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「文化財」と「文化的財産」
【「文化財」と「文化的財産」】
2007年01月08日17:14

くまさんは昔っから、理屈っぽい・・・・

こだわりくまらいおんだもんなぁ・・・

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

って、なんか一緒ちゃうの?と思わない??

いゃ、僕もつい最近までそう思っていた。
どうも、とある人々に言わせると「指定を受けたもの」が「文化財」だという解釈があるらしい・・・
だとすると、そうでないものは文化財と呼んではいけない事になる。
って、色々あるみたい・・・・

でも、僕は単にもっと広義に解釈して、指定を受けていなくても、当然「眠った文化財」ってあるはずだから、それらを含めて「文化財」と僕は思っていた。

でも、そう最近「非物質」としてのいろんなことを考えていると・・・
ふと、気が付いたことがあるわけ。
「文化財」と「文化的財産」って、ひょっとすると違うんじゃない??

つまり「文化財」とは名のごとく「財」なんよ、主体が・・・
だから「財」を修復したり、同じ「財」を使って「復元」したりする。

だけど、なんか違うんじゃないの??と、前々から少し疑問に思っていたんだけど、そう気がついたのは「文化」とは「非物質」なんよ、本来・・・
それを作り上げたのは「ニンゲン」なんだけど、文化そのものは非物質なんだけど、それを「表現」したり「伝えたり」「残したり」するには、どうしても「物質化」せざるをえない・・・
つまり「五感」にうったえる形をとらざるをえないんだけど、だからといって「財」が主体じゃないような気がするわけ・・・・

つまり「精神性」そのものこそ、価値があるのではないかと・・・
文化とは本来形が無いもの・・・
形を追い求めて「復元」しても、肝心な「精神性」の復元がなされていないと意味が無いのでは?
と、思ったりする。
大事なのは「精神性」をいかに後世に伝えるか・・・・

そう考えたとき、本来「実態」を持たない「デジタル」って、確かに「適した」方法かも・・・

くまさん

「糧」とクリスマスの花束
【「糧」とクリスマスの花束】
2006年12月25日10:18

人生で女から花を持ったのは、これっきり・・・

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

昨日、オンナから花束が届いた・・・・
って言うと、なんかかっこいいけど。

僕も若い頃に、クリスマスに女性に花束を花屋から届けてもらったことが、2度ほどある。
でも、オンナから花束を貰ったのは初めて・・・・

実は10日ほど前かなぁ・・・
みくしいで「ばついち」とかで検索したことがあるわけ・・・
で、何人ものヒトに足跡をつけた。
するとその中の一人から
*********************************************
♪ある日 足あとで くまさんに 出会った言葉の森の中 くまさんに 出会った♪
くまさんの 言うことにゃ「…… 」♪♪♪メッセージをどうぞっ
*********************************************
と、っ・たく・・・・と思うようなメールを貰った。
プロフィールを覗いてみると、『天然のおばさん』と自己紹介があり、日記を見てみると、自分の不倫のことや、どうも飲食店に勤めているらしいんだけど、初めて会ったお客からプロポーズされた!!とはしゃいでいるわけ・・・

っ・たく・・・ホンマに、おめでたいやっちゃなぁ・・・

と、言うのが感想なんだけど、「くまさんの 言うことにゃ「…… 」♪♪♪メッセージをどうぞっ」と、返事を催促するオンナも少ないわなぁ??

仕方がないから、義理で返事を返したわけ・・・
その中で『不倫は良くない』し「初めてあったヒトからプロポーズ」もおかしな話だよ
と、言って返したわけ。
で、それから彼女は携帯だけでみくしいを覗いているらしく、メールのやり取りも短いわけ。
そのやり取りの中で、僕の昔付き合った、日記にもある「信州のコジカ」の話をちょっとだけしたわけ。
コジカもその前のくろひょうも、同じように7年間の不倫経験者なんよ・・・・
で、くろひょうは性格がオトコだから、別れた後は尾を引かなかったんだけど、信州のコジカは、別れた後もドロドロだったわけ・・・
そのコジカは「二人さえ良ければ、周りなんて関係ない・・・」とまで言っていたわけ・・・その話なんだけど、この花束を贈ってくれた「天然」のおばさんも、実は旦那の不倫で離婚しているわけ。
なのに自分も同じことをしている。

で、実は僕自身が物事を深く追求するタイプだから、むしろこういう『能天気』なオンナがとてもかわいく思えるわけ・・・
そう、性格がめちゃくちゃかわいいわけ45歳なのに・・・・
******************************************************
主人の浮気で家庭が壊れちゃったのに 家庭があると知りながらのスタート!
当初 彼はあたしの元に きてくれるかも?って 甘い期待を…
あたし自身 壊れてしまってるの
いい訳なんかしない!罰があたっても仕方ない!けどあたると嫌だから 神様にお願いしたりする
神様は困っていると思う…
自分に都合のいいことばっかり 頼まれて!でも それが女じゃない?
*****************************************************
と、いう感じ・・・

で、僕は僕の日記に、そのこととかいっぱいためになる事が書いてあるから、携帯で読むのは無理だけどネットカフェにでも行って一度読んでみたら??と言ったら、どうも近くにネットカフェがないらしく、自分の携帯で僕の長い長い日記を読み出したらしい・・・・
それが、足跡で判るわけ・・・
で、彼女は特に不倫していた信州のコジカの話を、もう2~3度読んでみると言い出した。

でもねぇ・・・
みんなはあまり気が付かないかもしれないけど、パソコンのモニターと携帯の画面って全然違うんよ・・・
大きさと言うより『表示文字数』そのものが・・・・
僕は何度も、『文字』によるコミュニケーションの限界の話をしているんだけど、『単語』そのものに持つイメージがみんな微妙に違うはず。でも『文章』としてみれば、割と大筋では似た様な受け取り方も出来なくはない。
つまり『字面』を追いかけていても、ナカミは判らないけど、文章として読めばなんとなく伝わるものがあるわけ。
それを考えると、携帯では「文字」は読めても「文章」は読めないと思うわけ・・・・

だから、何度読み直しても、僕の意図など彼女には伝わらない・・・
そう思ったので、パソコンを持たない彼女に『プリントアウト』して送ることにした。
せっかくだから、ためになるものをセレクトして、しかも本を読むような感じで「縦書き」にレイアウトも変えたわけ。

そうそう・・・もうひとつ、判る人にはわかる話なんだけど、活字って行間や文字数によって、読みやすいものと読みにくいものがあるわけ・・・つまり流れるようなレイアウトだと、スムーズに視覚から脳へ伝達されて理解しやすいんだけど、そうでないものは、理解しにくいわけ・・・
それを考えて、レイアウトを何度も変えてテストプリントをして、文字数も行間も文字の大きさも変えた。

それを『糧』と題してプリントアウトしたら、なんと50ページを超えた。
クリアファイルに入れて、本を読むように見れる。

そのファイルを彼女に送るために、住所を聞いて送ったんだけど、「明日届くけど受け取れるの? 」とメールを入れたら「大丈夫、明日は彼が留守番しているから・・・」と返った。

「ちょっとまてぇ!!」と思うよね??

不倫相手と別れるつもりだと思って、こっちは一生懸命、レイアウトしたりプリントアウトまでして送ってやってるのに、それを不倫相手が受け取るんかいな??と、ムカッと来たわけ。

で、その晩、徹底的に彼女を責めた・・・アヘアヘ・・・チャウチャウ
そうやって、自分を甘やかせてきたから、『今』の状態があるんや、って言ったら
***************************************
その通りだわ自分に甘いです
それも変えれずにいます
だめですか?
***************************************
と、返った。
で僕は
//////////////////////////////////////
だめかいいかはヒトが言うことじゃない
自分で決めるもの

だったら何故僕の文章を何度も読み返す?
言ったよ、神は外にあるんじゃない・・・
自分の中にある
その自分に恥じなければ、何をするのも自分の勝手・・・
文章を読み直す必要も無ければ、不倫を止める必要も無い。
だけど・・・
僕の文章を読んで、それでも続けたければ続ければいいやん?
でも、自分も不倫されてどうだった??
今、自分は何をしている??

それでも、自分を甘やかしたければ、好きにしろ・・・
///////////////////////////////////////
そこまで僕に言われて
**************************************
ズバッと斬りますね
目からウロコがおちるよう
**************************************
って。

結局彼女はその晩、不倫相手と別れて、別のオトコのプロポーズを「承諾」したらしい・・・

後日
*************************************
お久し振りです
じっくりと読ませていただいてます
やはり携帯で読むのとは 全然違いますね
あたし ホントにくまさんに出会えて 良かったと思ってます
出会いって やっぱり必然的なんですね

さて 昨日 答えを出しました
彼とは別れて プロポーズを受けたんです
自棄で受けたのでは
ありません
これから先の人生を考えると そちらが賢明なのかと…
愛情の後出しになっちゃうかも知れないけど自分に出来る限りは
幸せにしてあげようと思ってます
また迷ったら 厳しく叱ってもらえますか?mixiはしばらくお休みするつもりです
とりあえず 近況報告でした   
***********************************
と、返った。
ホント、性格が素直でかわいいんだよね・・・
ホントは僕が欲しかったんだけど・・・オイオイ

彼女は僕の送った『糧』を自分の糧に出来たお礼として、バラの花束をクリスマスに贈ってきたのであった、マル

くまさん
PS
彼女は心機一転のため、みくしいも削除したし、他にもいろい頑張るらしい・・・

コメント

  • さくら

    さくら2006年12月25日 23:17 削除
    で くまさん失恋しちゃったの?

    お花綺麗だね^^ いい思い出だね

  • くまさん

    くまさん2006年12月25日 23:40 削除
    そっそっそ・・・・
    毎度の事・・・

    立ち直りの早い くまさん

  • さくら

    さくら2006年12月27日 20:08 削除
    (≧∇≦) あはは 毎度のことならだいじょうぶねw
  • くまさん

    くまさん2006年12月27日 20:14 削除
    そう・・日記にも書いてあるけど、くろひょうから学んだわけ・・・
    「次、いこかぁ・・」って
 
客観視
【客観視】
2006年08月20日15:41

これって、とても大事なことだけど・・・

3次元レベルの人にはわかんねぇだろうなぁ・・・・

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

以前に、恩師のはなしで「作品に作者の思い入れを詰め込んでも、見るヒトにはそれは伝わらない」と書いたと思う。

でも・・・
作品って「自己表現」やん?
「表現する」って、誰かへ「伝える」事とどう違うの?
と、随分難しい話になるんだけど、つまり、自己表現とは本来他人に伝えるというより、「自分で自分を確認する行為」だと思ってみたりして・・・

よく、僕は自問自答をする。
それの応えが作品となるんだけど、それは第三者にちゃんと伝わるものではないと思っているわけよ。
じゃ、第三者には自分の作品がどう映っているのか??

先日の客観的な自分が、幽体離脱のごとく、空中に浮遊し、自分の言動を見ていると言うのは、まさにそれと同じで、「第三者の目」で自分を見てみることなんよ。
でも、自分自身を客観視するって、どうするの??

答は簡単「意識を外に置く」ということ。

作品、特に僕の場合、写真の中でも「モノクロプリント」を自分で焼いていたやん。
写真って、撮っているときに「いい!!」と思ってシャッターを夢中で切っても、それが写真としてみたときに「写っていない」ことが多々、いゃ大半かなぁ・・・
つまりコンタクトと呼ばれる、フイルムの「ベタ焼き」を覗きながら、伸ばす写真を探すわけ・・・
で、とりあえずいくつかに丸をつけて、焼いてみる。
ただ、焼くといっても、写真って「撮った瞬間」と、「写真として創る」楽しみがあり、プリント作業はその創る楽しみの部分。
創っている間は「主観」なんよ、自分自身の・・・
あぁやって、こうやって・・・といろいろと手を入れる。
たげと゛・・・・
今度はそれを「鑑賞者の目」で選びなおす。

それが「作者の思い入れは、鑑賞者に伝わらない」ことの裏返しなの。
自分の主観は伝わらないけど、自分が他人の作品を見たときに、何に心を奪われるか?
を、自分が客観的に自分の作品を見たときに、それが判る。

「投げる」という言葉があるやん?
ボールを投げるとか、あるいは物事を投げ出すとか・・・

僕はこの「投げる」という行為と言うか、意識と言うか、これが自分の作品を客観視する秘訣だと思っているわけ・・・
「投げる」とは自分の「手を離れる」ことやん?

つまり、「自分の意識の外に置く」ということと同じなんよ・・
と、言っても自分の作品を他人の作品として見てみるって、そう簡単ではないと思う。つまり「主観を排する」わけやん??

僕はこれをする為に、例えば丁寧に1枚1枚焼いたプリントを、一度床にばら撒くと思ってもらえばいい・・・・早い話が「床に投げる」

そして、そのまま放置し、時間の問題じゃなく、ぜんぜん違うことを考えてみたり、その場を離れたりして、その作品のことを一度完全に忘れてしまう。

で、それから何気なくばら撒いたものを見てみる。
この時点で、完全に意識を作品の外に置くことが出来るわけ・・・
その気持ちのまま・・・作品を見てみる。
それが第三者の視点だと思うわけ・・・
他人が創った作品を見ている感覚なんよ、その時は・・・
その中で「いい!!」と思ったものが、第三者の目で見てもいいものだと思う。
勿論、百人百様の見方考え方があるけど、「鑑賞者の一人の目」にはなりえる。
作者の思いを詰め込まなくても、いいものはいい・・・・

自分を客観視するのも、同じ理屈で出来る。

くまさん

コメント

  • SORO

    SORO2006年08月21日 06:04 削除
    自分を客観視する事は難しいことでもあり、言い訳の出来ない冷酷なものとも言える。自分の仕事・暮らし・生活etc・どれも客観視する事は難しい。
     でも、くまさんは、それをやっている。
    大変な作業だと思います。
  • くまさん

    くまさん2006年08月21日 16:59 削除
    何なんだろうね・・・
    僕には物事の反対側とか裏側とか言うものが、簡単に解かったりするわけ・・・
    例えば僕の考え方は特殊だと思うけどもだけどちょうど僕の反対側の考え方の人も居るはず・・・
    そう考えてみると、その人はこんな考えじゃないのかな??
    とか、人の話の「裏」を考えたら、言っている事の裏が見えたりする。

    そんな感じで、相対するものの考え方が簡単に浮かぶわけ・・・
    それが自分を客観視することに繋がる。

    だけど・・・
    多くの人は、自分の考えを人に説明することも出来ないし、ましてはその「逆」を考えてみて??と言っても、まったく逆の立場の考え方なんて、想像も出来ないという人がどうも世の中には多いね・・・
    アメリカが、イラクに正義や自由を振りかざしても、それは「アメリカにとって」の話であって、イラクにはまた逆の自由も有れば、正義感もある。
    こんな解かりきった話が、何で判らないのか?不思議でならなかったり、どこかの総理が靖国に拘るけど、立場の逆の人にとっては・・・
    てなことは、なんで思いつかないのかなぁ・・・と思ってみたり。

  • SORO

    SORO2006年08月22日 10:53 削除
    イラクも靖国もまったくその通りだと思います。
経験は財産なり・・・
【経験は財産なり・・・】
2006年07月01日07:36
随分以前から感じている事だけど・・・
僕は写真を専門としていながら、授業として習った事も、師匠に付いた事も無いわけ。
全ては独学なんだけど、それでも十分自信はある。 で、昔スタジオのアルバイトの募集をすると、時給が安い割に大勢の応募者が合った。
で、面接の時にいろいろ聞くと・・・・
どこも「経験」の無いモノは雇ってくれないと言う。
おかしな話だよね??
ニンゲン誰だって、生まれた時から技術を身に付けている者なんて一人も居ないやん??

僕らが若い頃には、「見習」「中習者」募集なんてな張り紙がどこにでもあった。
ところが今は「経験者」しか雇わないと言う・・・
だから、みんな専門学校や大学で、少しでも勉強しょうとするんだろうけど、それもおかしいわけ・・・
で、そう言うところに行くヒトは、学校で技術が身に付き、社会に出たらすぐにそれが役立つものだと思っているし、また学校はその弱みに付け込んで、あたかもここを出れば「就職率」が高いとパンフレットに謳っている。

技術なんて、昔から「習うより慣れろ」と言われているやん?
理屈で理解できても、手が動かなければ意味が無い。
経験を積んでこそ「身に付く」モノなのに、今の世の中、その「経験を積ませる」ところが無い・・・
この話をすると「今の世の中、余裕が無い」と言ったヒトがいるわけ・・・
昔は「ヒトを育てる」余裕があった・・
だから素人でも飛び込めたのに、今は経験者しか雇わない。
つまり会社としては、「仕事を抱えている」訳だよね?
言い換えれば、それをこなせば金になるから、それさえしてくれれば、それ以外のことで従業員と関わりを持ちたくないと言うのが本音で、従業員も金さえもらえれば、それ以外のことで会社との関わりを持ちたくない。

全て間に「かね」と言うモノを介して成り立っている関係やん?
だから、会社は自分が生き残るためにリストラをし、社員はちょっとでも高い給料を目指し、転職をする。

お互いがそんな関係だから、「お茶くみ」なんて「無駄」だと両方が思う。

だけど、ヒトってまず「お茶くみ」や「掃除」からスタートすべきだと思うわけ。
実は僕も若い頃は「無駄」だと思っていた。
高校を卒業した時、ある知人から、ホテルのレストランの仕事を紹介された。
行きたくなかったけど、とりあえず面接に行くと・・・・
マネージャーが「まずホールでウェイターを数年・・・」「それから厨房に入り・・」いゃ「厨房で皿洗いを数年・・・」「それからコック見習・・」と言われたけど、何でそんな無駄な事をしないといけないの?と僕は思ったわけ・・・
人並み以上の学習能力があり、積極的に吸収する性格だから、そんな無駄な事に時間を使いたくないと思ったわけ。

で、当然行かなかったけど・・・

だけど、歳をとってきて、自分がヒトに教える立場になると・・・
その意味が解かるわけ

僕も高校時代に皿洗いの経験があるんだけど、残り物を見れば客の反応が解かる。
まして、ウェイターは直接客と接しているわけやん?
顔が見えているわけ・・・
どんな顔して食べるのか?

まずは、客の反応を知ることから始まるわけよ・・

それ以前に、まず教えてもらうヒトに対して「敬意」を払わないと、誰も教えてくれない。
だって学校みたいに授業料を払っていないわけだから、「教えてもらう権利」なんて無いわけよ・・・
自分から「教えてください」「学ばせてください」という態度が無いモノには誰も進んで何も教えないやん?

こんな事、誰でも理解できる事じゃないかなぁ・・・

だからまずは「雑用」なんよ。
雑用もこなせ無いモノに、技術なんて身に付かない。

「やりたいこと意外は無駄な事」なんじゃなく、それらも含めて「シゴト」なの

職人の世界って、「かね」を介しての関係じゃなく「ヒト」を介しての関係じゃないかなぁ・・
まず「ヒト」を見る・・
お茶くみも出来ないものは、技術を教えてもすぐ金のために他に行く・・・
そう言う「考え方」が職人の世界と合わないわけよ。

「徒弟制度」って今では死語になっていて、若いヒトに言っても知らない。
もちろん僕自身も若い頃は「そんなもの、時代遅れ」と思って見向きもしなかった。

だけど、立場が変わり、自分が「ヒトを育てる」立場にたつと、これほど優れたものはない事に気が付く・・・・

くまさん

コメント

  • さくら

    さくら2006年07月01日 08:24 削除
    おはようございます
    そうですね、今はとにかく利益主義、企業も即戦力になる人を使う傾向がありますね さくらは学校に行ったわけですがそこで学んだことはあまり役に立っていません、むしろやたらに知識を詰め込んでいくよりは若い頃から職場に飛び込んでいって若い何でも吸収する頭で学んだほうがよかったと後悔する事があります
    ぁ でも違った意味で学生生活は有意義でしたが

    上司の後をついて上司のやり方をよく見て自分で考えて自分流を作り出すことはとても大切に思います、残念ながらさくらの会社も人員削減により若いうちから一人で何でもやらなくてはになり新たな物を作り出す意欲のない人間が増えてきているように感じられます。

    昔のやり方がすべて正しいとは感じませんが・・・
    本当はお茶くみをして会話をしそこからまた新しい絆を作ることは大切だと思います。でも正直お茶を飲みにくる人がひまつぶしであったりするとちょっと目が怒りますw

    もっともっと本当はゆとりを持ってお仕事をしたい
    ゆとりがあるからこそ美味しいお茶が入れられるんです
    ってさくらが人間が出来てないせいですね ごめんなさい

  • 退会したユーザー

    退会したユーザー2006年07月01日 10:09 削除
    はじめまして♪
    四捨五入コミュからお邪魔しました
    足跡ぺたっ(*´∇`)ノ ヨロシクネ~♪
  • くまさん

    くまさん2006年07月01日 11:54 削除
    そう、ヒトとしての基本だと思うよ。
    お茶くみは一つの例えであり、相手はその姿からそのヒトを見ているわけ・・・
    すると見えてくるんよ、そのヒトが将来どうするかが・・・ さくらさんは何の学校に行ったの?
    医療関係が憧れだと言っていたけど・・・

    くまさん

  • 鈴木三日

    鈴木三日2006年07月01日 12:28 削除
    経験者しか雇わない風潮は労働移動が盛んになったからで、会社が自前で社員を育成しても、ずっと会社にいてくれるわけではないから熱が入らない。それより即戦力をと考えるわけですね。
    終身雇用の良さを見直す必要がありますね。
  • さくら

    さくら2006年07月01日 13:35 削除
    くまさんへ
    さくらは福祉の学校に行ってましたよ^^
    医療関係は数学が苦手で行けませんでした(滝汗 生物はむっちゃ得意だったんだけどなぁw あたしね自分の会社でおもうんだよね、いくら仕事のできる優秀な人ばかりいても玄関にゴミが落ちていても拾わないとか花瓶の花が枯れていても知らん顔とか・・・
    確かに仕事以外の部分ではあるけれどもそこが一番大切なんじゃないって?
    お客様が会社に入ってほっとできる、仕事をする人がほっとできる環境を作れるのも一つの仕事
    でもそういう部分はあまり評価はされない
    (ま そんなこと(評価)を考えてやってるのも何なんだけどね)
    終身雇用にしろ何にしろ要は一人ひとりの心の持ち方、仕事への姿勢なんだと思うんだよね
    肩書きがどうとかそんなことを気にしているうちはいいお仕事は出来ないような気がします。
    肩書きがなんぼっていうけどその肩書きだって一部の人の判断なんだけどねぃ やっぱそれだけ高給取りになるし目標としちゃうのかなぁ。。。
  • くまさん

    くまさん2006年07月01日 15:24 削除
    珈琲時計さん
    もう退職して悠々自適でいいですね・・・
    ぼくなんか、終身雇用どころか、生涯現役ですわ・・
    でも、やはり「シゴト」って、お金目的じゃなく「やりがい」だと思うんだけど・・・
    むしろやりがいのある仕事に就けることの喜びなのかなぁ・・
    歯車のひとつとして仕事をして、いつでも部品の一つとして棄てられる職場じゃ、やりがいなんて無理なんでしょうね? くまさん
  • くまさん

    くまさん2006年07月01日 15:28 削除
    さくらさん
    福祉ですか・・・
    あれも一時随分資格修得がブームになったね・・・ 肩書きを自慢しても、結局自分自身がリストラされて、「タダのヒト」になったとき、ホントの自分の姿を思い知らされて、立ち直れないヒトって多いと思うよ・・・

    くまさん

  • さくら

    さくら2006年07月01日 16:36 削除
    くまさんへ
    さくらが学校卒業して少し経ったら資格ブームになりましたね
    今も福祉医療関係は引く手あまたらしいです。
    まだまだ昔の肩書きを利用しようとする人がいる限り結構ちやほやされるみたいですよ、そしてそれに頭の上がらない人もいる限りたった一人のわがままのためにお茶を飲みにくる方もいるのは田舎の悪習ですかね^^;
    リストラなら別としてなんですが・・・ 生涯現役素晴らしいと思います^^ 柔軟な発想でいれるとしたらそれはもう最高ですね。日々変わっている日常を見つめて自分のアレンジを加え仕事する そういうことできるといいなぁ
    私は私のペースでゆっくり何か足跡を残したいな
  • SORO

    SORO2006年07月04日 07:46 削除
    仕事場って、入社初期でお茶汲みや掃除がきちんと出来ない人は将来もきちんとした仕事が出来ないから、良い教育になると思います。その点同感しますね。
  • くまさん

    くまさん2006年07月04日 08:12 削除
    そうでしょうね・・・
    大事なのは「こころがけ」ですね
失敗は成功の元・・・
【失敗は成功の元・・・】
2006年06月28日23:45

今、引越しのための荷物の整理、そうまさに整理中・・・

もう15年以上前の話なんだけど、シゴトでフイルムの現像を出していた現像所がミスをした・・・
つまり、普通の35ミリのフイルムは、「自動現像機」と言うのか?液温も現像時間も全てオートで設定されているわけ・・・
だから、機械が故障しない限り、問題は起こらない・・

ところが、僕らが使う「ブローニーフイルム」という大きなフイルムはこの機械には通らない・・・
だから、昔からある古いタイプの手動式(?)の現像機を使っていたらしい・・
ところが、ネガの仕上がりが薄すぎた・・・
おかしいと言ってクレームを入れて、現像所が調べたら・・・・
現像液温が設定より低かったらしい・・・
つまり、ネガの現像は、「液温」と「現像時間」の掛け算で、変わるんだけど、液温が低いとネガ濃度が低いわけ・・・
つまりプリントすると暗い写真になる。
これは我々プロとしては致命的な事で、現像所のミスが我々撮影者にとっても信用を落とす事になる。

で、僕が文句を言うと、その現像所の所長が原因を調べて、今後気をつけると約束した。

で・・・
僕は失敗は誰にでも有るけど、それを活かしてやり直すチャンスは与えるべきだと思っているわけ・・・
だから、その後もその現像所に出しつづけたわけ・・・

で、この話を当時ニフティサーブのメンバーのプロカメラマンに言うと・・・
かれは「そんなところに出すほうが悪い」と言うわけ・・・
しかも「二度と出さない」と言う・・・・

俗に「君子危うきに近づかず・・」だろうなぁ・・・
にゃるほど、プロたるもの・・・
と、思うよね?

だけど・・・
ちょっと待てぇ・・・と、思わない?
まず「失敗するか否か?」は、失敗するまで判らない筈・・・
可能性が高いか低いかと言う問題と「失敗した」と言う事実は必ずしも一致しないはずじゃない?
早い話が見ていて「危なっかしい・・」と「危ない」とは違うはずよ。

確かに、失敗されるとカメラマンとしては困るわけ・・・
プロラボと言えど「失敗しても現像料の10倍までの保証」と謳っていたりするんだけど、たとえば海外ロケや大金が掛かった撮影でも、現像を失敗されたら終わりな訳よ、イャホンマ・・・
だから、その可能性のあるところには出さないと言うのも、解からなくも無い。

だけど・・・
世の中に「絶対」はありえない・・
どれだけ気をつけていても、人為的ミスはゼロには出来ないわけよ・・・
失敗して初めて言えることなんよ。

で、「失敗されたから、2度と出さない」と言う考え方も解からないわけではない。
でも、これもおかしくないかい??
今度は確率の問題も出てくると思うよ・・・
1度失敗したところは2度失敗するのか?
あるいは、「2度と失敗しないのか?」だよね・・・
失敗を活かせれば、「同じ過ち」は犯さない・・

でも、まだ失敗をしていないところは?
その失敗を犯す確率は高いはずじゃない?
僕はそう考えるわけ・・・

ヒトは成功より失敗から多くを学ぶはず・・・
前に話に出た「×2の助産婦」に僕は「バツは活かせば勲章」「それを二つも胸に付けているんだから、もっと胸を張って前に進め・・・」と励ました事があるわけ・・
そう、失敗は汚点じゃない・・・
経験は財産なんよ・・・
彼女は結局その経験を活かせなかったけど、世の中自分の心がけ次第だと思うわけ・・・

だからこそ、サッカーの話もそうだけど「積み重ね」のチャンスを与えるべきだと思う、世の中は・・・

コメント

  • さくら

    さくら2006年06月29日 23:17 削除
    人間は失敗する いや人間だけじゃなくてもね

    さくらは昔医療関係の職業につきたかった
    でも失敗したらえらいことになる
    怖くてできませんでした。

    今でも医療関係の人は凄いと思います

    経験は本当に宝物ですね

  • くまさん

    くまさん2006年06月30日 14:16 削除
    「反省だけならサルでも出来る」なんてな言葉が昔あったけど・・・
    ヒトはやはり、失敗をタダ反省だけじゃなく、「活かす」事が出来るはずやん??

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