また、facebookに彼の動画が貼ってあった。
なるほど、そこに書かれている「最後の言葉」はカンドーものだと思う。
また、彼の死んだ時も随分と信奉者が大勢いた。
だけど、彼がやったことは全て良い事ばかりではないと、私は思う。
私は元々写真の仕事をしていたが、随分と以前に「画像処理」を試行錯誤で始めた。
最初に手にしたパソコンは、NECのもので、当時まだまだ「画像」など扱える代物じゃなかった。
しばらくして「パワーマック」の時代になり、Macが安くなり、それを使い「葬儀の遺影」の合成を始めた。
で、確かに音楽や写真やDTPなどのクリエイティブ分野は、Macの独壇場だった。
ただ、一時「マック互換機」と言う他社製のパソコンが出回った。
アップルのものより、安くて性能の良いものがいくつもあった。
ところがすべて市場から消えた・・・
その上日本橋の量販店では、店によって価格が違い、大幅に値引きする店もあった。
ところがそれも市場価格の統制をMacが始め、値引きできなくなった。
これらって、明らかに「独占禁止法」違反じゃないの・・・・
それでも、まだMacは画像処理に優れていたので、何台も買い換え使い続けてきた。
ところが今度は「iMac」の登場である。
元々Macはクリエイターが使い、ウインドウズは事務系が使う。
そこに一般ユーザーが大事な顧客となり始めた時、iMackの登場は、我々プロからすると決して喜ぶべきものではなかった。
何故か?
それは斬新なデザインもさることながら、「カラフルな色」が問題であった。
一般のユーザーには関係ないだろうが、もともとパソコンは「グレー」系のボディカラーであったが、何故グレーなのか?
その意味を解る人はほとんどいないだろうが、我々画像をパソコンで扱うものは、「忠実な色」の再現に一番神経を使う。
俗にいう「キャリブレーション」なんだが、その機能は確かにMacの方が優れていた。
しかし私が言いたいのは、「18%のグレー」と言われる基準が写真の世界にはある。
それは世の中の目に見える明るさをすべてかき混ぜると「平均値」が18%のグレーとなると言うもの。
これは色に関しても同じことが言われており、まぜればグレーとなる。
このことはたとえば、ある色を正確に見る場合、そのバックが、黒なのか白なのか、あるいはグレーなのか?
それによって、その明るさは人間の目には違って見える。
同じように「色」に関しても周りの影響を受ける・・・・
その影響を受けにくくするために、モニターのボティの色はグレーであり、またモニターの画面の色は「グレー」で有るべきなのだが・・・
あのiMacはそれらを完全に無視し、一般受けするためにカラフルなボティと、モニターの画面の色を採用した。
確かにiMacはブームになり、よく売れただろうが、破壊したものも大きい。
またそれ以後もMacを使い続けたが、何分値引きをしないから、ウインドウズに比べ値段が高い。
逆にWindowsは各パーツを別々に組み合わせて、自作できるので、費用的には半分で済む。
またMacのコマーシャルはいいとこずくめな宣伝をするが、頻繁にフリーズして、作業を保存できずに最初から何度もやり直しを強いられた・・・
そんなことも有り、またWindowsが画像処理の性能も上がり、Macを自作のできるWindowsに切り替えた。
そして、iPhoneの登場は、人の連帯感を壊し、猫も杓子も、歩きながら・・・
あるいは電車の中で・・携帯とにらめっこ。
ましては携帯でネットが見れるようになると、一般人は携帯だけでネットを見る・・・
結果、ネットの情報の密度が低くなった。
iPadも携帯には向いているが、しかし彼は便利なものを作りすぎた・・・
人間、誰しも楽をしたいと思うし、便利なほうがよいと考える。
だけど・・・
それは本来人間が持っているいろんな能力を退化させることに繋がる。
私が一番危惧するのはそこなのだが・・・
私は「画像による文化財復元」と言う特殊な仕事をしている。
多くの学者は文化財を「物質」としか見ない・・・
しかし、それは「目に見える世界」の話しであり、本当の価値は「制作者の思い」だと思う。
よく言われるが、五重塔を解体修理すると、今の匠の技術以上の技が使われているとか、絵の世界でも今の絵師では真似できないほど繊細な技が使われている。
それらは「徒弟制度」により受け継がれてきたが、近代になり大工でも電気のこぎりや電気カンナの登場により、徒弟制度は潰れ、技は受け継がれなくなった。
それは単に「技術」の伝承だけの問題ではなく、親方は弟子を「人」として育てた。
つまり、ソレナリに常識や判断基準となるものも習得させたが・・・
世の中が便利になると、人々はそんなものに見向きもしなくなった・・・
そして文化はどんどん荒廃する。
何故朽ち果てた文化財を復元しなければならないのか?
それは「目に見える世界」が大事なのではなく、昔の人は「人」として明らかに今の人より優れていた。
それが人から人へと受け継がれなくなれば、当然人は「退化」し、いずれ自滅する。
それを先人の残した「文化財」から「読み取り」、後世に伝える。
それは物質である必要はなく、「その思い」こそ、残すべきものだが・・・・
スティーブ・ジョブズは、その破壊の一端を担っていたと、私は全く別の立場から言いたい・・・
(資)文化財復元センター おおくま