2002年の邦画である。
私は昔、NHKの「プロジェクトX」の大ファンであった。
NHKは本来、企業のPRはしない・・・
だから過去何回と私の技術をNHKで紹介されたが、一度も「(資)文化財復元センター」として紹介されたことが無く、常に「大隈 剛由」と言う「個人名」での紹介である。
ところが、この「プロジェクトX」に限って、企業名が紹介された。
それは、日本の企業の製品開発や、独自のシステムを持つ、企業や個人の紹介番組であったが、常にこの番組を見て、私はこの番組で私の「デジタル画像による文化財復元」と言う技術の紹介されることを夢見ていた。
しかし、実現する前にこの番組は終わった・・・
また、この番組のテーマソングもとてもとてもお気に入りで、以前に何度も枚方の地元のFM局にゲストで呼ばれたが、その時に私のリクエストを聞かれると・・・
迷わず、このテーマ曲をリクエストした。
いゃ、今回はその番組の紹介ではなく、「VHF」と言う、家庭用のビデオデッキの規格を全世界の統一規格にまでした、一人のビクターのビデオの開発部長の話を、映画化したものである。
この男、もともと製品開発に携わっていた高卒のオトコだが、ある意味「左遷」に近い形で、ビクターの赤字のビデオ事業部の責任者となる。
会社は人員削減を促すが、彼は誰一人首を切らずに、新しく「家庭用ビデオ」の開発に乗り出し、苦労の果て、製品化のめどを立てた。
ところがすでにソニーのベーターが統一規格の候補に挙がっていたのに、ビクターの親会社の松下の相談役、つまり「松下幸之助」の心を動かし、逆転{で「}VHF」を統一規格へ持って行った、一人の男の「おもい」の物語である。
で、ここでその男もすごいが、なにより「松下幸之助」と言う男の偉大さを、感じずにはいられない。
いゃ、実は私は6人兄弟の下から2番目なのだが、私はとても貧しい家庭に育ち、上から働いで、家庭を支えた兄や姉に助けられて育った。
その2番目の姉は中卒で、地元の「松下」の工場に勤め、そして職場の同僚と結婚した。
その姉もそうだが、私は復元の仕事を始めて、「元・松下電器・社会貢献事業部部長」と言う方から、仕事を紹介いただいたことも有るのだが・・・
その人もそうだし、私の知る他の松下の社員の方も、誰一人「松下幸之助」を悪く言う人は居なかった。
何やら戦後GHQから財閥扱いされて、解体されるところを、逆に松下の「組合」がGHQに働きかけ、難を逃れたと言うくらい、彼は自分の資産を増やすことより、社会のため・社員のためを考えた人らしく、そんな彼をこのビクターの「VHF」の開発部長は「熱意」で、幸之助を動かした・・・
私はそこがこの映画の味噌だと思う。
少し話は変わるが、私は写真を職業としていた頃、葬儀の「遺影」を作っていた時期があるのだが・・・
いくつかの葬儀社と付き合ったが・・・
ある葬儀社など、社員の誰一人として「自社」を良く言うものが居なかった。
それを考えると、幸之助有っての松下であり、またビクターであったわけだ。
最近、こんな、骨があって、そして「情」が解る「CEO」は居ないように気がする。
あぁ、「VHF」の開発者の映画を見たのに、その裏に幸之助の偉大さを感じてしまった・・・
(資)文化財復元センター おおくま