続・「〈神道〉のこころ 葉室頼昭」その1
ここ2年ほど、精神世界の本をずいぶん読んだ。
感激したものの中には「高橋信次」の本もあるのだが、彼も霊能者で、ずいぶんと自然に感謝することの大切さや、我をなくすことなど、「人間・釈迦」のシリーズや、「愛は憎しみを超えて」という小説で、判りやすく説いていて、私も彼の本から「やすらぎ」を得た。
私はもともと、神経質なところもあり、慢性胃潰瘍なのだが、その回避策を以前に付き合った女性の生き方から学んだことがあり、何か心配事が起き始めたら、気持ちを外に向けることで、軽いものは回避できた。
しかし、それでもやはり心配事があると、胃に来る。
だから「ガスター10」という薬は、その時の特効薬となっていたのだが、高橋信次の本を読んで心の「やすらぎ」を得られるようになって、その薬は一度も使わなくなった。
確かに、物事は自分の「受け取り方」次第で、自分の受け取り方を変えれば、安らぎは得られる。
ただ、気持ちの持ちようで、安らぎは得られても、それで自分の人生がすべて好転するわけでは無いようで、そこには「目に見えない不思議な力」の影響は、切っても切り離せないものだと、私にはおもえる。
そこで、その後もいろいろと答えを求めて、いろんな本を読むのだが、その中で先日「霊能一代 砂澤 たまゑ」という本に導かれたのだが、同時に著者の葉室頼昭と言う人にも縁が繋がった。
この砂澤さんも葉室さんも1年ほど前に、別々のブログで存在は知っていたものの、その時点ではそれ以上興味が行かなかった。
で、この葉室頼昭さんは公家の「藤原家」の血をひく方の様で、もともと藤原家は天皇と神社を繋ぐ仕事をされていた家柄らしい。
だから春日大社という大きな神社の宮司なのか?と最初は考えた。
しかし、この本を読むと、学習院時代の話から始まるのだが、華族の世界は特殊で一般人と接触の無い世界らしく、言葉遣いも独特で我々庶民とずいぶん違うという。
そういう家系に生まれながら、医者の道に進まれたわけだが、阪大に医学部に在学中に、肺結核と診断されたが入院せずに勉学に励んでいたら、ある時吐血したらしく、結局東京から両親が来て、彼を戸板に乗せて、汽車の4つの座席を取り、そこに寝かされたまま、実家に帰ったという。
その時に知人が渡してくれた1冊の宗教の本を読んだ。
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読む気はなかったんだけど、汽車のなかで何もすることがない。 寝ながら読んだんです。 あとで知ったのですが、岡山大学の産婦人科の先生で生長の家の幹部のひとが書いた本でした。 それを読んでいて愕然としました。 自分がいままで考えていたことと全然違う世界が書かれてある。 人は生かされて生きているということがずっと書いてある。 それを読んでいたら、感激して、涙が止まらなくなった。 その時私は欲が無なくなってしまった。 死というものが目の前に来ると、生きたいとか、医者になりたいとか、自分では気づかなかったんだけど、そんな欲望は全部なくなっていた。 無我になっていたんですね。
そこへそういう本を読んだものだから、泣けて泣けて、泣き続けて東京まで一冊を全部読んでしまった。 東京駅に着いたら、ぼくがホームで立ち上がった。おふくろが何しているのという。 神戸を出るときは立ち上がるどころか、起き上がる力もなかったのが、東京駅で立ち上がった。自分でもなんで立ち上がるのかと思ったくらいです。 おふくろが寝ろというから、また寝て、車で家まで帰ったんです。
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と、書かれているが、実は私も先ほどの慢性胃潰瘍が治ったのは、高橋信次の「愛は憎しみを超えて」という小説を最初に読んだとき、涙があふれて、何度も泣いた。
そのストーリーは、戦後の若い高利貸の青年と、彼の周りの人々の話なのだが、思いやりの心の大切さを説いたもので、感動して、涙が止まらなかった。
それから、胃が痛むことが無くなったから、確かに葉室頼昭さんのこの話はわたしには納得できる。
そして、葉室頼昭さんは少し休養して、元気なものだから東大の内科で見てもらったら
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そしたらその先生が、あんたなんで寝ているのと言うから、こういうわけで四年間結核で、それでこうなって今はもうだめだと言われたと説明したんです。
ところがその先生の言うには、何にもない。病気なんかないよ。私が保証する、昔だったら兵隊で甲種合格だ。 何もないから、大阪に帰って医者になれと言うんです。
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この手の病気が無くなると言う話は、スピリチュアル系と言うのか、ニューソートというのか、そこには病気はすべて自分の気持ちが創りだしたものだから、「信じる」気持ち次第で奇跡的に消えると言う話は、結構多い。
ただ、神道系では先日の「口語・神判記實」などには、いろんな「おかげ」の話はあっても、病気が消えると言う話はなかったと思う。
一方、「古神道」関係では、結構この手の話は出てくる。
この葉室頼昭さんはその後医者になるのだが、彼はその間もいろいろと不思議な「導き」を感じているようだが、「形成外科医」と言う、特殊な分野に進むのだが、一般外科と形成外科とではまるで違うと言う。
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どういうことかと言うと、たとえば傷をつくる。 そうすると傷跡が残る。 外科では皮膚を切って、傷跡が残るのは当たり前だという発想です。 たとえば盲腸でも傷跡が残るでしょう。 一般外科はそれをどのようにしたら目立たなくできるかという発想なんです。
ところが形成外科は逆なんです。 赤ちゃんで生まれた時、どこにも傷がなくて、お母さんのお腹から出てくるじゃないですか。 とくに顔なんていうのはお母さんのおなかのなかは最初割れているんですね。 それがくっついて顔になってくる。 どこにくっついたあとがあるかということです。 だから傷跡を残さずに治るのが当たり前なんです。 なぜ傷が残るのかということでスタートしているんですね。 だからまったくスタートが逆なんです。 この頭の切り替えをやらない限り、形成外科は理解できない。
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やはり、凄い人だと思いますよ・・・・
こういう考え方ができる人は、確かに西洋医学の世界には少ないでしょうね?
もともと、こういう現代の一般の人たちと、考え方が違う方なんですね。
だけど、後で判りますが、結局はこの葉室頼昭さんを春日大社の宮司へと導く、神さまのご意志だったようです。
また、葉室さんは東洋医学の鍼も習得されて、治療に活かされているのですが
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脳溢血とか狭心病とか、、それぞれで死ぬ大きな原因は首や肩のこりです。 東洋医学のものの考え方は西洋医学と違います。 西洋医学は目で見る医学だから医者が検査して、病名を診断する。 そしてそれの治療ということをする。 西洋のものの考え方は何でも征服すると言う思想です。 病気を征服すると言う考え方のもとに行われているのが西洋医学です。
それに対し東洋医学は全く違って、人体を宇宙とみているわけです。 宇宙はどういう仕組みでできているか。宇宙のしくみが解れば人体の仕組みもわかる。 逆に人体の仕組みが解れば宇宙のしくみがわかるという考えのもとに、治療が行われているのが東洋医学です。 宇宙はどうなっているかというと、第一にバランス、太陽と地球とか、いろいろなもののすべてのバランスによって成り立っている。 だから人間の体もバランスによって成り立っている。 バランスが崩れた時が病気ということです、その崩れたのを「証」といいます。 わかりやすく言えば症状です。 ここが痛いとか、かゆいとか、いろいろ症状が出る。 だから症状の一つづつ応えてあげれば、もとのバランスが戻って健康になると、こういう考え方です。
だから首がこった、肩がこったというのは重大な体の訴えの症状だと言うことになる。
ところが西洋医学では、たとえ大きな病院に行って、肩がこりましたといったら、ばかにされて、膏薬でもはっておけと(笑)。 ところが東洋医学では大変な症状なんです。 首、肩がこるというのは血行が悪くなっているという訴えなんです。 首から上はものすごく血液がおおいんです。
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と、ご自分が西洋医学の医者という立場でありながら、はっきり悪い部分を指摘する。
こういう態度には、確かに「欲」がないからはっきり言われるのだと思います。
この性格も、神さまの与えられたものだと思います。
この話と対照的なのが昨日facebookを見ていると、輸血ではなく、塩水で代用できるという話が出ており、その研究者の名前は、ネット上から抹殺されているという話がありましたが、その裏には医療ビジネスの欲が絡んでいるようでした。
(資)文化財復元センター おおくま
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