何度か紹介しているが、けいはんなの近くに格安のガソリンスタンドがある。
最初にそこで軽油を入れた時「95円」だった。
それがしばらくして「83円」にまで下がった。
ちょうど先々週に諏訪大社から皆神山。そして阿弥陀堂だよりのロケ地と回ったのだが、その時も「83円」で、入れて出発した。
その頃、このあたりでも安いところは100円を切るところが、時々あった。
しかし長野に近づくにつれ、どんどん表示されている値段は上がり、長野だとだいたい110円~120円と、随分と高い。
で、どうしても給油しないと帰れないので、また神様に「安いガソリンスタンドを探してください」と、声に出して頼んだ。
だいたいそうやって頼むと、半分以上の確率で「地域最安値」のガソリンスタンドが出現する。
でも、皆神山へ登るのに、燃料を入れないとガス欠になりそうなので、その付近はかなりの田舎で、ガソリンスタンドも120円となっていたので、やむなく20リッターだけ入れた。
それから50キロほど走っていたら、なんと「100円」のスタンドが現れ、そこで満タンにして帰ってきた。
ただ、一瞬みた小さいガソリンスタンドで「86円」と言う数字が見えたが、行き過ぎてしまい再確認できなかった。
それから1週間して、今度はまた宗像大社から高千穂・・・・
高千穂から霧島神宮、そして最後は鹿児島の「知覧」まで足を延ばした。
その時、けいはんなのそのスタンドは5円も値上がりしており「88円」となっていた。
今回、長野行とは逆に、どんどんガソリンスタンドの値段が下がっていく。
下関や門司のあたりでは、軽油が「100円前後」途中何軒か90円台のスタンドも見かけた。
で、今回初めて知覧まで足を延ばしたが・・・・
どういうわけか、鹿児島県全域だけ、ガソリンスタンドの値段表示が点滅したまま、どの店も値段表示がされていない。
明らかに、結託しているのだが、そこに1件、びっくりする値段を見かけた。
なんと、けいはんなの出発時の「88円」と同額の表示である。
知覧には「平和祈念館」に行ったのだが、帰りにそのスタンドまでぎりぎりの燃料でたどり着き、給油した。
ところが・・・・・
帰りに熊本でも1件、同額の「88円」というスタンドを見かけた。
と、いう事で、帰り着き、昨日またけいはんなのそのスタンドで給油したが、その時点でも「88円」となっていた。
そうすると・・・・
私が知る限り、88円の最安値は3軒あったことになるが、それでもそれ以下が無かったので、取りあえずはまだ日本一安いガソリンスタンドではある。
先々週は長野方面に行ったのだが、高地であり、着ていて作務衣が夏物で、しかも寝袋も夏用だったので、随分と寒い思いをした。
そこで先週の水曜日にまた宗像大社方面に向かったのだか、今度は作務衣も裏地のついた冬用、寝袋も冬用に替えて向かったのだが・・・・
今度は逆に、天気も良く、南へ向かう関係で、逆に汗だくとなった。
さて、いつもの厳島神社は夜中に通過・・・・
宗像大社は昼間ではあったが、もう撮り尽くしており、その次にいつも立ち寄る「黒田武士」酒造も、夜に通過となり、高千穂の手前の「神々の棲家」は、前日の夜に近くの道の駅に停めていた関係で、まだ暗いうちに現地到着。
真っ暗な中、現地に車を停め、不気味な雰囲気の中、少し寝たのだが・・・
神々でも夢に出てくるかと期待していたが、生憎現れなかった。
今回は、以前に赤外線で自写像を撮ったので、今回はカラーで再度自写像の撮影を試みた。
神社や人の多いところで、自分の写真を撮るほど心臓に毛が生えていないが、ここだと時間帯を考慮すればほとんど人が来ない。
しかも異様な雰囲気があり、なかなか絵になる場所でもある。
以前にネット配信の映画で、「俺は、君のためにこそ死ににいく」と言うのを見て、ブログで紹介したのだが・・・・
その時にも少し触れたが、実は2013年の暮れに知人から復元費用の問い合わせを受けた。
しかし、その内容はその時明かされず、年が明けてから教えられたのだが、この「知覧特攻平和会館」に残る特攻隊員の遺書などが痛んでいて、その記録のために「入札」があったらしい・・・
生憎他社が落札したらしいが、その時私が内容を知っていれば、費用の話は度外視してでもやりたかった仕事であった。
その後、何度も高千穂や霧島神宮には足を運んだが、知覧にまで行くことをなかなか思いつかなかった。
やっと今回知覧にまで行ってきたが、けいはんなから知覧まで、約1000キロほどある。
全て地道を通り往復したのだが、この平和会館には数えきれないほどの隊員の遺書が残されており、展示されているのだが・・・
すでに戦後70年ともなると、ほとんど読めなくなったものが多い。
それを展示してあったり、あるいは白黒のコピー機で複写したものがケースに収められている。
しかし、私はそれを見ていて忍びなかった・・・・
あの映画の感想にも書いたが、石原慎太郎は彼ら特攻隊員の死を美化しすぎていて、本当の彼らの気持ちとしては「なぜ自分が死ななければならないのか?」そのことが彼らは一番悔しかっただろうと思う。
その本当の彼らの「おもい」こそ、きっちりと後世に伝えなければならないもの。
しかし、会館の展示が読め無くなった遺書や、コピー機でのコピーでは、とてもじゃないが彼らの「おもい」は、見る人に伝わらないと私は思った。
そこで帰ってから、私の仕事の資料をそこの館長あてに送り、ぜひ私にさせてほしいと手紙に書いた。