私は仕事がらみで、不思議な出来事を随分と体験した。
だから、「目に見えない不思議な力」の存在を否定できないし、目に見えない世界と、私の「画像による文化財復元」とは切っても切れない関係だと知っている。
と、いくら言っても「目に見えないものを信じない」多くの人びとは、私の言うことを信じない。
それは、人の意識にも言えて、「顕在意識」と「潜在意識」とが存在するが、しかし我々がものを考えたり、覚えたりするのは「顕在意識」の中だけである。
「潜在意識」はそれと比べ物にならないくらい、広くて深いのだが、そこには目に見えないが確かに存在する、魂や霊や内なる神が住み、輪廻転生して生きてきた過去世の記憶をはじめ、宇宙のすべての記憶がアガシックレコードとして記録されていたり、またその一番奥底では「集合的無意識」という、人と人、人と地球、そしてすべての宇宙がすべて繋がっていると言われる。
繋がっているということは、そこでは「争い」ではなく「共存」しているということ。
ところが・・・・
我々が普段活用する「顕在意識」には「我」があり「欲」がある。
欲があるから、「自分だけ得する」ことを考え、相手から「奪う」
また「引き寄せの法則」がブームになったが、私もいろいろと本を読み試してみた。
しかし、書かれているような効果は出ない。
あれで得したものは、著者や出版社、そしてブームを利用して儲けた輩だけ・・・
何故なら・・・
集合的無意識で、人は繋がっているということ。
それはどういうことかというと、人間は一人では生きていない。
つまり自分が何か行動を起こすと、必ず「対する相手」という存在がある。
自分が得するように行動をとれば・・・・
相手は損をすることになる。
つまりプラス・マイナス=ゼロとなる。
そういう欲を出すものに、神は味方してくれない。
しかし、実は目には見えない力で、我々一人一人の人生をコントロールしている。
解ったことは、自分で欲を出して行動するな!!
何も考えずに「神にゆだねろ」ということ。
それが神が一番自分にとって良い人生を、送らせてくれる方法だということ。
(資)文化財復元センター おおくま
PS
この文は昨夜、急に別の事を書くつもりで書き始めたのに・・・・
こういう内容となった。
それはそれで、良いのだが、実は今朝facebookのリンクで「8章 世界四大文明 : 地球人のルーツ」
と、言うページにたどり着いた。
そこにはあまり知られていない、地球上の文明の「周期」について書かれているのだが、驚くべき正確さで我々は動かされてていると言う。
そこに書かれていたのだが
与えられる思念に対するシュメールの神官の認識----------------------------------------------------
シュメールの叡智を保つ者たちは、「聖なるリズム」を自分の利益のために用いることをしなかった。なぜならそれは必ず、反作用を引き起こすことを知っていたからである。
日本人がする「年末の大掃除」の習慣は、シュメールの習慣に近いものがある。これを10日早く行なえば、自然のリズムに重ねることができる。この期間に 不要な物を捨てると同時に、心における過去も捨て、澄み切った魂になることは自然のリズムにかなっている。このことをもっと大きなリズムで行なうべき時 に、今、現代人はいるのである。
人間の努力には、本筋から外れた努力というものがある。現代人の中には、そうした努力によって自分を見失っている人が大勢いる。現代の文明にしがみつい ている人々もそうである。一度頂点に達した文明が死期へと至るとき、なおもそれにしがみつこうとした人々は、過去の文明でもたくさんいた。一度握った権力 を手放さず何とか維持しようとする人々、死期にあることに気づかず、今からそれを追いかけようとする人々は、そうした生き方によって結局、過去においても 自らを失うことになった。つまり、その努力そのものが、彼らを宇宙のリズムから引きはがすのである。
宇宙のリズムに合致した努力には必ず、あふれ出るような使命感や躍動感、爽快感を伴うものである。それらが感じられない努力は、いかなる努力であろうとも、宇宙のリズムから外れている。
シュメールでは、人間の思いである思念は神から与えられるものと考えられていた。与えられた思念である以上、それは必ず宇宙のリズムに合致する。つまり それを受け取るためには、受け取るための魂の空間を用意しなくてはならないというのが、シュメールの神官の思考に対する認識であった。
そのようにして用意された空間に、節目(ふしめ)の時には必要な思念が舞い降りる。そしてその思念は、次のサイクルに向けて強い創造力を発揮するのであ る。自ら作り上げた思念によっても物事は成就することができるが、しかしそれらは長期的には宇宙のリズムを壊すのである。
思念というものは、心が空白でありさえすれば、必ず各人にもっとも必要なものが与えられるようにできている。それは自ら作り出すものではないことを現代人は知らなければならない。それを受け取るべき「時の中心点」が、「節目の時」である。
宇宙の星々は自らの主張のためにスピンするのではない。星々は中心の力にうながされ、その力に自らをゆだねることによって行なわれるスピンという自己完 成の悦びに打ち震える。宇宙の存在は、波に自らをゆだねるサーファーのようなものであり、いかにゆだねられるかですべてが決まるのである。
宇宙は、必要なところに、必要なだけの、必要な配置を与える。その計算に狂いはない。しかしながら、個人の意志で何かを目指し、個人的な思いの力でそれを実現しようとする者であふれる時、それはすでに、思念の次元に摩擦と闘争を生み出しているのである。
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まさに、私が昨夜書いたものと一致する。