古い作品で1962年のハリウッド映画で、モノクロである。
同名の自伝的小説の映画化だと言う。
小説はピョーリッツァー賞を取っているらしく、とても感動的な話である。
時代設定は1930年代のアメリカ南部の町。
グレゴリー・ペック演じる弁護士を父に持つ、二人の子供と友達がどちらかと言うと主人公なのだと思う。
この手の法廷問題を描いた映画はいくつもあるが、それを弁護士の立場ではなく、子供の目線から見た弁護士としての父親の姿。
そして何より、当時の南部がいかに黒人差別意識が強く、法廷の証言から明らかに冤罪と思われる黒人男性に、それでも白人の陪審員は「有罪」を言い渡す。
その裁判を子供の目線で、いかに偏見に満ちているかを訴えたものと思われる。
また、その裁判は終わった後に、隣人で姿を見せない「怪物」だと子供たちが信じていた男は、実は心優しい男だったと言う落ちまでついて、もう一度正義とは何か?を考えさせられた。
2001年のアメリカの作品である。
以前に知的障害のある母親が、お腹を痛めたわけでもない養女を、どれだけ愛していたのか?と言う中国の
と、言う作品を紹介した。
この作品も知的障害のある父親が、わが娘をどれだけ愛しているのか?
それを胸が痛いほど感じさせる作品なのだが、7歳の知能しか持たない父親と一緒に育った障害の無い7歳の娘。
娘はそんな父親に、むしろ自分が母親のように優しく接しているのだが、福祉課の職員がその父親には子供を育てる能力が無いと、親権の剥奪の訴えを起こす。
その障害を持つ父親は、優秀な女性弁護士に弁護を頼みに行くが・・・
女性弁護士は弁護料が払えそうもないので、その依頼を断る。
しかし度重なる依頼に、最後は無料で弁護を引き受け、裁判は続く。
もう一歩と言うところで力及ばす、その少女は父親と引き離され、里親のもとに引き取られる。
が、しかし、女性弁護士は再度裁判へ持ち込むが・・・・
その間知的障害があっても、娘を愛してやまない父親の愛情に、里親も最後は折れる・・・
親子の愛が、むしろ知的障害があるために、純粋に注がれ、娘もそんな父親をとても慕う。
「無償の愛」と言う言葉は、キリスト教での一つのテーマだが、これぞまさにその見本であると言える。
先日、「人生で学ぶべきもの・こころのチキンスープ その2」の中で、こんな話を紹介した。
パパは何でも知っている。
4歳・・・僕のパパは、なんでもできるんだぞ。
5歳・・・僕のパパは、何でも知っているんだぞ。
6歳・・・僕のパパは、君のパパより頭がいいんだぞ。
8歳・・・僕のパパにも、知らないことがあるんだね。
10歳・・パパが育ったころと今とは、だいぶ違うんだよな。
12歳・・あぁ、しょうがないさ。 知らなくても無理ないよ。 だってパパは歳だもの。 自分が子供だった頃の事なんて覚えていないのさ。
14歳・・パパの言うことなんか、気にしなくてもいいんだよ。 古いんだから。
21歳・・えっ、僕の父さん?もうどうしょうもなく時代遅れさ。
25歳・・父さんにも、少しはわかっているみたいさ。 でも、そんなの当たり前だよね。 あれだけ長生きしているんだもの。
30歳・・父さんの考えも、きいたほうがいいんじゃないかな。 何と言っても、経験があるからね。
35歳・・父さんに聞くまで、僕は何もしないからね。
40歳・・父さんならこんな時どうしただろう? すごく知識も経験もほうふだったものな。
50歳・・もし父さんを生き返らせることができるなら、何も惜しまない。 そうすれば父さんに相談できるんだがな。 父さんがあれほど賢い人だったなんて、むかしはまるで気が付かなかった。 もっといろんなことをおしえてもらえたのに。
アン・ランダース
つまり、一つの事柄でも、人は歳とともに人生から学び、年相応に受け取り方が変わると言う話なのだが・・・
この作品は2003年の作品だが、まさにそれを地でいくお話である。
よく話好きの男が、話を誇張して、尾ひれを付けて、面白おかしく語って聞かせる。
そんな男は世界中にどこにもいるものだが、この主人公は息子なのだと思うが、子供のころに父親が寝る前にいろんな話を聞かせてくれた。
その話、まさに子供のころには面白かったが、やがて主人公は20代・30代の大人になる。
その主人公の結婚式のスピーチにまで、父親はそんな子供のころに聞かされた「荒唐無稽」の話をし、出席者からは喜ばれたが、当の花婿の自分より目立ってしまう。
息子は結婚式の後、父親に「そんな作り話、もう二度と聞きたくない」といい、3年間父親と疎遠になる。
ある時、母親から父親が病床に伏したと連絡があり、身重の奥さんと駆けつける。
その病床のベッドの中でも、相変わらず父親はそんな荒唐無稽の話を、主人公の奥さんに話してきかす。
でも、奥さんはそんな父親の温かい人柄に惹かれ、楽しそうに父親の話を聞く。
母親も主人公の奥さんも、そんな父親のファンだが、当の主人公は、「作り話」としか受け取れない。
しかし、父親の付添いの間に、周りの人の話や、父親の書斎に残る記録から、あながちその話が作り話ではないことを知る。
主人公は少し父親を見る目が変わり始めるのだが、荒唐無稽な話も、実は実話に尾ひれがつき、面白おかしく父親が演出していたことに気付く。
そして、父親の最後が近づいた時、父親が息子に「自分が死ぬ場面」の話を、創って聞かせてくれと、逆に頼む。
息子は話の出だしだけ父親に聞き、その後は自分も父親と同じように、父親の最期を、父親の話で出てきた仲間たちに囲まれ、そして川の中に入り、ビックフィッシュとなって、水に帰っていくと言う物語を聞かせ、父親は息を引き取る。
で、実際に父親の葬儀には、父親が語ってくれた物語の主人公たちが、話よりもスケールは多少は小さいが、実在し最後の見送りに駆け付けた。
まさに、上の話をそのまま「絵」にした物語なのだが・・・
あれほど、父親の作り話を嫌がっていた主人公の息子は、結局自分が父親となりその息子に、父親のような「荒唐無稽」の話を聞かせる・・・
(資)文化財復元センター おおくま
2月の末に、今まで見ていて配信の映画サイトから、別のサイトに変えた。
当然1か月の無料期間をフルに活用するためだが、今度のサイトは邦画が少ないが、洋画は見ていない作品も多い。
その中で2013年の邦画であるが、この作品、ご存知の方も多いと思うが、青森の「無農薬リンゴ」の栽培農家の話である。
とは言っても、私自身は巷の流行には全く興味が無い上に、グルメ志向も無く、その物語の詳細は知らなかった。
ましては私はリンゴのように皮を剥く果物が、食べるのがめんどくさいと言う、不精なところもある。
リンゴ農家に婿入りした主人公が、女房の農薬アレルギーを知り、低農薬のリンゴ栽培に乗り出した。
研究熱心の彼は、他低農薬栽培には成功するのだが・・・
次に「無農薬」栽培を実験的に乗り出した。
元々婿入り先の父親は、リンゴ畑の1/4での実験を許すのだが、試行錯誤をしていろいろ試すのだが、結局すべての畑で無農薬栽培に乗り出した。
とは言っても、その畑の持ち主は、嫁さんの父親なのだが、彼の理解があり全面的に無農薬化に踏み込むことができたのだが・・・
それから11年目にして、やっと無農薬のリンゴは実を付けた。
その間、周りの白い目や子供たちも最低の貧乏暮しを体験し、それでも家族の理解があってやっと無農薬リンゴは成功した。
それにしても、数年くらいは何とか持ちこたえられたとしても、11年間はとても長い。
ほんとうに家族の理解があってこそ、諦めずに成し遂げられたと思う。
その間、リンゴは無収入のまま・・・
私もこの道、苦節16年だが、さりとてこの主人公ほどの苦労を味わってはいないと思う。
さすがに何度も涙がこみ上げてきた。
2010年のアメリカのドキュメンタリーらしい・・
その動画の表紙がなんと日本の相撲の土俵回しの写真となっている。
その内容説明が「真正面から相撲の八百長問題と日本の警察の闇に迫っているため、公開が危ぶまれたという。」と書かれている。
なるほどヤバそう・・・・
で内容としては、アメリカのジャーナリストと経済学者が同名の本を出した。
すると400万部も売れたらしい・・・
それを映像化したものだが、いかに経済学が世の中と関わりがあるか?という例をいくつも掲げていたのだが、要するに「お金」が世の中をどう動かしているか?
と、言う話だと思う。
その中で、一番「不正」が行われないと思われるのが、日本の「すもう」だったと言う。
そう「だった・・・」とはっきり言い切っているのだが、つまり神道とかかわりが深く、土俵は「神聖な場」で有るから、不正など入り込む余地がないと言うのが、アメリカの考え方だったのが、日本でも時々マスコミでも取り上げられる「八百長」や「体罰」を、このドキュメンタリーでは大きく取り上げており、八百長は個人の問題ではなく、すでに「相撲界」と言う「組織」に蔓延していて、その告発記事を書いた記者の証言を取り上げている。
あるいは告発者が二人同じ病院で事故死をしている話を取り上げていた。
なにが日本の「国技」だろう・・・・
同じように日本の警察の「犯人検挙率97% 」は、驚異な数値だが・・・
実はその裏に「からくり」がある。
似たようなことが、アメリカでも行われているとか、あるいは子供のしつけや学校の成績アップに「ご褒美」を与えれば、果たして効果が上がるのか?
要するに、子供は金に釣られて勉強するのか?
など、直接的な経済学と言うより、「風が吹けば、桶屋が儲かる」的な、因果関係を取り扱っていた。
なるほど、日本では公開されなかっただろう・・・