2年前に復元したものである。
ある人を介し、復元したものであるが、そのお寺、数年前に本堂を建て替えたとの事。
その折、解体した本堂の天井画が捨てられていたという。
元教師の住職は、人柄のいい人で、そのまま天井画が捨て去られるのが忍びなく、夜中にこっそり拾い集め、段ボールに入れ隠していたという。
住職はそれを何とか復元したいと、あるプリンターの会社に勤める檀家の方に、 相談したという。
それがまわりまわって、うちに来た。
住職は自腹を切って、いくつかの天井画を復元した。
しかし、全部で80枚ほどあるという・・・
費用は莫大となり、住職一人の力ではできず、檀家代表に相談したが、なかなか理解されず、残りの貴重な天井画は眠ったままである。
この復元の最大の特徴は、煤にまみれた天井画と、そこに描かれている墨線は、成分が同じ炭素であり、赤外線を使っても分離できない。
ところが、 奇跡が起きた。
幾度も試行錯誤を繰り返すうちに、理屈は良くわからないが、なぜか墨線がきれいに分離した。
これまで多くの文化的価値を有するものを、復元してきた。
この仕事を初めてすでに12年、小さいもの・個人所有のものを含めると、すでに100をゆうに超える。
また、地元の国会議員と文化庁へ紹介にも行った。
されど・・・
文化財保護の補助金は、実物の文化財の修復等には降りても、デジタル復元はその対象として扱われていない。
つまり、費用は全額所有者負担となる。
研究者が行う研究目的の復元は、国の研究費で行われ、ずいぶん高額となるが、うちが行う復元は、実用的に「デジタル画像」という形をとるので、費用は一桁も二桁も下がる。
さりとて、全額所有者負担は、まさに大きな負担となる。
文化財は貴重だとか、 意義があるといくら唱えても、費用が出ていくだけでは、やりたくてもできないところが非常に多い。
そこで最近国の補助金も幅が広くなり、文化財保護だけではなく、「地元の観光資源の活用」名目で補助金が降りたりする。
文化財もその対象となっており、文化財を観光資源として活用することで、費用の一部、あるいはむしろ収益が上がることもある。
そういう制度をうまく活用し、そして「文化財の復元」は多くのマスコミで、大きく取り上げられる。
うまく活用できれば、観光客が増え、拝観料やお賽銭の増加も可能となる。
そんな方法について、(資)文化財復元センターとしての提案書を作りました。
3年前の話である。
この復元の仕事は、こちらから資料を送りPRをしても、ほとんど反応は返らないが、逆にうちのホームページをご覧になり、問い合わせてこられる社寺もある。
つまり、こういう技術を必要とされる潜在需要は間違いなく存在する。
この海岸寺は東京の小平市にあり、市指定文化財の茅葺の山門がある小さなお寺である。
ご住職が言われるには、その山門の天井に、確か龍が描かれているという話を聞いているという。
まず住職に写真を撮ってもらい、メールで送ってもらった。
でもほとんど何も見えない。
海岸寺 茅葺の山門 | 山門の天井画 |
僕は時々、僕をこの仕事に導いた4つの神社に参る。
その一つが諏訪大社だが、その帰りに海岸寺に寄り、今までの復元例を原寸大の大型プリントで見てもらった。
さすがにどなたも原寸大のプリントを見られると驚かれる。
で、費用の面もあるので、見積もりを出したが・・・
急には都合できないので検討すると言われた。
ところが、結局1週間ほどで、費用の工面をつけたのでお願いしますと、連絡が入った。
ただ、ご覧の様に天井画を撮影するには状況が悪い。
そのため、ご住職は宮大工に頼み、天井板を分割し山門から降ろし、枠組みを組み本堂横の広い部屋へ設置して頂いた。
立てかけられた天井画 | 額装された復元画 |
現状画像 | 復元画像 |
うちの仕事は、国宝や重要文化財など指定文化財が依頼されることはほとんどない。
なぜなら、指定文化財は所有者の意思だけで移動させることはできず、必ず教育委員会なり、文化庁にお伺いを立てる形になる。
手続きが面倒で、なかなかそんな作業はさせていただけない。
また、所有者にとっては大事な文化財だが、歴史上に登場するものも少ない。
ところが、この笠置寺は、1300年の歴史があり、弥勒磨崖仏はその当時彫られ、その磨崖仏が「弥勒信仰」の発祥の地となっている。
そして日本史に登場する数々の人が、この弥勒仏に参り、700年前の元弘の乱で、磨崖仏横の本堂が焼け落ち、同時に石に刻まれ、永遠の命を得たはずの弥勒仏の姿は、その戦火を浴び、表面に刻まれた姿は熱のため、ほとんど跡形なく剥がれ落ちた。
現在の姿は当時の姿は全くうかがえない。
僕の行うデジタル復元は、特殊撮影で、肉眼では確認できない「痕跡」を探す。
絵の具や墨で描かれたものは、何らかの痕跡が残るが、しかし石に刻まれ、剥がれ落ちたものは、赤外線だろうが、紫外線だろうが、ほとんど情報は得られない。
なのになぜ復元を引き受けたのか?
それは別に残された資料があるからと言える。
まず、大野の磨崖仏は、この笠置寺の弥勒仏を模彫されたものという話であったり、岩舟神社の磨崖仏もそうらしく、何より「笠置曼荼羅」に当時の磨崖仏が描かれている。
そういう資料と、超拡大画像から、残された痕跡を割り出した。
確認された痕跡 | |
台座2つの場合 | 台座1つの場合 |
それに対し、笠置曼荼羅に描かれた姿を重ねるとこんな感じで、蓮華座の位置が合わない。
どうも、説によると蓮華座は1つであるという話もあるらしい。
そこで蓮華座を一つで描き直すと、ほぼ全体の位置が収まる。
その線画をこの赤外線画像に重ねるのであるが、しかし墨線ではなく、線刻されたものであるから、それをどう表現するか?
幸い、東京のデジタル画像処理の専門家が協力してくれ見事、1300年前の弥勒磨崖仏は、700年の眠りから覚め、見事甦った。
現状画像 | 復元画像 |