先日「大地の子」を紹介した。
このドラマも、NHKで放送された「残留日本人孤児」をテーマにしたものである。
このドラマは以前にテレビで見ている。
その時も感動したが、今回は「大地の子」同様に、見ていて何度も涙がこぼれてきた。
感動の涙と言うより、彼ら中国に取り残された日本人孤児が、いかに中国で差別され、苦労をしてきたか?
そして、確かに孤児のほとんどは「「労働力」として養われ、苦労をしてきたものが多いのだろうが、中には「心優しい中国人」に育てられた、少ないかもしれないけど、恵まれた人々もいた。
とはいっても、その人たちでさえ、今の我々の世代に比べると、比べ物にならない苦労をしているし、またそんな日本人孤児を育てるためにも優しい中国人自身が、どれだけ周りから差別され、どれだけ貧乏しながら、血の繋がらない日本人の子供に愛情を注いてきたか?
それを思い知らされ、涙がこみ上げてならなかった。
連休中にもまたYouTubeで邦画を数本見たのだが、昨日の午後から「大地の子」のシリーズを見始めた。
私はこのドラマを見た覚えはないのだが、1995年にNHKで放送された山崎豊子の小説らしい。
とても感動的で、昨夜は夜中の4時ごろまで、第9部を見ていた。
実は私は過去に3度中国に行った。
最初に入ったのが、多分このドラマが放送される前ではないかと思うが、私の住む枚方市と上海の長寧区は姉妹都市である。
当時写真仲間と「8/15日」を記録した写真展をやり、日本国内の姉妹都市を循環させ、最後に上海でその写真展をやった。
その時、仲間たちと上海を訪れたのだが、数日の滞在期間が過ぎると、仲間たちは帰り、私一人で「桂林」と「黄山」の写真を撮りに行った。
当時はまだ外国人がバックパックで予定も立てずに、一人旅は許されていなかった。
にもかかわらず、私は仲間を見送り、独りで向かった。
もちろん、英語もできないし、中国語もできない。
でもちゃんと写真を撮り、生きて日本に帰った。
私は自分で言うのもなんだが、「完全主義者」らしい・・・
きっちりしないと気が済まないし、努力しないと気が済まない。
物事はできるだけ積極的に受け取るように心がけているし、試練を受けても「ナニクソッ!!」と頑張るだけの、強い精神を持っている。
それは確かに並みではなく、「ハガネ」のごとき強さだと思う。
そんな性格だから、どうしても「精神的弱者」の気持ちが理解できない。
落ちこぼれ・登校拒否・自閉症・・・・・そんな人たちの気持ちが解らないし、私にすれば「努力が足らん・・・」と思ってしまうのだが、私の離婚の理由の一つに「性格の不一致」というモノがある。
私は人は経験を活かして生長するものだと言う考え方だから、何をやっても、1度目よりは2度目、2度目よりは3度目とだんだん慣れて、短時間で処理出来たり、上達するのが当たり前と考える私と、何をさせても人の2倍はおろか、3倍の時間がかかる。
また、何度繰り返しても、最初から同じことを繰り返す・・・
そんな女房に対して、最初は優しく言って聞かすが、それでも直らない・・・
何度も何度も、同じことを繰り返すものだから、こちらの言い方もだんだんきつくなった。
そして、最後には怒ってしまうのだが、女房はそれでも直さず、最後には「貝」になった。
どうも、この人たちが、実在の人々らしい・・・
何を信じるかではなく、信じるからそこに神がある。
(資)文化財復元センター おおくま
久しぶりにシスター鈴木秀子の本を3冊読んでみた。
元々私の守護霊に導かれ、数人の人々の存在を知ったのが半年ほど前の話。
それぞれに私が学ぶべきものを持った人々であり、またそれらは「宗教」の枠を超えた「霊的レベル」の高い人々であったが、このシスター鈴木秀子さんからは、特に多くのことを学んだ。
先日「無心」を学ぶ中で、神がもし櫂も帆もない小舟で大海に出ろと言えば、何の迷いもなく船出する、それが「無心」の例えだと鈴木大拙の本に有ったが、頭では理解できても、いざその覚悟を決めたつもりでも、実は「何をすべきか?」がイマイチ解らない。
「無」とは何か? 何もないから無なのだが、しかしその「無」と言う状態が正直解らない・・・
何も考えない、何も行動しない・・・・
だけど、努力家の私にはそれ以上苦痛なことはない。
そこでいろいろと考えたのだが、一番「安らぎ」を覚える方法として、選んだのが鈴木秀子の著書。
彼女の文章には「愛」がある。
「労わり」が有る。
3冊読んで、もう一度それを再確認したのだが、その3冊目に「神は人々を何処へ導くか」を読んでいる最中だが、彼女は8年間に及ぶ「沈黙の行」を体験したカトリックのシスターであり、その彼女から「神」と言う存在について多くを学んだのだが、その本の中に「ブラザーサン・シスタームーン」と「親分はイエス様」と言う映画の話が出てきた。