2018年3月
« 2月   4月 »
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

ブログメニュー

ガンジー・U-NEXT

1982年の作品である。

つまりすでに35年前のハリウッドの作品であるが・・・

わたしには、この作品について、深い思い出がある。

当時、私は仕事としてではなく「ライフワーク」として、舞台写真を撮っていた。

と言っても演劇の写真ではなく、「舞踊・舞踏」の類なのだが、私には一つのテーマが有った。

それは単に踊り手の「記録」としての写真ではなく、「人間の体が創るフォルムとしての美しさ」を追及していた。

つまり、あらゆる踊りの写真を撮っていたのだが、特に「民族舞踊」の類は、いろいろと撮った。

その一つに「インド舞踊」も含まれており、京都には当時「バサンタムラインド舞踊研究所」と言うのが有り、そこに印度人と日本人のハーフで「シャクティ」という、舞踊家が居た。

カノジョの写真を撮りたいが、生憎伝手が無い・・・

で、当時天王寺に「弘雄介」と言う、シタールの奏者が居た。

彼はなんとラビ・シャンカールの愛弟子であった。

ラビシャンカールと言えば、ビートルズも傾倒し、当時「バングラディシュ難民救済コンサート」と言う映画でも知られる、印度の最高位のシタール奏者であるが、彼は各国に一人しか弟子を取らないと言う。

そのニッポン人のたった一人の弟子が、弘さんなのだが、彼はいろんなジャンルの芸術家ともセッションをしていて、能の囃子方の大蔵流の、二人の息子や、宮城道雄の弟子であった、盲目の邦楽の作曲家の作品を、NHKで録音するときにも、写真を撮ったし、この「ガンジー」が封切られたとき、開演前に、彼の「インド音楽」の演奏が有り、それも当時撮っている。

既に35年前の話しであるが、この映画その後何度も見ている。

で、今回有料のネット配信で見たのだが、なんと音楽は弘さんの師匠である「ラビ・シャンカール」が担当しているらしい。

最近はラビ・シャンカールの娘がシタールを演奏していることを知った。

で、肝心な映画の話なのだが、まず初めの部分で「この映画をMコタリ氏、マウントバッケン伯およびP・ネール氏に捧ぐ」そして「その激励と不断の擁護によりこの映画は完成した」さらに「他人の人生は一口には語りつくせない」「毎年の出来事」「生涯に出会った人々」「すべてを克明に記述できない」「ただ」その精神において記録に忠実に描き」「その人の心をうかがい知るのみである」と記された言葉から始まるのだが・・・・

この言葉の意味するものは、単にハリウッド映画であっても、娯楽として創られたものではなく、多少の誇張は有ろうと、事実に基づくものだと思われる。

この映画、ガンジーが暗殺されるところから始まるのだが・・・・

過去に私はこの映画を何度も見ている。

しかし、その都度、自分の精神レベルにおいて、受け取り方は随分違っていたと思う。

またこの映画が封切られた当時、私も30歳になりたてだと思うが、ガンジーの「無抵抗主義」というのが理解できなかった。

その後、歳を経るなりの受け取り方の違いは有れど、先ほどこの3時間に及ぶ大作を見た時、やっと64才にして、彼の言わんとすることが理解できた。

とはいえ、私も彼ほど「無抵抗」で有ることが、最大の武器であるという事は、頭では理解できても、まだまだ「目には目を」という、気持ちは完全には消えていない。

ただ、「いま」地球は大きく変わろうとしていて、3次元から5次元への次元上昇中だと言う。

次元上昇するという事は、要するに人々の「意識」があがることを意味する。

意識があがるとはどういう事か?

今まで、物事を悲観的に考えたり、楽観的に考えたり、ヒトそれぞれ受け取り方が違う。

しかし、次元があがれば「悲観的」な考え方が消滅するらしい・・・・

そして、否定的な考え方も無くなり、悪に対しても「許し」と言う考え方が、主流になると言う。

つまり、ガンジーの考え方やマンデラの考え方こそ、高次元の「意識」の有り方だと言う。

宇宙の「意識」の有り方も、実は彼らの考え方こそ、見本とすべきものであり、これから始まる新しい地球上の人類の生活の見本となるべき人であろうと思う。

(資)文化財復元センター おおくま


このページのトップへ