- 【梅雨時だから、ドライ&ウエットな話】
- 2006年06月17日06:07
これって、「日本人」の民族性だよな・・・・
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今からさかのぼる事28~29年くらい前の話しなんだけど、僕がシゴトとして写真を始めたのがちょうど30年前。
最初は街の写真館で、結婚式や葬式のシゴトとか、小学校の学校アルバムなどをやったわけ・・・
まだ24歳成り立てだから、小学校で「写真屋のオッチャン!!」と呼ばれると・・・
「オッチャンや無い、お兄ちゃんや!!」とむきになったいた頃、同時に近くの結婚式場の婚礼写真の助手をしながら、撮影を見ていても・・
撮影は婚礼衣装の「かたち」を調えるのに必死なんよね、みんな・・・
つまりいかに衣装の線を綺麗に出すかが、「プロの腕」みたいに思われていて、それを気にするし、またフロントにお客さんがクレームを入れるのも、割と衣装の話が多い。
でも、おかしな事に、結婚式なのに「花嫁の表情」なんて、誰も気を使っていないわけ・・・
それどころか、笑顔の写真ではなく、「ハイ、そのままカメラを見て・・・」「首を少し傾けて・・・」「ハイ、バシャッ!!」とシャッターを切るわけ・・・なんかおかしいなと思ったわけよ・・・
だって自分の結婚式なんだから花嫁はうれしいはず・・・
なのに笑顔の写真は無く、それどころか衣装の型をつけるために、クリップで裏側はガチンガチンに止めてあるし、そのまま動けないし・・
重い鬘は被っているし、花嫁は「苦痛」なんよ・・・僕はなんでうれしそうな写真を撮らないのか?不思議だった。
で、1年ほどしてそこを辞めたわけ・・・・
色々そこの経営者に対して不満が出てきた。
僕はその後もそうなんだけど、写真の中でもいろんな分野を渡り歩いていて、同じところで長年居ても、そこで得るものが少なくなるより、他に行っていろんな事を学ぶ道を選んだ。で、そこを辞めて、当時新しいスタイルの写真館が出来ていた。
まだ出来たてだけど「日本・PCA」と言って、本社がアメリカにある「移動スタジオ」と言う新しい形式だった。
そこは固定したスタジオを持たず、スーパーのレジの横とかあるいはデパートの「赤ちゃんフェア」とかのイベントで、1週間だけ2坪ほどのスペースでスタジオを作って、「子供専用」に写真を撮る。
しかも撮影料は「タダ」の上に、撮った写真をキーホルダーに入れて「無料でプレゼント」すると言う大盤振る舞い・・・・いまでも自然食品なんかで「催眠商法」とかで、最初にタダで物を配る・・・
実はそれに近いところもあるわけ・・・・その新しい写真館の写真に僕は惹かれた訳・・・
子供の表情が生き生きはとしていて、婚礼写真と正反対。
実は撮影時に子供と遊びながらシャッターを切るんだけど、ノウハウがあるわけ。で、誰でもそうだけど「タダ」には弱い・・・・
最初に大量に写真を撮るわけよ、キーホルダーに入れる以外にも・・・
で、当時は1ヵ月後にアメリカでプリントされた写真が、キーホルダーを撮りにきたときに1セット見せられるわけ・・・でもこれは詐欺ではないわけ・・・
キーホルダーはタダでもらえるし、撮影料もタダだし・・・
でも・・・・親って、自分の子供の写真を見たら????
買わずにいられるか??親馬鹿心理につけこんだ商法なんよ・・・
これが最近では「子供スタジオ」として、撮った写真を見せられて、「可愛いですね!!」と受付におだてられてバカみたいに写真を買うあの商法の始まりなんよ・・・で、当時キーホルダーを撮りに来たヒトに、写真を一通り見せて「欲しいものがあれば購入できます」とセールスマンが説明するわけ・・・
決して「買ってください」ではなく「購入できます」と言う形をとるわけ・・・
だから押し売りには当たらない・・・でも、おかしいと思わない?
「もし、写真が売れなかったら??」と、誰でも思うよね?
しかも写真の値段は、僕が居たような日本の写真館に比べたらかなり安いわけ・・・
それで商売が成り立つの??
と思うんだけど、そこがアメリカなんよ・・・・親は当然気に入ったものは買っていくけど、じゃ気にいらなかったら??と聞くと・・
そう、他人が買うはず無いわな??
セールスマンは「処分します」と言うわけ・・・
実際に処分するしかないわけだから・・・
随分資源の無駄をしている事になるやん??
それがまさにアメリカ式で、大量生産の大量消費主義だったわけ・・・・アメリカ人は「ドライ」だとよく言うけど・・・
確かにアメリカでは、この商売が爆発的な勢いで発展していて、「安い」上に、「写真を見て選べる」しかも気に入らなければ、「買わなくてもいい」訳だから、日本みたいに、先に金を払って、写真が気に入らなくても「注文生産品」だからキャンセルが効かない写真館とは雲泥の差なんよ・・・
だから爆発的に伸びたわけ・・・・
だけど、日本では数年後に撤退した、その会社は・・・
日本人は「ウェット」なんよ・・・・
そう、昔誰かが「ノーと言えない日本人」とか言っていたけど、まさにそれ・・・・
日本では「買わないとこの写真、どうなりますか?」を親はまず心配するけど、アメリカ人は「要らない物は要らない」訳で、例え自分の子供の写真でも、どうなろうと気にしない・・・ところが日本人は売れなかった分まで心配するわけ・・・
我が子の写真が捨てられるのが、忍びないわけよ・・・
で、結局は無理して要らない写真まで買ってしまうわけ・・・この商法は「薄利多売」だから、同じお客からリピートしてもらわないと儲からない。
アメリカ人は「いいとこづくめ」だから、子供は成長するし何度も撮るわけ・・・
だけど、日本人ってウエットじゃん??
ホントは「選んで」「気に入ったものだけ」買える筈なのに、結果としてそれが出来ない・・そうなると・・・
後に残る気持ちは「買わされた・・・」と言う意識が残るわけよね??ちょうどぼくが、どんなに当人のためと思って言って聞かせても、当人は「強制されている」と感じてしまうのと同じ事なんよ・・
それが日本人なんよ・・・・そう言う意識が残れば、当然たとえ「タダ」と聞いても「いぇ、結構です」というわな??
そんなわけで、この商法は日本から撤退した・・・・アムウェイも何故日本では伸びないか?
同じ理由だと思うよ・・・くまさん
コメント
- さくら2006年06月17日 08:31
- ちびちゃんの七五三のときは写真館でばしばし撮られたっけ。
何シーンも小物を変え場所を変え撮るわけですよ
デジカメなんで要らないやつは消去なんだけど写真館の写真は高いんですよね^^;
数枚気に入ったものだけ(正確に言えばパック料金内)でおさめました。
ただ娘の選んだ着物が松田聖子デザインだったので+3000円でしたが。いわゆるねずみ講のような方法で商品売ってる人はもぉ必死でお客ゲッツしてますよね
断るの苦手 でもさくらの場合は絶対嫌いだから買わない。
薦められれば薦められるほど嫌になるw(あまのじゃく)
- コメント
- くまさん2006年06月17日 16:51
- さくらさんは聖子ファンかいなぁ・・・
多分、買った枚数が多くないのは、カメラマンが「へたくそすぎる」かさくらさんがドライだったりして・・・オイオイ
七五三のさつえいなんか、今では全て子供スタジオに取られてるわ・・・
結局基本料金は安くても、結果として数万円分の追加をするのが大半だと想うよ・・・
なんたってスポンサーは、両親のじいちゃんばあちゃんだから、孫の写真には気前良く金を出すみたい・・・くまさん
- くまさん2006年06月17日 18:25
- そうそう・・・・
さくらさんの年代だったら、この写真館撮った可能性が高いよ?
設立当時、東京と大阪に事務所があって、後で九州にも事務所が出来たけど、僕も当時広島とか岡山辺りまで、出張で撮影に言っていたことがある。
当時広島のデパートの「赤ちゃんフェア」で、撮影風景は見世物と一緒で、見ていて楽しいから、わが子も撮って欲しいという客が人垣が出来るほど増えるわけ・・・
そんなわけで「勢い」なんよ、撮る方も撮られるほうも・・・
で、「マムズ」と言って、赤ちゃんと母親をセットで10カット近く撮るんだけど、それを100組独りでを超えた事があった。くまさん
- くまさん2006年06月17日 18:30
- あぁ、それから問題なのは「割り切り」が出来るか否かなんだと思うなぁ・・・
アメリカ人は、お互いに割り切っているから、友達や血縁関係でも金儲けが出来るけど、日本人やアジア人はそれに抵抗があるから、アムウェイは日本に根付かない・・・くまさん
- さくら2006年06月17日 22:57
- やあ (。・_・。)ノ
さくらは松田聖子ファンじゃないよ、たまたまちびが選んだ着物が彼女デザインだっただけ
本人が決めたものだから彼女の意見を尊重したのさ。いやいやうちの年寄りたちはお金は出さない
自分たちで出すからやっぱりドライになる
勿論年寄りが出してたらもう2枚ほど追加してたかもねあたしが生まれた頃はまだ写真撮影はあんまはやってなかったよ、田舎だったせいもあるかも
まだ共働きという言葉が非常に珍しかったから
あたしの写真は浴衣着てあたまに飾り付けたスナップ写真だよ
アムゥェイこっちは結構流行ってる、必死で断ってるよw
というかその程度の存在かぁって寂しくなるね
ぁどんな気持ちで勧めてるかわからないからさくらの独断なんだけどね。
- SORO2006年06月19日 17:09
- 遺影って探すと案外ないものですが、実際に死亡した人を撮影して遺影とする事ってあるものなのでしょうか?
- くまさん2006年06月19日 18:14
- 死亡したヒトを撮るって??
遺影はパソコンで着せ替えとか出来るし、旅行のスナップとか集合写真から顔だけ取り込んで作るのが普通・・・確かに余り写真を撮らないヒトも居ることは居て、おばあちゃんで死んでも、娘の頃の白黒写真しかないヒトも居たけど・・・
死人の顔を撮って、それで遺影を作ることはまずないなぁ・・
中には遺影なしの葬式もあるけど・・・・葬儀業界はボッタクリの業界で、実際の出入り業者は半値以下で卸しているのが大半やでぇ・・・
くまさん
- SORO2006年06月20日 03:09
- なるほど、なるほど。死亡後の撮影は無いのですね。
歳の割りに、随分若い写真がありました。
南無阿弥陀仏・・・
- 【サッカーも終わったし・・・】
- 2006年06月28日05:1
よくテレビや映画を見ていると、「ファンド」と言うのかな・・・・
投資マネージャーが「結果を出す・・・」とかいうんだけど??
これって「日本語」としておかしいよね?
つまり「良い結果」「悪い結果」とか、結果にはいろいろあるはずなのに・・・
これを無視して「良い結果」の事しか頭にないわけよね、銭ゲバたちは・・・
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あぁ、まだやってるのかな?
全然興味が無いから人事なんだけど・・・
でもなんかおかしいと思わないのかなぁ、みんな?
いゃ、監督交代の話なんだけど、当然最初にそう言う契約がなされているんだろうとは思うけど、僕はどうかと思ったりする。
成績次第で、稼ぎが増えたり、首になったりするやん?
これってたぶん今の世の中のほとんどが、そう言う仕組みなんだろうけど、何か違うんじゃないの?
人の一生だって浮き沈みがあるし、物事全てにおいていいときも有れば悪い時もあるはず・・・
そのある「期間」だけを取って一喜一憂したり、モノの良し悪しの判断を下したり・・・物事って、沈む時があるから浮かぶ時も有るんじゃないの?
そのどちらかだけ見て、物事を決め付けるっておかしくないかなぁ・・・で、問題なのは、「積み重ね」の重大さだと思うわけよ・・・
失敗があるから成功があるわけで、成功の連続も失敗の連続もありえないはず・・
まして人を育てる事を考えると、できるだけ長い期間で物事を考えられないと、それまでの失敗を経験として活かせないのじゃないかと、思ってみたりする。
それを短期間で成果が出なかったから、「ハイ、次・・」じゃ選手も一体誰の話を聞けばいいのか、迷うよ・・・
そんな調子で育つはずが無いと思うんだけど・・・くまさん
コメント
- さくら2006年06月28日 07:46
- おはよう^^ お久しぶりですね
全く同意見です
野球の監督も同じこといえると思わない?勝負の世界は成績を残してなんぼだからですかね
選手だってそうでしょそれからそれって何でもいえるような気がする
安くて早くてめんどくさくないほうがいい
そういった理由で商店が少なくなって大型店に変わっていく職人さんが減っていく
いいのかなぁ いまのままで職人好きな さくらでした^^
- 【失敗は成功の元・・・】
- 2006年06月28日23:45
今、引越しのための荷物の整理、そうまさに整理中・・・
もう15年以上前の話なんだけど、シゴトでフイルムの現像を出していた現像所がミスをした・・・
つまり、普通の35ミリのフイルムは、「自動現像機」と言うのか?液温も現像時間も全てオートで設定されているわけ・・・
だから、機械が故障しない限り、問題は起こらない・・ところが、僕らが使う「ブローニーフイルム」という大きなフイルムはこの機械には通らない・・・
だから、昔からある古いタイプの手動式(?)の現像機を使っていたらしい・・
ところが、ネガの仕上がりが薄すぎた・・・
おかしいと言ってクレームを入れて、現像所が調べたら・・・・
現像液温が設定より低かったらしい・・・
つまり、ネガの現像は、「液温」と「現像時間」の掛け算で、変わるんだけど、液温が低いとネガ濃度が低いわけ・・・
つまりプリントすると暗い写真になる。
これは我々プロとしては致命的な事で、現像所のミスが我々撮影者にとっても信用を落とす事になる。で、僕が文句を言うと、その現像所の所長が原因を調べて、今後気をつけると約束した。
で・・・
僕は失敗は誰にでも有るけど、それを活かしてやり直すチャンスは与えるべきだと思っているわけ・・・
だから、その後もその現像所に出しつづけたわけ・・・で、この話を当時ニフティサーブのメンバーのプロカメラマンに言うと・・・
かれは「そんなところに出すほうが悪い」と言うわけ・・・
しかも「二度と出さない」と言う・・・・俗に「君子危うきに近づかず・・」だろうなぁ・・・
にゃるほど、プロたるもの・・・
と、思うよね?だけど・・・
ちょっと待てぇ・・・と、思わない?
まず「失敗するか否か?」は、失敗するまで判らない筈・・・
可能性が高いか低いかと言う問題と「失敗した」と言う事実は必ずしも一致しないはずじゃない?
早い話が見ていて「危なっかしい・・」と「危ない」とは違うはずよ。確かに、失敗されるとカメラマンとしては困るわけ・・・
プロラボと言えど「失敗しても現像料の10倍までの保証」と謳っていたりするんだけど、たとえば海外ロケや大金が掛かった撮影でも、現像を失敗されたら終わりな訳よ、イャホンマ・・・
だから、その可能性のあるところには出さないと言うのも、解からなくも無い。だけど・・・
世の中に「絶対」はありえない・・
どれだけ気をつけていても、人為的ミスはゼロには出来ないわけよ・・・
失敗して初めて言えることなんよ。で、「失敗されたから、2度と出さない」と言う考え方も解からないわけではない。
でも、これもおかしくないかい??
今度は確率の問題も出てくると思うよ・・・
1度失敗したところは2度失敗するのか?
あるいは、「2度と失敗しないのか?」だよね・・・
失敗を活かせれば、「同じ過ち」は犯さない・・でも、まだ失敗をしていないところは?
その失敗を犯す確率は高いはずじゃない?
僕はそう考えるわけ・・・ヒトは成功より失敗から多くを学ぶはず・・・
前に話に出た「×2の助産婦」に僕は「バツは活かせば勲章」「それを二つも胸に付けているんだから、もっと胸を張って前に進め・・・」と励ました事があるわけ・・
そう、失敗は汚点じゃない・・・
経験は財産なんよ・・・
彼女は結局その経験を活かせなかったけど、世の中自分の心がけ次第だと思うわけ・・・だからこそ、サッカーの話もそうだけど「積み重ね」のチャンスを与えるべきだと思う、世の中は・・・
コメント
- 【経験は財産なり・・・】
- 2006年07月01日07:36
随分以前から感じている事だけど・・・
僕は写真を専門としていながら、授業として習った事も、師匠に付いた事も無いわけ。
全ては独学なんだけど、それでも十分自信はある。 で、昔スタジオのアルバイトの募集をすると、時給が安い割に大勢の応募者が合った。
で、面接の時にいろいろ聞くと・・・・
どこも「経験」の無いモノは雇ってくれないと言う。
おかしな話だよね??
ニンゲン誰だって、生まれた時から技術を身に付けている者なんて一人も居ないやん??僕らが若い頃には、「見習」「中習者」募集なんてな張り紙がどこにでもあった。
ところが今は「経験者」しか雇わないと言う・・・
だから、みんな専門学校や大学で、少しでも勉強しょうとするんだろうけど、それもおかしいわけ・・・
で、そう言うところに行くヒトは、学校で技術が身に付き、社会に出たらすぐにそれが役立つものだと思っているし、また学校はその弱みに付け込んで、あたかもここを出れば「就職率」が高いとパンフレットに謳っている。技術なんて、昔から「習うより慣れろ」と言われているやん?
理屈で理解できても、手が動かなければ意味が無い。
経験を積んでこそ「身に付く」モノなのに、今の世の中、その「経験を積ませる」ところが無い・・・
この話をすると「今の世の中、余裕が無い」と言ったヒトがいるわけ・・・
昔は「ヒトを育てる」余裕があった・・
だから素人でも飛び込めたのに、今は経験者しか雇わない。
つまり会社としては、「仕事を抱えている」訳だよね?
言い換えれば、それをこなせば金になるから、それさえしてくれれば、それ以外のことで従業員と関わりを持ちたくないと言うのが本音で、従業員も金さえもらえれば、それ以外のことで会社との関わりを持ちたくない。全て間に「かね」と言うモノを介して成り立っている関係やん?
だから、会社は自分が生き残るためにリストラをし、社員はちょっとでも高い給料を目指し、転職をする。お互いがそんな関係だから、「お茶くみ」なんて「無駄」だと両方が思う。
だけど、ヒトってまず「お茶くみ」や「掃除」からスタートすべきだと思うわけ。
実は僕も若い頃は「無駄」だと思っていた。
高校を卒業した時、ある知人から、ホテルのレストランの仕事を紹介された。
行きたくなかったけど、とりあえず面接に行くと・・・・
マネージャーが「まずホールでウェイターを数年・・・」「それから厨房に入り・・」いゃ「厨房で皿洗いを数年・・・」「それからコック見習・・」と言われたけど、何でそんな無駄な事をしないといけないの?と僕は思ったわけ・・・
人並み以上の学習能力があり、積極的に吸収する性格だから、そんな無駄な事に時間を使いたくないと思ったわけ。で、当然行かなかったけど・・・
だけど、歳をとってきて、自分がヒトに教える立場になると・・・
その意味が解かるわけ僕も高校時代に皿洗いの経験があるんだけど、残り物を見れば客の反応が解かる。
まして、ウェイターは直接客と接しているわけやん?
顔が見えているわけ・・・
どんな顔して食べるのか?まずは、客の反応を知ることから始まるわけよ・・
それ以前に、まず教えてもらうヒトに対して「敬意」を払わないと、誰も教えてくれない。
だって学校みたいに授業料を払っていないわけだから、「教えてもらう権利」なんて無いわけよ・・・
自分から「教えてください」「学ばせてください」という態度が無いモノには誰も進んで何も教えないやん?こんな事、誰でも理解できる事じゃないかなぁ・・・
だからまずは「雑用」なんよ。
雑用もこなせ無いモノに、技術なんて身に付かない。「やりたいこと意外は無駄な事」なんじゃなく、それらも含めて「シゴト」なの
職人の世界って、「かね」を介しての関係じゃなく「ヒト」を介しての関係じゃないかなぁ・・
まず「ヒト」を見る・・
お茶くみも出来ないものは、技術を教えてもすぐ金のために他に行く・・・
そう言う「考え方」が職人の世界と合わないわけよ。「徒弟制度」って今では死語になっていて、若いヒトに言っても知らない。
もちろん僕自身も若い頃は「そんなもの、時代遅れ」と思って見向きもしなかった。だけど、立場が変わり、自分が「ヒトを育てる」立場にたつと、これほど優れたものはない事に気が付く・・・・
くまさん
コメント
- さくら2006年07月01日 08:24
- おはようございます
そうですね、今はとにかく利益主義、企業も即戦力になる人を使う傾向がありますね さくらは学校に行ったわけですがそこで学んだことはあまり役に立っていません、むしろやたらに知識を詰め込んでいくよりは若い頃から職場に飛び込んでいって若い何でも吸収する頭で学んだほうがよかったと後悔する事があります
ぁ でも違った意味で学生生活は有意義でしたが上司の後をついて上司のやり方をよく見て自分で考えて自分流を作り出すことはとても大切に思います、残念ながらさくらの会社も人員削減により若いうちから一人で何でもやらなくてはになり新たな物を作り出す意欲のない人間が増えてきているように感じられます。
昔のやり方がすべて正しいとは感じませんが・・・
本当はお茶くみをして会話をしそこからまた新しい絆を作ることは大切だと思います。でも正直お茶を飲みにくる人がひまつぶしであったりするとちょっと目が怒りますwもっともっと本当はゆとりを持ってお仕事をしたい
ゆとりがあるからこそ美味しいお茶が入れられるんです
ってさくらが人間が出来てないせいですね ごめんなさい
- 退会したユーザー2006年07月01日 10:09
- はじめまして♪
四捨五入コミュからお邪魔しました
足跡ぺたっ(*´∇`)ノ ヨロシクネ~♪
- くまさん2006年07月01日 11:54
- そう、ヒトとしての基本だと思うよ。
お茶くみは一つの例えであり、相手はその姿からそのヒトを見ているわけ・・・
すると見えてくるんよ、そのヒトが将来どうするかが・・・ さくらさんは何の学校に行ったの?
医療関係が憧れだと言っていたけど・・・くまさん
- 鈴木三日2006年07月01日 12:28
- 経験者しか雇わない風潮は労働移動が盛んになったからで、会社が自前で社員を育成しても、ずっと会社にいてくれるわけではないから熱が入らない。それより即戦力をと考えるわけですね。
終身雇用の良さを見直す必要がありますね。
- さくら2006年07月01日 13:35
- くまさんへ
さくらは福祉の学校に行ってましたよ^^
医療関係は数学が苦手で行けませんでした(滝汗 生物はむっちゃ得意だったんだけどなぁw あたしね自分の会社でおもうんだよね、いくら仕事のできる優秀な人ばかりいても玄関にゴミが落ちていても拾わないとか花瓶の花が枯れていても知らん顔とか・・・
確かに仕事以外の部分ではあるけれどもそこが一番大切なんじゃないって?
お客様が会社に入ってほっとできる、仕事をする人がほっとできる環境を作れるのも一つの仕事
でもそういう部分はあまり評価はされない
(ま そんなこと(評価)を考えてやってるのも何なんだけどね)
終身雇用にしろ何にしろ要は一人ひとりの心の持ち方、仕事への姿勢なんだと思うんだよね
肩書きがどうとかそんなことを気にしているうちはいいお仕事は出来ないような気がします。
肩書きがなんぼっていうけどその肩書きだって一部の人の判断なんだけどねぃ やっぱそれだけ高給取りになるし目標としちゃうのかなぁ。。。
- くまさん2006年07月01日 15:24
- 珈琲時計さん
もう退職して悠々自適でいいですね・・・
ぼくなんか、終身雇用どころか、生涯現役ですわ・・
でも、やはり「シゴト」って、お金目的じゃなく「やりがい」だと思うんだけど・・・
むしろやりがいのある仕事に就けることの喜びなのかなぁ・・
歯車のひとつとして仕事をして、いつでも部品の一つとして棄てられる職場じゃ、やりがいなんて無理なんでしょうね? くまさん
- くまさん2006年07月01日 15:28
- さくらさん
福祉ですか・・・
あれも一時随分資格修得がブームになったね・・・ 肩書きを自慢しても、結局自分自身がリストラされて、「タダのヒト」になったとき、ホントの自分の姿を思い知らされて、立ち直れないヒトって多いと思うよ・・・くまさん
- さくら2006年07月01日 16:36
- くまさんへ
さくらが学校卒業して少し経ったら資格ブームになりましたね
今も福祉医療関係は引く手あまたらしいです。
まだまだ昔の肩書きを利用しようとする人がいる限り結構ちやほやされるみたいですよ、そしてそれに頭の上がらない人もいる限りたった一人のわがままのためにお茶を飲みにくる方もいるのは田舎の悪習ですかね^^;
リストラなら別としてなんですが・・・ 生涯現役素晴らしいと思います^^ 柔軟な発想でいれるとしたらそれはもう最高ですね。日々変わっている日常を見つめて自分のアレンジを加え仕事する そういうことできるといいなぁ
私は私のペースでゆっくり何か足跡を残したいな
- SORO2006年07月04日 07:46
- 仕事場って、入社初期でお茶汲みや掃除がきちんと出来ない人は将来もきちんとした仕事が出来ないから、良い教育になると思います。その点同感しますね。
- くまさん2006年07月04日 08:12
- そうでしょうね・・・
大事なのは「こころがけ」ですね
- 【客観視】
- 2006年08月20日15:41
これって、とても大事なことだけど・・・
3次元レベルの人にはわかんねぇだろうなぁ・・・・
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以前に、恩師のはなしで「作品に作者の思い入れを詰め込んでも、見るヒトにはそれは伝わらない」と書いたと思う。でも・・・
作品って「自己表現」やん?
「表現する」って、誰かへ「伝える」事とどう違うの?
と、随分難しい話になるんだけど、つまり、自己表現とは本来他人に伝えるというより、「自分で自分を確認する行為」だと思ってみたりして・・・よく、僕は自問自答をする。
それの応えが作品となるんだけど、それは第三者にちゃんと伝わるものではないと思っているわけよ。
じゃ、第三者には自分の作品がどう映っているのか??先日の客観的な自分が、幽体離脱のごとく、空中に浮遊し、自分の言動を見ていると言うのは、まさにそれと同じで、「第三者の目」で自分を見てみることなんよ。
でも、自分自身を客観視するって、どうするの??答は簡単「意識を外に置く」ということ。
作品、特に僕の場合、写真の中でも「モノクロプリント」を自分で焼いていたやん。
写真って、撮っているときに「いい!!」と思ってシャッターを夢中で切っても、それが写真としてみたときに「写っていない」ことが多々、いゃ大半かなぁ・・・
つまりコンタクトと呼ばれる、フイルムの「ベタ焼き」を覗きながら、伸ばす写真を探すわけ・・・
で、とりあえずいくつかに丸をつけて、焼いてみる。
ただ、焼くといっても、写真って「撮った瞬間」と、「写真として創る」楽しみがあり、プリント作業はその創る楽しみの部分。
創っている間は「主観」なんよ、自分自身の・・・
あぁやって、こうやって・・・といろいろと手を入れる。
たげと゛・・・・
今度はそれを「鑑賞者の目」で選びなおす。それが「作者の思い入れは、鑑賞者に伝わらない」ことの裏返しなの。
自分の主観は伝わらないけど、自分が他人の作品を見たときに、何に心を奪われるか?
を、自分が客観的に自分の作品を見たときに、それが判る。「投げる」という言葉があるやん?
ボールを投げるとか、あるいは物事を投げ出すとか・・・僕はこの「投げる」という行為と言うか、意識と言うか、これが自分の作品を客観視する秘訣だと思っているわけ・・・
「投げる」とは自分の「手を離れる」ことやん?つまり、「自分の意識の外に置く」ということと同じなんよ・・
と、言っても自分の作品を他人の作品として見てみるって、そう簡単ではないと思う。つまり「主観を排する」わけやん??僕はこれをする為に、例えば丁寧に1枚1枚焼いたプリントを、一度床にばら撒くと思ってもらえばいい・・・・早い話が「床に投げる」
そして、そのまま放置し、時間の問題じゃなく、ぜんぜん違うことを考えてみたり、その場を離れたりして、その作品のことを一度完全に忘れてしまう。
で、それから何気なくばら撒いたものを見てみる。
この時点で、完全に意識を作品の外に置くことが出来るわけ・・・
その気持ちのまま・・・作品を見てみる。
それが第三者の視点だと思うわけ・・・
他人が創った作品を見ている感覚なんよ、その時は・・・
その中で「いい!!」と思ったものが、第三者の目で見てもいいものだと思う。
勿論、百人百様の見方考え方があるけど、「鑑賞者の一人の目」にはなりえる。
作者の思いを詰め込まなくても、いいものはいい・・・・自分を客観視するのも、同じ理屈で出来る。
くまさん
コメント
- SORO2006年08月21日 06:04
- 自分を客観視する事は難しいことでもあり、言い訳の出来ない冷酷なものとも言える。自分の仕事・暮らし・生活etc・どれも客観視する事は難しい。
でも、くまさんは、それをやっている。
大変な作業だと思います。
- くまさん2006年08月21日 16:59
- 何なんだろうね・・・
僕には物事の反対側とか裏側とか言うものが、簡単に解かったりするわけ・・・
例えば僕の考え方は特殊だと思うけどもだけどちょうど僕の反対側の考え方の人も居るはず・・・
そう考えてみると、その人はこんな考えじゃないのかな??
とか、人の話の「裏」を考えたら、言っている事の裏が見えたりする。そんな感じで、相対するものの考え方が簡単に浮かぶわけ・・・
それが自分を客観視することに繋がる。だけど・・・
多くの人は、自分の考えを人に説明することも出来ないし、ましてはその「逆」を考えてみて??と言っても、まったく逆の立場の考え方なんて、想像も出来ないという人がどうも世の中には多いね・・・
アメリカが、イラクに正義や自由を振りかざしても、それは「アメリカにとって」の話であって、イラクにはまた逆の自由も有れば、正義感もある。
こんな解かりきった話が、何で判らないのか?不思議でならなかったり、どこかの総理が靖国に拘るけど、立場の逆の人にとっては・・・
てなことは、なんで思いつかないのかなぁ・・・と思ってみたり。
- SORO2006年08月22日 10:53
- イラクも靖国もまったくその通りだと思います。