2011年の作品である。
しかもアメリカではなく、イギリスの作品と書かれている。
監督はマドンナ・・・
私はマドンナもプリンスも若い時から興味はなく、聴くことも無かったし、しかも二人とも私としては好むタイプではない。
しかし、以前にネット配信でマドンナの主演の「ウェプト・アウェイ」を見た。
金持ちで傲慢な女が孤島に流され、本当の愛に目覚めていく話だが・・・
とても余韻の残った作品であり、この映画もマドンナが主演しているのかと思ったが、監督に徹したようである。
作品は、エドワード8世と既婚女性であったシンプソン夫人の話と、現代の話をシンクロしてストーリは進む。
当時の話としては「英国王のスピーチ」も見たが、それよりは私はこちらの方が断然印象に残った。
今まではエドワード8世の立場での話が語られていたのだが・・・・
また私事なのだが、離婚をして付き合った一人に×2の人がいた。
彼女は可愛く、彼女の口からきく、離婚のいきさつは・・・
亭主が加害者であり、自分は被害者であると言う。
当然付き合う女性の言うことだから100%信じた。
ところが付き合ううちに、彼女のわがままが目につくようになった。
で、もう一度、私は考えてみた。
つまり彼女の側からの話だけしか、私は聴いていない・・・
でもひょっとすると、亭主には亭主の「言い分」があるのでは??
とは言っても、別れた二人の亭主に会うわけにもいかない。
そこで私は彼女の口からきいた話を、「逆の立場」つまり亭主の立場に立って考えてみることにした。
結果、判ったことは、離婚の理由は必ず一方にあるのではなく、双方にあるはず・・・
ただ、互いに自分の立場でしかものを考えられない。
また自分は正しいと思い込んでいる人が大半なので、自分を正当化しょうとする。
それらを踏まえても物事は双方の立場の話を聞き、「客観的」に判断しなければ、「真実」は判らない。
この物語はまさにそこに着目されており、知られているエドワード8世の立場と、相手側のシンプソン夫人は、決して同じ考えではなかった。
世の中を敵に回した「悪女」と言われる彼女の側からの「言い分」を見事代弁したものと私は思う。
ただ、この作品の評価は「賛否両論」があったらしいが・・・
それは当然だと思う。だからこそ私はこの作品は意味があると思う。
最後のエンディングに歌が流れる。
この主題歌はゴールデングローブ賞を取っているらしい。
その歌詞の中に
何故こんなに傷つくの
最高傑作に恋すると
結局のところ
壊れないものなんて
この世に存在しないから
壊れないものなんて
この世に存在しないから
形あるものはいずれ朽ちて、土へと還る・・・
文化財も同じ・・・