイメージが創られているように感じるのだが、しかしここ2年ほどこの手の本をいろいろと読んで、ある程度解ったことは、神と宇宙とは切り離せない事。
そして自分の中にも「神」と呼ぶべき存在がある事。
そして世の中に「偶然」は存在せず、あるのは「必然」だけであること。
数年前から、「神とは何ぞや?」と、自問していたが、なかなかその答えは返らなかったが、しかし1年ほど前にフト気が付くと「神とは宇宙の星の運行プログラムのようなもの」という答えが自分の中にあった。
すると、プログラムのようなものというから、それは「意志を持たない」はず・・・・
そうすると、我々が普通描く「神」は人間の姿をして、人とコミュニケーションが可能だと信じているが、それとはずいぶんかけ離れることになる。
ところが「神との対話」の中にもそんな話が出てくるが、「神」には実態がないというのか、我々人間が感じられるような「姿」を持たないらしい・・・
しかし、それは「意志」を持っているらしい・・・
最近「サムシンググレート」という言葉をよく聞くのだが、検索すると村上 和雄という学者が遺伝子の研究をしていると、あまりにも見事で、とても「偶然」にできたものとは考えられない。
明らかにそこに「意志」を感じると言うところから、その存在をそう呼んでいるらしい・・・
また「祈り」の研究もいろんな機関でやられているらしく、実際に差が出ているとのこと。
これは神道の世界でも、葉室頼昭さんという元春日大社の宮司になられた方も、「宇宙のこころ」の存在を「神」と呼ばれていた。
じゃ、その「宇宙のこころ」と、我々は直接繋がるかというと、いろいろ調べるとそうじゃないらしい。
高橋信次も「心行」のなかに
- 大宇宙大自然界に意識あり
- 意識は大宇宙体を支配し
- 万生万物をして調和の姿を示さん
- 万生万物は広大無辺な大慈悲なり
- 大宇宙体は意識の当体にして
- 意識の中心は心なり
- 心は慈悲と愛の塊にして
- 当体・意識は不二なることを悟るべし
- この大意識こそ
- 大宇宙大神霊・仏なるべし
- 神仏なるがゆえに 当体は大神体なり
- この現象界における太陽系は
- 大宇宙体の
- 小さな諸器官のひとつにすぎず
- 地球は
- 小さな細胞体なることを知るべし
- 当体の細胞なるがゆえに
- 細胞に意識あり
そして
- 神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち
- 実在の世界にあって
- 諸々の諸霊を善導する光の天使なり
- 光の天使 すなわち
- 諸如来 諸菩薩のことなり
- この現象界は
- 神仏よりいっさいの権限を
- 光の天使に委ねしところなり
- 光の天使は慈悲と愛の塊りにして
- あの世 この世の諸霊を導かん
- さらに 諸天善神あり
- 諸々の諸霊を いっさいの魔より守り
- 正しき衆生を擁護せん
- 肉体を有する現世の天使は
- 諸々の衆生に正法神理を説き
- 調和の光明へ導かん
と、言っているように、間に守護霊や指導霊の存在があり、その上に「光の天使 すなわち諸如来 諸菩薩のことなり」という存在があるらしい。
多分これらの存在を我々は普段神や仏と呼んでいるようで、それらには「姿」があるらしい・・・・
霊も修行を積むと、だんだん出世して「神」という存在に近づくらしい。
なのに、いろいろ噂では「現代の宗教」は、霊の存在を否定していると言う。
霊を否定して、どこからか突然「神」や「仏」が現れると言う・・・・・・
しかし「色即是空」とか「色心不二」とかいう仏教用語もあり、「目に見えない存在」は否定されていなうように思われる。
私は「画像による文化財復元」という仕事には、その「目に見えない不思議な力」に導かれたと思っているのだが、それはもともと「写真」を専門としていたので、その「技術」を応用するために、この仕事を始めたと言う程度にしか、自分では自覚していなかった。
ところが、それが甘かったと見えて、そのために今回人生で最大の試練を神から与えられたわけだが、何度も話に出てくる出会い系で繋がったチャネラーから当時「捻じ曲げられた歴史を正す」使命があると言われたとき、私には全くそんなことは考えてもみなかった。
そう、単なる自分の持っている技術の応用としてしか考えていなかった。
しかし、最初の頃は在る修復業者の下請けとして始めたのだが、その中に「大石内蔵助」が書いたと伝えられる絵馬を復元する機会が与えられたが、復元するとその絵馬に「万治二年」という年号が出てきた。
するとそれは大石内蔵助の生まれた年だと言う。
そこで、本人が描いたものではなく、「本人の誕生を祝って奉納」されたものであることが分かった。
また、私の知人に宮内庁の職員が居て、彼が言うには「宮内庁には表に出せない資料がいっぱいある」という。
古事記や日本書紀もその手の改ざんが随分されているらしく、チャネラーの言っていた「捻じ曲げられた歴史を正す」という「使命」は実際に私に与えられていると言うことは、今回の試練からまざまざと知らせられた。
(資)文化財復元センター おおくま