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再度見た「60歳のラブレター」・Hulu

今日、アメリカ映画の「31年目の夫婦げんか」を見た。
中高年の夫婦の危機を乗り越える映画なのだが、この世代の日本の夫婦を描いた「60歳のラブレター」を思い出し、再度見直してみた。

前回  「60歳のラブレター」
で、それを紹介したが、今回比較する意味で見直してみた。

ストーリー等は、前回のものを参考にしていただきたいが、この物語には3組同世代の男女が出てくる。

その中心となる夫婦は、亭主は定年退職と同時に、離婚し、若い女と暮らし始める。
しかし離婚に同意したとはいえ、夫人は身勝手に浮気を繰り返す亭主ではあっても、心の底では慕っている様子。

30年前に新婚旅行で訪れた金比羅山の近くの写真屋で記念写真を撮ったのだが、その写真、30年後の夫婦のもとに届けられ、そこには夫人が30年後の亭主に宛てた手紙が添えられていた。

その手紙を読み、亭主は自分の身勝手さを自覚し、再度やり直しを試みる・・・

私はただ映画を紹介しているわけではなく、その映画が自分に与えた影響や、何に感動したか?
のあたりの自分の経験を踏まえ、紹介している。

この主人公の夫人・・・
控えめで、口数少なく、自分の気持ちを表に出さない。

実は別れた女房にも似たようなところがあった。
今でいう癒し系の典型であったが、しかし自分の本心を表に出さない。
私は逆で、思った事を口にする。

まさに性格の不一致と思われるが、しかし・・
そんな性格だから、「夫婦喧嘩」はなかなか成り立たなかった。

私は離婚して多くの人とやり取りをする中で、相手のことを確かめもせずに自分勝手に思い込んでいる人が多いことに気が付いた。

喧嘩は誰も好まない。
しかしながら、自分と相手が何が違うのか?それを一番確かめられるのは夫婦げんかだと私は思う。
対立し、衝突して初めて、相手と自分の違いを知る。

これはとても大事なことで、相手のことを確かめもせず思い込み、決めつけていると・・・
結果としていずれすれ違う。

人は十人十色、同じものは二人と居ない。
だからこそ、自分と相手との違いを知ることは、まず第一歩となるが・・・
これを躊躇する夫婦は多い。

ただ、私の経験では、別居になった時初めて女房は「あの時、言われたあの言葉が胸に刺さっている」と初めて言った。
これって・・・
今頃言われても、取り返しはつかない。

この主人公の夫人も30年間、じっと言いたいことを言わず我慢し、亭主はそんな夫人の気持ちも理解しょうとしなかった。

私もまさに離婚して初めてそんな女房の気持ちに気が付いた。

やはり中高年の夫婦にとって、一番大事なことは「いつまでも抱き合うこと」そして「対話をおろそかにしない事」だと、失敗の中で私は学んだ。

 

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31年目の夫婦げんか・ U-NEXT

私は現在独り者である。
47歳で離婚したのだが、一度結婚10年目に別居を体験した。
なんとかやり直しをしたのだが、別居の原因は抱き合うことと、対話の不足であった。

やり直した当初、互いにぎこちなく会話を始めたのだが、結局7年しか持たなかった。

また、離婚後にネットで「人生のパートナー」を求め、多くの人とメールのやり取りや、実際に会ったり、付き合った経験を持つ。

こんな話をすると、多くの人は自慢話だと受け取る。
しかし、人は人生から多くを学び、特に失敗からは学ぶものが多い。

ただ、何を学ぶかはその人の「考え方」「受け取り方」の影響を多分に受け、人それぞれ1つのことからでも正反対のことを学ぶものも多い。

私が離婚後に学んだ事は、やはり「抱き合う」ことの大切さであり、肌が触れ合わなくなったとき、心の触れ合いも無くなる。
例え歳は取っても「茶飲み友達」では決して夫婦はうまく行かない。

まさにこの映画はそれを多くの人に教えているのだが、アメリカの結婚31年目の夫婦に訪れた「危機」を乗り越える話である。

日本では希だと思われるが、アメリカでは夫婦間の問題を有料のカウンセラーを挟んで、話し合うことが多いようで、よく映画で見かける光景なのだが、夫人は旦那を愛しているが、最近肌の触れ合いも無ければ、心の触れ合いも無い。
夫人は何とかそれを取り戻そうと、自分の貯金を下ろし、夫婦のカウンセリングに申し込む。

亭主は「馬鹿な事」と一蹴りするが、夫人がひとりででも参加すると聴かないし、会社の同僚の離婚経験者からも、後悔すると言われ、やむなく参加する。

カウンセリングは1週間・・・
互いの言い分をカウンセラーは聴きながら、一つずつ課題を与える。

私もまったく同感なのだが、まず「抱き合って眠ること」
この課題を夫人も何とかこなしたいと思うが、亭主は「何をいまさら・・・」となかなか応じようとしない。

ただ、その後1週間で、亭主も事の重大性に気づき、努力を開始する。

でも1週間では解決に至らず、失意のまま家庭生活に戻るのだが・・・
夫人は家を出ることを考えていたが、亭主はその晩夫人の寝室へと向かう・・・・

最終的にはハッピーエンドとなるのだが、夫人はカウンセリング中に、もう一度結婚の誓いをしたいと言っていたが、それが実現して映画は終わる。

さすがはアメリカ映画で、「セックス」ということにも正面切って取り上げている。

中高年の夫婦で見ると互いに心に通じるものがあると思う。

日本には中高年の夫婦間の問題を描いた映画は少ないとは思うが・・・
一番思い出したのは「60歳のラブレター」だった。

比較のためできればもう一度見てみたいと思うが、 U-NEXTに有ったかどうか、再度検索してみようと思う。

(資)文化財復元センター おおくま

 

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さくらんぼ 母ときた道 ・U-NEXT

以前から有料の配信サイトで映画を見ているのだが、今まで見た居たd-TV も Huluも、見たい映画はほとんど見尽くしてしまった。

そこに他のサイトを探していたのだが、その一つ U-NEXTで、邦画をいくつか見たいものを見つけた。

そして今朝から続けてみていたのだが、その4本目に日中合作の映画をリストアップした。
この映画、1980年代の中国の農村が舞台なのだが、最初のタイトル部分にほとんど日中合作を示す表示が無かった。

脚本はあの「初恋の来た道」の脚本家が実話をもとに執筆したものと言う。

村でも貧乏な足の悪い夫と、知的障害のある嫁との間にまだ子供ができないのに、その知的障害のある嫁は子供を欲しくて仕方がない。

そこに女の子の捨て子があり、嫁はそれを連れ帰り片時も離さず愛情を注ぐ。
中国では子供は一家に一人と決められているので、女子が生まれると捨てられたようで、最初その夫も自分の実子が欲しいし、男の子が働き手としてほしいので、嫁さんが昼寝をしている間に、子供の無い夫婦に引き渡してしまう。

ところが目覚めたその嫁は、必死にその夫婦の乗る車を追いかけ、遠く離れた町まで探しに来る。

何日も何日もその知的障害を持つ嫁は、連れ去られた子供を探し回り、とうとう間違えて別の夫婦の子供を連れ去る。

捕まえられ、殴られる寸前にその夫に助けられるが、あまりに嫁が子供を諦めないので、結局夫はまたその子供を引き取り、育てることにする。

それから知的障害は有っても、わが子以上に愛情を注ぐ母親に守られ、5歳に育つが、その頃子供は友達が「のろま」と自分の母親を呼ぶことに気が付き、その言葉の意味を父親に聞く。

父親は「お前が今ここにいるのは、優しい母さんのおかげだよ」と言うのだが、娘にはその意味が理解できなかった。

やがて娘は小学校に入り、優秀であるが、時々母親が娘を心配し学校に顔を出す。

また同級生から母親を「のろま」と呼ばれ、自分の宿題のノートにも母親が落書きをして、先生から怒られる。

すると娘はそんな母親が疎ましく思うようになり、学校に来ないように家のドアに鍵をかけて学校へ行く。

ところが昼から土砂降りの雨が降り出すと、そんな閉じ込められている母親は、窓から傘を持ち飛び降り、はだしで学校に娘を迎えに来る。

その姿を娘は目にし、母親の深い愛情に気が付く。

その夜、娘は熱を出すが、両親に荷車に載せられ、病院へ着く。

娘は母親の深い愛情にきづいてからは、また幸せな母娘となるのだが・・・・

ある日母親は娘のためにさくらんぼを取に行ったまま戻らない。

数日間経ったある日、川の近くで母親の遺留品が発見されるが、すぐそばにはさくらんぼの木が有った。

母親は結局そのまま戻らず、遺体も発見されないまま、月日が流れ、その娘は医大へ進む。

その頃になって、初めて娘は父親が言ったお前が今ここにいるのは、優しい母さんのおかげだよ」と言う言葉の意味を理解する。

初恋の来た道」も秀作であるが、この映画、はるかにそれを超える名作で、例え知的障害でさらに腹を痛めた実子でなくても、母親となったものの我が子にそそぐ愛情の深さをとてもよく表現されており、何度も何度も涙がこみ上げてきた。

またこ知的障害を持つ母親役を、役者は実に見事に演じきっている事にも、とても感動した。

この映画オフィシャルサイトがある様である。

http://www.sakuranbo-movie.com/

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苦労は人を育てる

いきなり、こんなタイトルだが・・・・
私は自分では人並み以上の苦労をしていると自負する。

ただ「自負」するだけで、その比較の対象がはっきりしない。
しかしながら、現代人は「苦労」を極端に嫌う。
苦労は悪だと思っている様子で、出来れば苦労などせずに「楽」して一生を終わりたいと思うらしい・・・

だけど、人の一生ってなんだろう?
自分が生を受けて、棺桶に足を突っ込むまでを、ほとんどの人は「一生」と思っているらしい・・
だとすれば、苦労をせずに楽に死ねればそれに越したことはない。

だけどそれってあまりにも「短絡」過ぎると、私は思う。

「顕在意識」でしか、人は思考できない・・・
顕在意識=現実世界と考えれば、それも間違っていない。

しかし私は、巷の常識を超えたことを多く経験している。
「常識」=「顕在意識」と言って過言ではないが、私は若い頃から「自問自答」をしてきた。
するといつの間にかその答えが返っていることに気が付く。
それは自分で「思考」して得た答えではなく、自分の意識外から返された答えと言える。
何故なら、そんな答え、考えたことも、知識を得たことも無い。
にもかかわらず、その答えが「自分の中」にある。

じゃそれは誰が答えたものか?
それは「潜在意識」が返してきた答えだと私は思う。

その返された答えは納得のいくものだが、巷の常識と大きくかけ離れていたりする。
でもその答えの方が絶対に正しいと、私は確信する。

前置きが長くなったが、我々が思う「現実世界」が本当の現実だろうか?
まずそこから疑わなければならず、我々が目にし、触って確認できる「物質」世界は、実は幻だと言われている。

本当の現実は「目に見えない」「時間が無い」「距離が無い」世界で、本当の自分自身とは「魂」であり。それは輪廻転生すると言われる。

つまり我々が思う「一生」なんて、その一部でしかない。
その一部で「楽」をするか「苦労」するかは、顕在意識の世界で考えられる違いでしかないが、しかしそれが何故「輪廻転生」するのか?
それを考えた時、人の魂はレベルがあり、それらは輪廻転生のうちに徐々に上がる人。全く上がらない人などの差ができる。

その差は我々が思う「現実世界」での努力の違いでもある。
苦労とはそれを磨くための試練と言える。

それを喜んで受ける人、嫌がる人・・・・
その差は何代にもわたり蓄積される。

何故こんな話をするかというと、本日検索項目に「苦労は人を育てる」という言葉があった。
まさしく私が唱えてきた言葉だが、googleの検索結果の第一に私のブログがあった。

一方「苦労は人を育てない」というブログがその次に上がっていた。
書いているのはいかにもエリートと言わんばかりの人。

内容など読む気もないが、彼は「顕在意識」でしか物事を理解できない人だと思う。
自分の一生は一代限りだと思ている人だろう・・・・

(資)文化財復元センター 大隈 剛由

 

新くまらいおん-M

良心的な歯医者さん・その後

先月、いまどき珍しい良心的な歯医者さんを紹介した。

その先生の言われるように、地元の歯医者で、ブリッジを作るために、残っている歯の根っこを2本取ってもらった。

で、ブリッジを作る話になると、残っている歯がかなりぐらついているから、ブリッジをかぶせるときに、抜けてしまう確率が高いと言われ、抜けたら入れ歯しかできなくなると、随分言われた。

つまり、以前に行った歯医者は、ぐらついている歯を先に治療する方法があると言っていたが、地元の歯医者は一切そんな話をしない。

そこで地元で治そうとして歯が抜けたら、元もこうもないので、再度、梅田にあるその歯医者に行ってきた。

今回保険書を作ってあるので、持って行ったのだが、何やら一度そのぐらついている歯を抜いて、歯茎の膿を取って、消毒してまた歯を入れるという事らしい。
その治療は保険でできるらしいのだが、そんな話すら地元の歯医者はしなかった。

で、今回もそのあたりの話を聞いて、抜いた歯の跡が治るのを待って、そこで治療することにした。

で、その先生、まだ若いのだが、この前来た時に10割負担を覚悟で行ったのに、逆に先生の方がレントゲン代を請求しなかったという。
おかしな話だが、その歯医者は地元で治療するように勧めたわけだから、後でレントゲン代を請求できないにもかかわらず、請求しなかったことになる。

で、今日は話だけ聞いて、治療はしなかったのだが、年明けから実際に治療にかかることにしたのだが、今日も治療していないからだと思うが「診察料」すら取らずに「タダ」だった。

その代り、治療を始めてから、保険の負担額だけ、前回のレントゲン代は請求すると言われた。

それにしても、10割負担と3割負担だから、随分と安くつく。

全くいまどきまれにみる良心的な歯医者である。

(資)文化財復元センター  おおくま

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