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地獄谷野猿公苑

朝の6時に家を出た時、道路のあった温度計がー6度を指していた。

1時間ほどで現地に着いたが、開園時間まで間がありすぎた。

20分ほど前に公園入口で1番に並んでいたが、そのあとには白人の外国人が数人並んでいたが、ネット上には「スノーモンキー」と言って、海外では有名らしい。

9時の開園前に来ている連中は、観光バスできたわけではなく、地元の温泉旅館に泊まっていたものと思われる。

開園後、多くの外国人がカメラを構えているのだが、富士山を撮りに行ったときは、白人はほとんどおらず中国人ばかりだったが、ここでは早朝から白人ばかり、日本人は1割もいない。

いざ撮影にかかったが、しかし撮影用の指先のない手袋では、指がかじかんでと言うより、切れそうなくらいに痛い。

どうも係員がサルたちに絵付けをしているみたいで、サルたちが集まってきているが、シャッターを切る指やレンズを支える指が切れそうに痛くて、思うように撮れない。

大勢の外人の中に日本語が上手で、係員にあいさつする外人もいるようで、ここは想像以上に海外では有名らしい。

余りの指の痛さや、持っていた望遠レンズのAFスピードの遅さと、ピントがなかなか合わず、30分ほどで諦めて帰ったが、帰りには凍った道で2度も滑り、お尻を打つ始末。

真面な写真も撮れなかったが、使い捨てカイロがあれば、指先を温めてもう少しまともな写真が撮れたかも・・・・

あぁ、そうそう帰りに2組の海外のテレビクルーとすれ違ったが、それだけ「スノーモンキー」は有名らしい。

 

(資)文化財復元センター おおくま

 

海野宿

馬籠や妻籠は何度も撮りに行っているが、「海野宿」は初めて。

確かに江戸時代は「旅籠」として栄えたのだろうが、明治時代に養蚕で潤った商人たちが、立派な屋敷を構えていたようで、宿場町の風情ではなく、「うだつ」が上がる建物もあり、他の宿場町とはずいぶんと風情が違う。

   
   

(資)文化財復元センター おおくま

 

石の教会

海野宿の帰りに軽井沢の「石の教会」へ行ったが、カーナビには載っているのだが、現地より離れた駐車場から歩く必要があり、少し迷ったが教会の看板を見つけ、そこから撮り始め、アプローチを進みながら撮っていったが、いざ中へ入って撮ろうとすると、禁止されてしまった。

YouTubeなどでもいくつも出てくるのに・・・・

(資)文化財復元センター おおくま

 

清里

ここも5年前から何度も撮りに来ている。

http://fukugen.info/wordpress/blog/2018/01/21/%e6%b8%85%e9%87%8c%e3%83%bb%e5%bc%b7%e8%80%85%e3%81%a9%e3%82%82%e3%81%ae%e5%a4%a2%e3%81%ae%e3%81%82%e3%81%a8/

バブル時代の「強者どもの夢の跡」だが、5年前は駅前だというのにゴーストタウンそのもので、廃墟感が半端じゃなかったが、2~3年前から、立ち入り禁止の場所が増えたり、建物そのものの再塗装がされて、廃墟感も薄れ撮りごたえが無くなってきた。

このまままた栄えてくれればいいが、現在は見た目だけよくなっただけに中途半端で被写体としても魅力が無くなってきた。

(資)文化財復元センター おおくま

 

大内宿

先日、「海野宿」を撮りに行った。

過去には「馬籠宿」や「妻籠宿」へは何度も行っているが、海野宿はどちらかと言うより、江戸時代の旅籠と言うより、明治時代に入り、蚕で財を成した商人の屋敷町的な雰囲気だったが、この「大内宿」は逆に茅葺屋根の宿場町で古さを感じる。

ただ、前日まで「雪まつり」が開催されていたらしく、雪の灯篭が並んでいたのだが、さすがに朝一番に行くと、寒さが身に沁み、持参したAmazonで買ったばかりの撮影用の手袋が、思ったほど温かくなく、むしろ冷たさで思うようにカメラの操作ができない。

しかも、先日「地獄谷野猿公苑」の帰りの緩い下り坂で、2度も滑った。

大内宿も積もった雪が凍っており、帰り際に緩い坂道を下りながら撮影したが、登りより下りの方が滑りやすく、高いカメラと17ミリのシフトレンズをつけての「HRD」撮影のため、三脚で撮るため、歩くときに細心の注意をしながら、カニ歩きで半歩ずつこわごわ歩いたが、何とか滑らずに撮影を終えた。

 

(資)文化財復元センター おおくま

 

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