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本日 学んだこと
【本日 学んだこと】
2007年01月29日15:26
実は朝から色々と思案をしていた。
昨日も一昨日も、寝ながらヘミシンクを聴いたり、実は日曜日に「催眠CD」を貰って帰って来たわけ。
つまり、「催眠療法」をそのままCDにしたものをどうも売っているらしい・・・
それを、要らないからと貰って聴いていたわけ・・・

話し方なんかは正に「暗示」の世界で、やはり「イメージしてみてください」となる。
で、ぼくはその「イメージが出来ない」のが原因だということは、はっきり判った。
で、次はどうすればそれを克服できるか?

欠点が判れば直し様もあるし、また自分自身が納得できれば、ブレーキは外れるはず・・・
でも、ただそれを聴いて何とかイメージしょうとするけど、なかなか浮かばない。

それの解消法を朝からずっと探していたわけ・・・

で、やはり「イメージトレーニング」から始めようとネットで検索したら・・・・
もうその「イメージトレーニング」と言う一つの単語として、すでに存在していて、スポーツの世界なんかで「イメージ」すれば勝てると言う話になってくる。
あるいは「イメージ」すれば、それが「実現する」とかで、大事なのは「イメージするためのトレーニング」なんよ、探しているのは・・・

それがなかなか見つからない。
で、今度は「イメージ力」とキーワードを変えた。
すると少しは具体的な話になってきた。
どうすればイメージ力を鍛えられるか?
すると「七田式・右脳開発」なんてホームページに出くわした。

そこでは、少しは「具体的」な方法が述べられていたり、「教材」と題していくつかのCDが出ている見たい。
そのイメージトレーニングCDなるものが数枚出ていて、「試聴」出来たりした。
早速聴いてみると・・・
「はぁぁぃ・・・目の前に真っ青な海が見えます」「海にはかもめが飛んでいます・・・」と下手くそな本人のナレーションの入ったCDなんよね、それが・・・

そりゃ・・・具体的な風景をイメージしやすい様に作っては有るよ?
だけど、だからといって、それをわざわざお金を出してまで買おうと思えない。

で、ふと気が付いたんだけど、「そうだ・・・朗読だ!!」と・・・

昔、「ラジオドラマ」なんて、今では死語の世界だけど、そういうのがあって、胸をときめかしながら聴いたよね?
そうや、あれなんや・・・・
あの「音」の世界だけなのに、聴いていると目の前に「情景」がありありと浮かぶやん?

ぼくは本をほとんど読まない・・・
もちろん時々は専門書は読むけど、文学書と言うか小説の類は、若い頃に少し文学書を読んだことは有るけど、最近は一切無い・・・

ぼくは本から「知識」として得たものより、自分が「思考」して得たものの方が価値が有ると思っている。
だから、本を読む暇があると、自分の頭で物事を考えている。

それがぼくの「主義」なんだけど、年末にあるヒトと数時間はなす機会が有って、彼女とぼくとは不思議なほど考え方が似ている。
だけど、似ているから逆に「細かい相違点」が気になる。
その人と話をしていて、言われたのが「自分で考えることも、本を読むのも、どっちも大事」という事。
確かにそれも実感は最近していて、結局「内なる自分」に問いかけていた答えが、「本」を見ると載っていたりすることがある。
そういう意味で、本を読むことの重要性も判っては来た。

ただ、今日気が付いたのは、その話ではなく、「文学」というのかなぁ・・・
つまり「文字」による表現・・・・

一方ぼくは「写真」という、正に「視覚」に訴える芸術をしている。
すると、いつの間にか「目」と言うか、「視覚」はどんどん研ぎ澄まされるけど、そのものが「直接的」だから、「画像をイメージ」する必要が無いわけ・・・・
それにどうも僕自身が慣れ過ぎてしまっているみたい・・・

つまり、例えば「テレビドラマ」は直接目に訴えてくるものだから、「画像」としては想像する必要が無い・・・
それに比べ「ラジオドラマ」は画像が無いから、それを「思い浮かべる」必要性がある。

そう考えたとき「文学」には確かにそういう「想像力」が必要なんだと気が付いた。

そうや、朗読やぁ・・・・
そう思ってネットで検索すると、あるうある・・・・
MP3でダウンできる文学書がわんさとある。

これや、これなんや・・・・
これを目を閉じて聴くことにより、自分で情景を想像出来るようになるはず・・・

やっぱり自分に問いかければ、必ず「内なる自分」が答えを返してくれる。

くまさん

 
12人の怒れる男たち
【12人の怒れる男たち】
2007年04月04日19:46
昨日BSで50年前の映画をやっていた。

昔たしか「日曜洋画劇場」で見た覚えがある。
当時はまだ若かったし、今ほど物事を深く追求しなかったから、さほど記憶に残っていなかったんだけど、ストーリだけは他でもいろいろ聞いていて知っているんよね・・・

もうじき日本でも「陪審員制度」が始まるらしいけど、僕はあれをどうかと思っていたんだけど、その裏にはこの映画のこともあった。

内容は一人のスラム街の少年が、父親を殺した罪で裁判に掛けられ、それを裁くのが一般市民12人の陪審員で、その判決を下すまでのなんか1時間半ほどの間のやり取りの映画なんよ。

で、どうも「全員一致」でないと、判決が確定しないらしく、11人が「有罪」だとしたが、ただ一人「無罪」だと言い出すわけ・・
それが、いずれ映画の終わるときには全員「無罪」と変わるわけ・・・
別にそれがどうした?と言えば、それまでのことなんだけど、僕は常々思っているのは「人が人を裁けない」と思うわけ・・・

なぜなら、その裁定の基準は絶対的なもので無ければならないはずなのに、実際に人を裁く「裁判」では、裁判官が変われば、判決は180度変わる。
早い話が「法の解釈」だと言うけど・・・

でも、世の中の基準とすべき「法」って、そんな「解釈の仕方次第」で、コロコロ変わっていいものか?と思う。
そんな「曖昧」な基準で、その人の一生を左右する権利は、同じ「人間」にあってはならないと思うわけ・・

裁判どころか、法の「番人」の警察そのものが、いかにいい加減な連中が権力を行使しているか?

少なくても、裁判官とか警察、それと特に「弁護士」と呼ばれ連中は「法」を飯の種としか考えていない輩が非常に多く、「正義感」が欠けた連中が、高い給料をもらって「特権意識」をむき出しにしていたりすると思う。

そんな「法のプロ」でさえ、非常に曖昧な基準で人を裁くのに、それを一般市民の判断に委ねるとなると、もっととんでもないことが起きると僕は思う。

コメント

さくら

さくら2007年04月04日 21:59 削除
高学歴で机の上で勉強ばかりして人だけが人を裁くのは恐ろしいと思うよ・・・

曖昧だからいい部分もある、だってパターンは無限にあるから。
自分の快楽で人を殺した人とどうすることも出来ない状況で人を殺めた人は違いがあっていいと思うし

極端なこといえば人が人を裁けるかって問題になると思うんだけど、ないともっと大変なことになる

曖昧がいいこともあると思うんだわさ。

疑わしきは罰せず・・・・
【疑わしきは罰せず・・・・】
2007年04月04日23:09
たしか、昔・・・
「三権分立」とか、「疑わしきは罰せず」とか、教科書に載っていたよなぁ・・・

昨日の12人の怒れる男たちもそんなんだけど・・
11人は、有罪だと思いこんでいたんだけど、ただ一人「自分が有罪だと言えば、たった5分でヒトの一生が決まってしまう」と言いながら「有罪かも知れない・・」「だけど、違うかも知れない・・・」だから「無罪」だと、彼は一人勇気を出して主張していたわけ。

そうなんよ・・・
「絶対」的な基準が無いとすれば・・・
それは、曖昧であるなら、罰するべきではないと思う。

「情状酌量」って書くのかなあ??
ヒトがヒトを裁けるとしたら・・・・
「同じヒトとしての立場」で裁けるのは「疑わしきは罰せず」じゃないかなぁ・・・
仮に「極刑に処す」とするなら、「解釈次第」であってはいけないし、その判決を下す立場のヒトは、自分に対してもっと厳しくあるべきだと思うよ・・・

コメント

  • さくら

    さくら2007年04月05日 06:05 削除
    おはよう
    だから陪審員制度ができたんだよね?

    職業については裁判官だけの話しじゃないと思う
    先生だって医者だって看護師だって人の人生を左右する職業
    なんだってそういう職業だと思うよ

    皆そういう気持ちで仕事をしていて欲しいものですね
    さくらはそれが怖くて先生になろうとしなかったんだけど(爆

    一番いいのは罪を犯さない社会を作ること
    でもそれって難しいよね・・・
    口だけで犯罪は良くないといっても直るものではないし

    さくらはそう思います

  • くまさん

    くまさん2007年04月05日 08:23 削除
    昨日マイミクになった人も、日記に学校で子供が教師からいじめを受けている事を書いていたけど・・・

    多分みんな「自分は正しい」と思い込んでいるわけよ・・・
    そして、それが世の中の常識だと、その教師も考えていて、間違ったことをしていると言う「自覚」が無いわけ。

    その裏には「正義感」があると思うわけよね。
    でも・・・
    それが一番怖いわけ。
    そんな浅い考えのものが世の中の大半の人間だから、だから「操れる」わけよ・・
    自分が自分の頭で考えたことでなくても、外から「植えつけられた」ものなのに、そのことに気がつかなかったり、それが正義だと誤解していたりする。

    だから、僕は陪審員制度は賛成できないし、「多数決」が正しいとも思わない。
    むしろ「違を唱える」ものこそ大事だと思う。

サポート窓口の対応
【サポート窓口の対応】
2007年05月26日13:22

ちょっと霊によって、イャ例によってぼやきたくなった。

少し前の話なんだけど、うちはインクジェットプリンターを「キャノン」と「エプソン」を使っているわけ。
その中でも「復元画像」としてはエプソンのプリンターを使っている。

エプソンに関してはすでに何台もの機種を使い継いでいて、その色のよさやクォリティに関しては一目をおいている。
しかし、元々インクジェットプリンターのインクはすぐに変色をしてしまい、保存性はお世辞にもよくなかった。

ところが数年前から特にエプソンは「保存性」の改良を行っていて、現在では「100年~200年」と宣伝していたりする。

しかし、これはまったく変色しないと言うことでもないし、その保存の方法やましては「展示」するとなると、もっと短いのが現実であるが、それにしても一昔前は壁に貼っていたら、ものの数ヶ月で極端に色あせたことを考えれば「格段の進歩」だと思う。

僕はこれはユーザーの需要を考えた「企業努力」だと評価しているわけ・・・
必要は発明の母とか言うけど、、「モノを創る」とは、今までなかったものを作りだすから「創る」と言えると思い、エプソンと言う会社には好感を持っているんだけど・・・

だけど・・・
サポートの対応はお世辞にもいいとはいえない。
と、僕は思うんだけど、世の中の「一般ユーザー」っうか、顧客の90%以上の人間には十分好感を感じられているんだと思う。

まず電話口での担当者の「言葉遣い」などは、非常に丁寧で、一般ユーザーの使い間違いなどに対する対応は「マニュアル化」されていて、それを担当者は検索して、それを読み上げる形をとっている様で、大半のトラブルはそれで片付く。

その大半のトラブルで電話したものには、それで十分だと思うけど、世の中にはそれ以外のトラブルが存在し、僕は自分で考え付くことは自分で試行錯誤しながら片付けるけど、どうしても直らないトラブルがいくつもある。

そういう場合、何度もエプソンのサポート部門に電話を入れているけど、こちらのトラブルに対して一度で直ったためしがない。
どんな世界でもプロの世界は「細分化」されていて、そこだけやたら詳しいが、それ以外はずぶの素人と同じと言う人間だ大半だったりする。

そのサポートの担当者は「サポート」と言う仕事に「特化」されていて、「知識」としてその商品を知ってはいても、普段から仕事としてその商品をつかっているわけじゃないから、知識はあっても「経験」は実は皆無といえるわけ。
つまり、彼らは「知識」っうか「情報」の有無を元にサポートをしていて、前例のないものは実は何も判っていなかったりするわけよね・・・

で「こちらでも同じ状況でテストしてみます」と言って、こちらと同じ状況を作って試してみるというわけよ・・・

でも・・実際には「こちらで試しましたが再現できませんでした」と1週間位して電話を入れてくるのが常なんだけど、でもこちらではそのトラブルは実際に起きているわけよ。

何度もいったんだけど「そちらで再現できないなら、実際にここに来いよ!!」「トラブルはあるんだから、開発技術者にすれば一番ほしい情報なんよ??」といくら言っても無駄なんよ、彼らには・・・
挙句の果てが「そんなサービスは致しておりません」といわれてしまう、たまらんよ・・・
開発技術者は、製品の改良にちなまこになっていても、サポート窓口は「他の部署のことは関係ない」と思っていて、自分たちの未熟のために解決できないトラブルであっても、決して「技術担当部署」に聞こうともしないし、ましてはこちらが「技術者を出せ」と何度言っても一切繋がないわけ・・・

何度も何度もその件でサポート責任者と話をしたけど、まったく改善されない。

頭にきたから、「エプソン販売」ではなく製造元の「セイコーエプソン」の社長宛に「御社サポートに対するクレーム」とはっきり書いて「直訴」してやった。
1週間ほどして、エプソン販売のカスタマサポートの責任者が技術者を伴って、東京から大阪まで飛んできた。

やはり、製造元の社長への直訴は効くと見える。

ただ、つれてきた技術者は開発や修理担当ではなく、あくまでもサポートの技術者らしい。
まぁ、電話口の担当者よりは詳しかった。

そこでいろいろと今までのいきさつを話し、一般的なヒトにはあれで十分であっても、それを超えるトラブルにはちゃんと専門家と繋ぐことを約束させた。

実はネットで調べると「セイコーエプソン」の社長は、技術畑の出身で、対談なんかも僕と同じ事を言っていたりする。
自分の部署の事だけ考えず、隣の部署と協力して改善することを説いていたするわけよ。

そんな社長はどうも「インクジェットの生みの親」と称されている人らしく、先の先を読めるヒトのようである。

うちの仕事と「100年~200年」持つインクの関係をもう一度考えてほしいと、再度社長に手紙を出した。

阿弥陀堂だより
【阿弥陀堂だより】
2007年05月28日23:32

実は僕は長野に越してくる前に、何度も「諏訪大社」に関西からお参りに来ていたんだけど・・・

せっかくこんな遠くまで来たのに、他に写真を撮るところはないか?と、カーナビで探したら「阿弥陀堂」と言うのが出てきた。

とはいっても京都から諏訪大社まで300キロくらいなんだけど、阿弥陀堂までさらに100キロほど走ったんだけど、この阿弥陀堂って、本物ではなく「映画のために」建てられたものらしい・・・

再び「阿弥陀堂だより」αビデオ

 

「阿弥陀堂だよりロケ地」

 

に何度も撮りに行ったけど、その場所が「飯山市」だった。

で、結局安い物件があって引っ越したのが「飯山市」なんだけど・・・

引っ越してきて分かったんだけど、ここから数キロしか阿弥陀堂って離れてなかった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

今日、9時からBSで『阿弥陀堂だより』と言う邦画をやっていた。
NHKの番組のお知らせで、何度も流れていてちょっと気になっていた映画。

中年の夫婦が、夫の実家である長野の山奥の村に移り住み、その自然の四季の風景と村人たちとの交流を描いた映画なんだけど、その『絵』が実に美しい。
日本人の美意識の極地と言うべき映像なんよね・・・
春夏秋冬の自然の移り変わりも綺麗だけど、そこに描かれる人間模様もすばらしい。
ただ最初の頃の、開けっ放しの屋内での会話のシーンに時々小さな虫が映っていて、なんかそれが絵としてマイナスに思えていた。

それが四季が進むに連れて、その時々映る虫が多くなり、やがて秋の夕暮れに舞う、トンボの群れの美しさへと繋がっていたことを、その時に気付いた。

それと、特に美しいと感じたのは、室内の床の間に置かれた花瓶と花・・・・
そう言う場面が3度ほど出てきたんだけど、あの絵の美しさは、日本人にしか解らない感覚だろうなぁ・・・

ホントに絵が美しい映画だと思ったんだけど、同時にそこに描かれている『人生観』もいい・・・
あの映画を見ていると、僕の持っている悩みなんて・・・・

実に小さいなぁ・・・とつくづく感じた。

コメント

  • 退会したユーザー

    退会したユーザー2007年05月29日 16:47 削除
    きっとわたしの悩みもそんな風景には実にちっぽけなことなのだろうなぁ~。
  • くまさん

    くまさん2007年05月29日 16:49 削除
    なんじゃ・・・同時に書き込みしとるなぁ・・・
    ただ、今の僕の悩みはホントは小さくないんだけど、そうでも思わないとやってられなかったりして・・・オイオイ
  • 退会したユーザー

    退会したユーザー2007年05月29日 16:58 削除
    おいどんもですたい。
    オイオイ。
  • さくら

    さくら2007年06月01日 07:50 削除
    わたしもあの映画見たよ
    ロケ長野だったんだよね^^

    悩みは・・・・ねぇ(苦笑)

  • くまさん

    くまさん2007年06月01日 11:24 削除
    あの後、「もがりの森」を見たんだけど・・・
    なんか難しすぎてよう判らんかった。

    「映像」って、僕に言わせると「思想」とか「想い」を詰め込んでも、見る側はしんどいだけなんだけど・・・

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