数ヶ月前にもこの場所に行った。
神々の棲家
その時も書いたのだが、余りにも人が作るには規模が大きい・・・・
しかもあの巨木の曲線をあれだけ見事に使いきって作られている。
それはまさに「作る」ではなく「創る」という文字にふさわしい雰囲気である。
実際に作ったのはあの土地の持ち主である農園主だということだが、しかしおかしいと思わないか??
あれだけの規模のものを、自分の土地に建てる。
使われた杉の巨木はたとえ無料だとしても、運搬費・組み立てるための重機の費用、そして一人で作れるものじゃないから、少なくても延べ数百人分の労賃。
あわせれば数千万円はかかっていると思われる。
しかし、無料の施設であり、その施設が金を生むことは無い。
単なる道楽で作るには、余りにもスケールがでかい。
以前、私はそこを「神々の棲家」と評した。
ちょうどギリシャのアクアポリスの神殿のような規模。
人が住むには余りにもデカい!!
どう考えても、その農園主にはこれを作って、それに見合う「見返り」があるだろうか???
そう考えたとき・・・・
答えはひとつ、彼は「何らかの力」から指示されて「創らされた」と、私には思えてならない。
じゃ、その何らかの力とは??
そう、「神」としか言えないと、私はあの時感じたのだが・・・・
今回どうしてもあの場所をもっと本格的に撮ってみたいと思い、九州まで出かけたのが一番の理由である。
そして、高千穂へ行く途中に、ちょうど昼過ぎだったと思うが、やっとこの場を突き止めた。
そして、今回「赤外線撮影」でとったのだが、それをノートに取り込みじっくり見たら・・・・
今度は夜の暗闇で撮ってみたい思ったので、帰りにもまた寄り、夕方になるのを待って再度撮り始めた。
これはその昼間の光で撮った、1回目の写真である。
あぁ、言い忘れていたが、私が前回ここを「神々の棲家」と表したのは、そう「思った」からなのだが・・・・
再度、この場所を突き止め、やっとのことでたどり着き、カーナビにその場をセットしょうとした時、やっとこの場の地名が判った。
その地名とは・・・なんと「高森町」の「山ノ神」という地名なのである。
私の感は的中していたことになる。
地名が、この施設ができた後に付いたとは考えられないから、まさにもともとここには「山ノ神」が住んでおり、持ち主である農園主は自分で意識しているとは考えられないが・・・・
まさに「山ノ神」から指示されたこの施設を創ったと考えるのが、私は一番自然だと思う。
以前に「手紙」という邦画をネット配信で見た。
弟思いの兄が、弟の進学費用を得るために泥棒に入った。
そこで見つかり、相手を殺し、拘置所に入る。
兄は弟にたびたび手紙を出すのだが・・・・
弟は兄が罪人なので、社会から迫害されて、いずれ返事を書かなくなる。
しかし、弟の彼女は代わりに兄に手紙を出し続ける。
そんな話なのだが、弟の仕事先に届いた封筒に「桜のマーク」の判が押されていた。
それを職場の同僚が見つけ、拘置所からの手紙であることがばれる・・・・・
そんな話なのだが、実は先日ある弁護士から、はがきの黒く塗りつぶされた部分の解読を依頼された。
電話の話では「拘置所」から届いたもので、裁判の資料にしたいという。
届いて作業にかかると、確かにはがきに「小さな桜のマーク」の判が押されていることに気が付いた。
あの映画・・・・
事実なんやぁ??
そして「検閲」が今でも本当に行われていることを知った。
以前にも書いたのだが、私は若いころに「ライフワーク」として「舞踏」の写真を撮っていた。
とはいっても社交ダンスや日舞やバレェなどでは無く、どちらかというと始まりはアングラ舞踏なのだが、その後はインド舞踊・朝鮮舞踊・ バリダンス・フラメンコなどの「民族舞踊」が被写体となっていた。
別れた女房とも、バリダンスの教室の発表会の写真を撮った時に知り合った。
嫁さんは実はバリダンスよりもフラメンコを長くやっていて、何度か舞台を撮ったこともある。
私自身は音痴でもあり、踊ることもできないのだが、撮っていると被写体の踊り手がうまいかどうかぐらいはすぐに判る。
踊りは「間」だと思うのだが、動きには「溜め」というのか、必ず強弱があるし、たとえば腕を広げれば、いつか は必ずその手は反対に閉じる方向に動く。
素人が踊りの写真を撮ると、動きが止まらず、流れてしまう。
それを動きがあると思っている人がいるが、しかし本当はそうではなく、タイミングを合わせれば必ず一瞬「止まる」瞬間があ り、それをとらえるのがうまい写真といえる。
で、おかしな話だが、私はカメラのファインダー越しに舞踊を見ることはあっても、カメラを置いて「鑑賞」することができない性 格であった。
つまり「被写体」としてしか踊りを見れないのだが、たとえばテレビで踊りの中継などがあると、私はそれを鑑賞しているのでは なく、「カメラマンの目」としてその踊りを追いかけていて、私だったらこう撮ると思いながら見ていたりする。
だから、昔そんな勉強のためにハリウッドの黄金期のミュージカル映画を何本か見たりした。
さて、この「シャルウィダンス?」は邦画をテレビで10年ほど前に見た覚えがある。
ヒロインの踊りの先生を魅力的だと感じながら見たのだが、Huluの配信の中にハリウッド版の「Shall We Dance?」 があることを初めて知った。
邦画は1996年とすでに20年前になってしまったが、役所広司がずいぶんと若かったのにびっくりした。
いまの彼だったら、また違った味のある作品になったと思うのだが、今回最初にハリウッドのリメイク版を見たが、10年ほど前に邦画を見て、 電車の窓からダンス教室の窓に立つヒロインの姿・・・・
それと同じ場面がハリウッド版にあるのに驚いた。
で、Wikipediaを見ると、かなり邦画に忠実にリメイクされているという。
普通は日本が真似をするのだが、ハリウッドがそのまま真似るのは珍しいと思う。
ただ主人公の.リチャードギアがなんかおとなしすぎる感はあるし、最初にジェニファー・ロペスが演じているらしいが、ヒロインをあまり魅力 的とは思わなかったが、さすがに踊りのシーンとなると、鍛え上げた肉体が見ていて素晴らしいと思った。
で、音楽や踊りをテーマとした作品は当然「見せ場」が踊りであったり演奏会のシーンなのだが、その盛り上げ方はさすがに海外の ほうがうまい。
日本のものはどうしてもそこの部分が見劣りしてしまう。
先日も「カルテット!」という家族4人がピアノ・ビオラ・フルート・バイオリンのカルテットとして家族の絆を取り戻す作品な んだが、肝心の演奏シーンが貧弱で、4人とも役者自身がその楽器を実は弾けないというのが、すぐに判ってしまう。
少なくても海外のものは、少なからず弾ける役者を使っていると思われる。
そん言う意味で、元の邦画は物語の演出は優れているが、しかし舞台姿となると、明らかにハリウッド版に負けていると私は思う。
(資)文化財復元センター おおくま