土曜日に2本、いい映画を見た。
その中の一つだが、1986年のアメリカ映画だと言う。
ちょうど30年前なので、ちょっと古いので、時代遅れかなとも思いながら見始めた。
物語はろうあ学校の教師と、そこの卒業生のろうあ者とのラブストーリである。
その学校に新しく着任してきた、男性教師は、手話ではなく、話すことを教えているのだが、そこにその学校の卒業生で、そこで働く気が強く、とても美人の女性と知り合う。
彼は何とか彼女に話すことを教えようとするのだが・・・
彼女は暗い過去があり、殻に閉じこもり、そこから出ようとしない。
しかし教師はそんな彼女に惚れ、同棲生活を始めるのだが、初めは愛し合う二人なのでうまく行っていても、やがて、互いに不満を持つようになる。
彼は何とか彼女を殻から出して、社会に順応できるようにしょうとするが、気の強い彼女は「わたしはわたし」そして「わたしを通訳しようとしないで」と不満をぶつける。
彼は良かれとしてやっていることが、彼女の側から見れば、本当の私じゃないと言う。
このやり取り・・・
私もつくづくと身をつまされるのだが・・・
他人は良かれと思って相手の世話を焼く。
それはそうしたほうが「本人のため」と言う思いからの行動なのだが、これは確かにそれが正解の時もあり、また返って「その人らしさ」を失わせる行為となることも有る。
この判別はとても難しく、どちらが正解かということは「立場の違い」に変わって来たりする。
この映画において、手話はできるが、音のある世界に生きる教師と、完全無音の世界に生きる彼女と言う、違った世界、あるいは違った価値観を「繋ぐ」何か???
それをお互いに一度別れた後にも、探り合うのだが・・・
結局のところ、互いに「歩み寄る」以外にないことを知り、互いの心を通わせる。
これはこういう特殊な環境の人だけの話ではなく、普通の夫婦にも実はあてはまる話だと思う。
独りがすべてに我を張って自分を押し通そうとすると、片方は常に折れることになり、負担が片方に偏ると、いずれ続かなくなる。
私が離婚後に多くのやり取りを経験して学んだ事は、「自分半分」「相手半分」・・・
この主演のろうあ者の女性は、実際にろうあ者の役者で、この映画で主演女優賞を獲得している。