米百俵を見終えたら朝の5時前・・・・
中途半端なのでもう一本見るものを探した。
「凛として愛」題名がいい・・・
私が学校で習ったことと、現実のfacebookなどで目にする、日本や日本を取り巻く国々の歴史観にずいぶんとずれが在る。
我々がマスコミや教育で得られる情報は、ずいぶんと偏っているらしい・・・・
先日、エハン・デラヴィ氏の「プラス・マイナス・ニュートラル」と言う、モノを正しく判断する基準の話をした。
この映画、実は靖国神社創立百三十年記念事業の一環として、遊就館で真実のドキュメンタリー映画を上映するために創られたとの事。
しかし、他国の圧力に屈した保守陣営により、わずか二日間の上映で、上映中止にされたようです。
先ほどは、DVDに使われている写真について、ずいぶんと手厳しいことを述べたのだが、ただ私は自分のことを棚に上げて他人をけなすことは好きではない。
下記の文はもう10年ほど前にミクシイの日記に綴っていたものだが、はっきりとしたポリシィを持っているので、転記させてもらう。
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●客観視
以前に、恩師のはなしで「作品に作者の思い入れを詰め込んでも、見るヒトにはそれは伝わらない」と書いたと思う。
でも・・・
作品って「自己表現」やん?
「表現する」って、誰かへ「伝える」事とどう違うの?
と、随分難しい話になるんだけど、つまり、自己表現とは本来他人に伝えるというより、「自分で自分を確認する行為」だと思ってみたりして・・・
よく、僕は自問自答をする。
それの応えが作品となるんだけど、それは第三者にちゃんと伝わるものではないと思っているわけよ。
じゃ、第三者には自分の作品がどう映っているのか?