「ばね指」とは、腱鞘炎の一つだという。
この復元の作業は、キーボードよりタブレットと呼ばれるデジタル画板とデジタル鉛筆を使うことが多い。
1つの復元で数か月を要する作業も多く、根気のいる仕事なのだが、慣れないうちはどうしてもそのデジタル鉛筆を持つ手に力が入る。
鉛筆を握りしめていると、やがて腱鞘炎にかかる。
何度となく軽い腱鞘炎は経験したが、今回のものはそれとは少し違った。
いゃ、それが進行した形が「ばね指」かもしれない。
ネットを検索してその病名が分かったのだが、どういうわけが中年の女性に多い症状らしい。
最初は、利き手の親指の付け根を押すと、痛みがあった。
そういえば、この痛みは以前から潜在的にあった痛みのようである。
大事を取り、湿布薬を貼り腱鞘炎用のサポーターまでつけた。
それでも一向にその親指の付け根の痛みは取れず、2週間ほど前から、親指を曲げると、ばね仕掛けの弾けたときのように、ガクッ!!という変な動きが出てきた。
最初はびっくりしたものの、痛みもなく、そのまま湿布を貼りサポーターをつけていたが、やがけ症状は悪化。
この症状は特に寝ている間に出るのだが、多分寝ている間に筋肉が緩むのかもしれない。
数日前から、症状は悪化し、親指を伸ばしている間は問題ないが、第一関節を曲げると強烈な痛みが走る。
ネットでどんな対策や治療法があるのか、散々調べた挙句、ステロイドの注射が効き目がありそうとわかり、仕事場の近くの大きな病院へ行った。
整形外科で、レントゲンを撮ったり、エコーで調べたり、検査の結果、医師も「注射はいやですか?」と聞かれ、「いえ、それをしてもらうために来ました」ということで、互いの考えの一致を見、無事というか、痛い注射を1本打ってもらい、ステロイドの塗り薬をもらって帰った。
痛みは少し和らいだが、治ったわけではなく2週間後に再度注射を打ち、それで治らなければ、今度は手術となるらしい・・・
写真用語で「記憶色」という言葉がある。
人が「青い空」「赤いバラ」という言葉から連想する色は、現実の色よりより鮮やかな色をイメージするという。
アナログのフイルムの時代でさえ、それを意識して色鮮やかに写るフイルムが一般向けとして好評を博していた。
私が写真の始めた当時、「写真とは真実を写すから写真なんだ」と聞いたことがある。
ところが現実は写真は大いに嘘をつくし、その1枚の写真は民衆を扇動するために利用されたりする。
特にデジタルの時代になると、写真は「画像」と呼ばれるようになり、画像はパソコンソフトで簡単に「加工」することが可能となった。
それは記憶色以上に色鮮やかに加工され、そして安易にありもしない状況を、「画像」として「合成」して見せることができるようになった。
「デジタル復元」とは、そんな技術を応用しているから、可能となったのだが・・・・
しかし、安易に加工できるから、私は作品としての「写真」はあえてデジタルで撮ろうとは思わない。
それは私のこだわりであるが、映画の世界も実写と3Dの区別がつかないほど、リアルに嘘をつく。
人には「慣れ」があるから、最初は「凄い!!」と感動しても、何度も同じようなものを見ると、より強い刺激を求めるようになる。
そしてだんだんエスカレーションして、バーチャルの世界にのめり込む。
そして現実では許されない犯罪が、バーチャルの世界ではゲームとして楽しめたりするのだろう。
またその区別がつかなくなると、犯罪を犯すものが増えるのだろうが、しかしそこまでいかなくても、ネットの世界には色鮮やかな画像が氾濫し、現実ではありえないような合成画像がまことしやかに嘘をつく。
そして、SNSの世界ではそれらが多くシェアされる。
それだけ共感を覚える人が多いのだろうが、いずれその感動もより過激なものを求めるように麻痺してこないだろうか?
もう一度現実の世界に目を向けて、それらの画像は嘘が含まれていることに気が付いていただきたい。
その区別がつかなくなる人々が増えることを、私はとても危惧している。
今日は私の誕生日。
還暦というと、四十のころ、とても年寄りをイメージした。
でも、この歳になると、当人に全く自覚がない。
自分としては、まだ50歳そこそこくらいの気持ちしか持っていない。
特にこの仕事を始めてから、まだまだやらなければならないことが山積みであり、一般の人々はこれから余生を送る歳だろうが、これからも当分頑張り続けなければならない。
私は子供のころから、友達と遊ぶより、物思いにふけることが好きで、いろんなことを空想して楽しんだが、小さい時は結構賢かったらしく、末は博士か大臣かと期待されていたようだが、昔神童のなりの果てが、現在の姿といえる。
そして、中学頃から結構理屈っぽくなり、子供なりに哲学書を読み始めた時期があり、また「名言集」などを好んで読んでいた記憶がある。
その中に今でもいくつか記憶している言葉がある。
その中で一番記憶に残るのが、「男は四十を過ぎると顔に責任がある」というリンカーンの言葉だが、その意味は子供には理解できなかった。
顔は親の遺伝、突然変異でもない限り親に似るから、自分では責任の取りようがない。
それが子供の頭で理解できる範囲であったが、自分が四十になったとき、やはり今と同じように自覚がなかったことを記憶している。
ただ、人は生まれてから変わらぬ人はいないわけで、生活環境・親のしつけ・教育・仕事等、多くの影響を受ける。
その中で人格は作られるのだろうが、それはいずれ顔にも表れるようになる。
持って生まれた美貌は、文化財と同じでいずれ朽ちはじめる。
しかし、ちょうど中年に差し掛かるころに、その美貌の衰えに変わり、人生で学んだことが顔に「味」として出始める。
わたしも47歳で離婚し、多くの女性と付き合ってきたが、離婚してから風呂上りにふと見た自分の顔が変わり始めたことに気が付いた。
それから数年、自分の顔を被写体として追い続けたことがある。
そうだその変化を還暦の記念に見ていただこうかと、この文章を書きながら思いついた。
ただ、ナルシストではないので、念のため・・・・
あくまでも写真家として、被写体の魅力を追い続けた記録である。
(資)文化財復元センター おおくま
おはようございます。
HPのリニューアルと、ドメインの変更のために、可能な限りPRしてきたが、こちらが思ったより多くの人が訪れている様に思われる。
パンフレットや報告書等、以前からPDFでダウンロードできるようにはなっていたが、数を把握できなかった。
今回WordPressにはいろんなプラグインがあり、それらを四苦八苦しながら設定し、やっとラウンロードの数が把握できるようになった。
すると1日で日本語のパンフレットが10回、さらに夜中に確認すると13回に増えていた。
それはありがたいが、わが社は赤字だと公言しているのだが、それでも決算書をアップしていると、1日に5回も落とされている。
予想を大きく上回るスタートとなり、喜んでいる。
(資)文化財復元センター おおくま