- 【少しでも誤解を少なくするには・・・】
- 2006年05月25日21:19
綾にも何度も話しているように、「文章」というか「単語」の一つ一つに対するイメージって、「万人共通」じゃない・・・・
それと・・・・
こういう文章からコメントがあり、またそれに返す・・・
そのやり取りの中に、実にためになる話があったりする。
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僕は日記を書くつもりは無い。
だけど、僕の考え方は「受け取り方」によっては、大いにプラスになると思います。ネット上でのコミュニケーションの限界を、いゃと言うほど味わった。
それは「常識」と「思い込み」とか、多くの場合、書き手の問題以上に「受け取り手」に問題がある場合が多いと思います。で、じゃ・・・書き手側に何の問題も無いのか?
あるいは、誤解されることは「防ぎ様が無い」のか??僕はいくつものトラブルを経験した中で、色々と考えることがあった。
僕は「学習機能」が人一倍働くようである。
で、誤解を招く要因を色々考えた。
まず「ことばに思い入れを込める」ヒトが居る。
なんかもったいぶって、「ひとつの単語」に、思いっきり意味深の言い回しをしたり、あるいは「詩」と言うか・・・
訳の解からない「単語の羅列」に、自分の思いを込めるヒトに居る。
本人にとっては、それは芸術活動であったり、あるいは一つの団子、違う!! 一つの単語に込めた思いが「相手に通じると」思い込んでいたりする。もっと言うと「専門用語の羅列」だったり、「難しい単語」を使うことであたかも自分の価値を上げようとするヒトも居たりする。
でも、そんなヒトに限って、実は本人もその単語の意味が解かって居なかったりする。前にも言ったように「単語」とは、共通のイメージを持っているとは言いがたいのだけど、でもその中でも「簡単なことば」だと、割と似たようなイメージを抱けるのではないのかなぁ・・・と思ったりする。
もう一つ、さっきの「常識」なんだけど、例えば自分の考えをヒトに伝える時、ひょっとして「そんなの常識やん!!」と思ったことは無いだろうか?
言い換えれば「そんな事、いちいち言わなくても・・」とか「説明の必要は無い」と勝手に思っていませんか??つまり「説明不足」が原因で、結果として「誤解」が生じることは、多々、いゃ多々々々・・・有りませんか??
そして、他に「抽象的」な言い方をしていませんか?
つまり、曖昧であり、受け取り手のイメージが極端に変わるようなことばを使っていませんか??僕は出来るだけ「具体的」な、あるいは「具体的に」文章を書きます。
言い換えれば「説明的」である必要があると思っています。例えば、自分の経験を交えたり、あるいは「具体例」をあげたり・・・
そうすることで読み手も「共感」を抱けたりします。僕が心がけていることは、「やさしい言葉」を使い「具体的」に、そして「説明的」に文章を書くことを心がけています。
だから僕の文章を見れば解かるように「長い文章」になってしまいます。
それも「しつこいくらい」「説明的」に書いて、ちょうどいい・・・と言うか、ひょっとしたら「それでも足らない」のかも知れない。そして、もう一つ心がけているのが「話すように書く」と言うこと。
もったいぶって書くのではなく、「友達と話す」感覚で、そして「ホンネ」で話すことが、少なくても自分の考えを、「極力・誤解の少ないように・・・」相手に伝える秘訣ではないかなぁ・・・・と、思ってみたり、したりして・・・くまさん
コメント
- SORO2006年05月26日 04:03
- うんうん。くまさんの言う通りです。そして読んでて嫌みが無い。これは文章を練ってきたかなりの経験者であるし、心が柔軟で豊かである証拠でもある。だから、くまさんの文章は面白い。次回も楽しみに待っています。
- コメント
- lanimama2006年05月26日 16:20
- 賛成です。
勝手にお邪魔してしまいました。
すみません。
共感したので「一言」
- くまさん2006年05月26日 20:50
- きーぼーさん、こんばんわ
なんなんだろうね・・・SOROさんも、どこかで僕の文章を見たらしく、いきなり押しかけてきたし・・・・
でもそれも円、もとい、それも縁・・・ただ、ヒトにはいろんな面があり、一つの面だけでそのヒトのイメージを創り上げると、後で失望します。
実は、出会い系で、メールのやり取りを始めるでしょう・・・
すると、相手のメールを読んで、なんか勝手にイメージを創り上げるわけ。
で、イメージは勝手に膨らんでいくんだけど・・・
実は、その創り上げたイメージって、実在の相手の姿とかけ離れていることが多々ある。
いゃ、ほとんどがそうと言うべきか・・・で、実際似合ってみると、イメージと似ても似つかなかったりして・・・
と、言うことはどう言うことかというと・・・
ヒトって、「想像を絶する」という言葉が有るけど、例えば自分の経験したことのないことなんて、想像できなかったりする。
で、実はそう言うメールのやり取りって、ことばをちゃんと理解する以前に「思い込み」が選考、またまちごた・・専攻しているわけ・・・
で、その思い込みって、何かと言うと、実は「自分の潜在意識」を反映していたりする。よく言うんだけど、メールのやり取りで、相手に抱いたイメージって、実は「鏡に映った自分の姿」だとおもったりする。
自分のこころの中を相手に反映していたりすると、おもって、みたりして・・・くまさん
- lanimama2006年05月26日 21:12
- 感性が似ているから
共感できるって事じゃない?
自分でも解っていないんじゃない?って
文章書いている人見かけると
「力抜いたら?」って思うし。
ただ、それだけ。
私には難しい理屈は無し。
- lanimama2006年05月26日 21:40
- 追記
「おしかけて来た」って
迷惑でしたか?
- くまさん2006年05月26日 22:27
- えろうすんまへん・・
迷惑なんてとんでもない・・
「押しかけ」ってことばをどう受け取るか?だと思いますよ・・・
例えば「押しかけ女房」と言う言葉があるでしょう?
それをどう受け取るかでしょう・・・と、それと「押しかけ」と言うのはSOROさんですよ・・
だけど、それをホントに僕が嫌がっていたら、決してそう言う言い方はしませんよ・・
解かるかなぁ・・たとえば「スカンタコ」という、今では死語でしょうが・・・
ホントに「好かん」ヒトに言いますか??と、なんかヘンなことになってきたけど、これって正に「受け取り方で180度意味が変わる」と言う実例でしょう??
くまさん
- SORO2006年05月27日 04:09
- キーボーさん、僕が種を蒔いた形跡があるので、巻き込んでしまったらごめんなさい。議論には絶対的な正義という物はなく思考もその日の気分で変化します。僕と「キーボー」さんは、くまさんから嫌われているのでは無く、くまさんの人生論を愉快に拝聴している訳です。
「キーボー」さんにも人生論があり、僕にも有る。
その違いを楽しんでいるのです。だから、くまさんは、「キーボー」さんが好きなのです。もちろん僕もね。
ゆったり、やっていきましょう。
- くまさん2006年05月27日 08:18
- SOROさんへ
なんというか・・
不思議なんよね、どこから表われたの?と最初思ってしまった。
だって、ヒトの書いた文を読んで、友達になってくださいと言うんだから・・・
で、プロフを見てみると「アプロ11号」さんと友達だったりするし・・・
へぇ・・・そう言うつながりなんだぁ・・・と思った。で、先日もう一度 SOROさんのプロフを見ると55歳と書いてある。
するっていと、僕より年上なんやぁ・・・・確かに世の中、「年上」であることや「肩書き」とか「役職」とかを嵩にきて威張っているヒトが多い。
そう言うヒトほど、ものの考え方が固まっていたりする。
よく聞く話だけど「四十を過ぎると変わりようが無い・・」と言うヒトが居る。
多分世の中の大半のヒトは、そうなんだろうと思う。だけど、僕は好きな言葉としてあげた「四十・五十はハナタレ小僧」という言葉がある。
これはどうも、日本画家の奥村土牛の言葉じゃないかと思うんだけど・・・・・
確か百歳くらいまで現役で絵を描いていたと思う。人生って、世の中に出てからが1年生じゃないかなと思ったりする。
すると、二十歳なんて、まだオシメをはめているわけよ・・・・
四十でやっと成人式と言う計算だけど、でもホントはニンゲンが、人生から色々学び始めるの四十を過ぎてからだと思う。
だからハナタレ坊主だし、リンカーンの「オトコは四十を過ぎると、顔に責任がある」と言う言葉もまさにそれなんだと思う。
女性だって、もって生まれた美貌はいずれ衰える・・・
「歳よりも若く見られます」と言うヒトに限って、若かった為しがないんだけど、四十を過ぎて若さを誇ったところで、ホントに若いものにはかてやせん・・・
それより、人生でなにを学んだか?がその歳から顔に出てくる。だから、自分の顔は、自分の責任であると言っているわけですよね・・・
で、大事なのは「学び続けること」そして「変わり続けること」じゃないかなぁ・・・と思ってみたりして・・・
僕は年下のものとか、立場で言うば目下のヒトにだって、解からないモノは「解からない」と言うし、知らないことは「教えて」と聞く。
何も恥ずかしいことじゃないし、それで自分が大きくなるんだからいい事ジャン・・・・そして、年下だって、自分が学ぶに値するものを持ったものにはへりくだるし、肩書きを自慢するものにはバシッとやったりする。
いるよね・・・世の中に一流会社のエリートコースを歩み、挫折を知らなかったヒト。
役職まで上り詰めても、リストラされたらそれで終わり・・・
肩書きを外されたら、ただのヒト・・・・
その歳まで挫折を知らないと、ホント固まりきっているから変わりようが無い。だけれど、僕なんか若いときから、自分の思うように行った為しがないから、いつでも進路修正が出来るし、応用が利く。
写真の世界も実は同じで、例えばカメラマンでも、同じ写真館で長年ベテランとしてやってきたヒトでも、そこを辞めて、他の店に行くと、ただのヒトだったりする。
つまり、通用するのは「そこだけ」なんよ、現実は・・・
コマーシャル撮影でも「建築写真」「料理写真」「商品撮影」とかジャンルが分かれていて、それ専門にやってきたら、他の分野では素人と同じだったりする。
写真って、撮影だけじゃなく「暗室作業」と言う、まさに陰の仕事がある。
本来自分を主張できない仕事だけど、でも現在ではその技術を持ったものが少なくなった。専業化されればされるほど、隣の分野では素人と同じ・・・
僕は、いろんな分野を渡り歩いたし、写真の前に絵を描いていたから「復元」と言う仕事が出来た。何でも「応用」だと思う、ヒトもそれが菊か田舎・・・もとい 聞くか否か・・・
くまさん
- SORO2006年05月27日 17:58
- くまさん。論じて貰い有り難う。まさに、その通りだと思います。出来てると信じているのは、自分の専門の範囲内だけ。
でも、それを取りはずされると、手も足も出ない。ツブシが効かない。そこで謙虚になる人。開き直り傲慢になる人。人生色々です。(何処かで聞いたヨウナ)
最期まで柔軟性を持ったこころでいたいです。
- 【「ぶつかる」と言うこと・・・】
- 2006年06月02日10:52
ホントにくまさんはいいこと言うなぁ・・・
18年も前の話だよ・・・・
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「話が合う」とか「気が合う」という言葉がある。
みんなパートナーにそれを求める・・・だけど、どうなんだろう? 最初からそれってそんなにあるのかなぁ・・・
よく出会い系を見ていると、特に女性は「チャーミーグリーンの老夫婦の様に・・・」と言う。
にゃるほど・・・
歳を取っても、二人仲良く手を繋いで・・・
確かに理想だよね??だけど、どうなんだろう、生まれも育ちも違う二人がいきなり暮らし始めたとき、はたして「最初」からそれが可能なのかなぁ・・・僕は疑問を抱く。
さっきの気が合うとか、話が合うと言うのもそうだけど、ヒトにはいろんな面があるはず・・・
そして、いろんな考え方があれば、おのずと、「ある一面」や「ある考え方」では割と一致することがあっても、違う面では、やはり自分とまるで違ったりしないかなぁ・・・じゃ、そんな時どうする??
「こんなヒトだったの??」と失望する??
それとも、そう言う面は「無視」する??あるいは「ケンカ」してみる??
ぼくだったら、喧嘩することを勧めるなぁ・・・でも、好きなヒトと喧嘩をすることは誰も望まないし、できればその部分に触れずに済ましたいと思うよね、多分・・・
そこさえ「目を瞑る」ことが出来れば、仲良くやっていけると思う。でも、それって「表面的」に仲良く出来るということじゃないかなぁ・・・
離婚の原因を考えたとき、僕は一番大事なのは「相手を知っていたか?」だと思うわけ・・・
そんなもん!!一緒に暮らしているんだから、「判りきって」いると思うよね??そう、「判りきって」はいるけど「解かりきって」はいないと思う。
つまり、一緒に暮らしていながら、パートナーを誤解していなかったか?だと思うわけ・・・
それは離婚して初めて解かる事なんよ・・・
それを実感したヒトは多いと思う。一緒にいながら、相手に対して「勝手にイメージ」を創っていなかったか?
おかしいと思うかもしれないけど、「相手に確かめる」事の重要性だと思ってみたりするわけよね・・・
それこそ常識と一緒で「そんなこと一々確かめなくても判っている」と思っていない?
でも、違うんよ、ホントは・・・少なくても僕の原因はそこから始まっていたと思う。
「自分の尺度で相手を見る」誰でもそれは当たり前のこと。
ただ、それは立場を変えれば「相手も相手の尺度で、こちらを見ている」ということでしょう?で、大事なのはこの「尺度」の差なんだと思う。
その差を把握できているか否か・・・言い換えれば、相手と自分の差なんよ・・・
違うのは当たり前なんよ・・・じゃ、相手と自分の違いは?と言うと、それを確かめるには「ぶつかる」事が一番だと思う。
そう、衝突してみることだと思う。
それを「避けて」いるから、相手を「誤解」するんじゃない??
「相手に確かめる」とはまさにそれなんよ!!ぶつかれば、相手と自分の違いはすぐ「判る」。
この「判る」って言い換えれば、「知る」と言うことだと思う。もし、相手を知ったときに、とてもやっていけないと思うのなら、別れればいい・・・
でも、もしそれでも何とかこのヒトと一緒にやっていきたいと思うのなら、次は「解かる」必要が出てくると思う。
早い話が「理解」する必要があるわけ・・・よく、夫婦喧嘩で「アンタ、何考えてるの??」「理解でけへんわ・・・」という事があるやん??
まさにそれやん・・・・「知らない」とか「理解」出来ないから、相手に「不信感」を覚えるんじゃない?
「自分と違う」と言うことは、実は一緒にやっていく上で、たいした問題じゃないと思う。
なぜなら「認める」ことでそれは不信感じゃなく「安心」に変わるから・・・「違う」から旨くやれないんじゃなく、「知らない」「理解できない」事が原因じゃないの?と僕は思ってみたりする。
よく「何度も修羅場を経験した」と言う話を聞くよね?
そう、それくらいぶつかることもあって、しかもそれを何度も経験することにより、相手が「解かる」様になる。
それは片方がいくら努力して、辛抱しても駄目・・・
「互いに」そう思わないと・・・僕が離婚して最初に付き合ったのが、17歳下の当時三十路の誕生日を前にしたヒト・・・
何も若いのを狙ったわけではなく、たまたまそうなったんだけど・・・
歳も違えば、価値観も違う・・・
最初は互いの一言が、胸に刺さったりするわけ・・・
何も自分ではそんな気で言っていないのに・・・
そんなことを何度も経験したんだけど、やはり僕は彼女と別れたいと思わなかったし、何より彼女自身が、性格はオトコで、さっぱりとしていて、尾を引かないわけ・・・
それに僕は助けられた。
彼女は1週間ほどすると、何事も無かったようにメールをくれた・・・
僕は素直に謝れたし、そして次へ進めた。で、ある時思ったわけ・・・
僕と彼女は正反対の面が多々あり、僕はこんな感じで物事を深く考える。
彼女は「考えるだけ無駄」とあっけらかんとしている・・・
僕はそれを彼女の欠点だと思っていた、最初は・・・ところが、そう・・・そんな衝突が何度かあり、それでも別れたくないと思ったとき、フト彼女を「見る目」を変えてみた。
つまり視点を変えると言うか「受け取り方」を変えてみたわけ・・・
すると・・・
その彼女の「悩まない」「落ち込まない」「深く考えない」と言う三拍子揃った性格って、それは欠点なんじゃなく、実は「僕には無い」「長所」であることに気がついた。
そう・・・モノは受け取り方なんよね・・・それから、別れるまでの少しの間、僕は彼女の僕に無い長所を、少しだけど吸収できた。
だから、僕は自分が深く考えたり落ち込んだりして、胃が痛むことが多いんだけど、そうなる直前に「気持ちを切り替える」事が出来るようになった。
随分助かるよぉ・・・薬代が・・・オイオイ
そうなると、自分と相手との違いなんて当たり前だと思うようになるわけ・・・
一々それを気にしなくなるし、それで衝突しなくなるわけ、相手の違いを認めれば・・・で、別れる間際の話だけど、彼女が車の助手席に座っていた。
彼女は明るくて、いつも一人でにぎやかにしゃべって、僕を退屈させない。
そんな彼女が、その時はやけに静かだったわけ・・・
なのに僕はそれを不安に感じるんじゃなく、安心感として受け止めていた。で、その時「最近喧嘩しないね??」といった彼女が・・・
そして「仲良しだね・・・」と。そうなんよ・・・2年間だったけど、何度も何度ももう駄目か?と思うような衝突をした。
だけど、それを乗り越えたとき・・・・
そう、黙って座っていても、相手の考えていることが解かる。
言葉を交わさなくても、通じるようになったわけ、相手を認めたから・・・それがまさに「阿吽」だと思う。
だれも初めから「チャーミーグリーン」じゃないの・・・・
そんな修羅場を乗り越えたものが、相手と似てくるわけ・・・
そして、黙っていても心が火曜いゃ、今日は土曜日で・・・心が通うようになるんじゃないのかなぁ・・・と思ってみたりして・・・くまさん
コメント
- ぴかそ2006年06月02日 13:31
- 初めまして 鈴木さんとこからやって来ました
人とシッカリ向き合ったいいお付き合いされてるんですね
生まれも育ちも違う人間が沿うには、どんどん自分を表現し合って
ケンカの一つもしてぶつからなくては理解しあえませんよね
事なかれ関係になったらダメって思います
そうやってお互いの温度差を確かめながら、歩み寄っていけばいい
途中で潰れるくらいなら一生やっていけるわけ無いですものね
ふふ
チャーミーグリーンは「選ばれし者」かもしれません
- くまさん2006年06月02日 14:27
- そっそっそ・・・・
選ばれしものと言うより、努力により勝ち取ったものかも・・・くまさん
- SORO2006年06月02日 18:09
- 結婚して30年。付き合って33年間よくやってきたと思う。これは理解だろうか?いや、妥協の連続だったと思う。一つ一つ厳密に議論していたら1年間ももたなかったろう。今現在も妥協の生活だ。真剣な議論など始めたら、即離婚である。
- くまさん2006年06月03日 06:28
- SOROさん
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結婚して30年。付き合って33年間よくやってきたと思う。これは理解だろうか?いや、妥協の連続だったと思う。一つ一つ厳密に議論していたら1年間ももたなかったろう。
***************************************************
ヒトそれぞれ、尺度も違えば、考え方も違う。
妥協と一言に言うけど、その前に何度かぶつかった時に、相手の反応を見ているはず・・・
その経験から相手を「把握」出来たんじゃない。
理解までは行かなくても、全体像がつかめたから、ここをつつけば、こう返って来るということがつかめているはずだけど・・・一つ一つぶつかる必要があるんじゃなく、相手と自分の違いが把握できれば、それこそ「蛍光灯大作」じゃなかった!!「傾向と対策」じゃないの??
だから、「あえて」そこをつつかなくなつたんじゃないの??
片方だけではなく、お互いにそう思っているんじゃない?
それも「夫婦円満」じゃない??
- SORO2006年06月03日 16:11
- うまく表現すると、そういう事になりますね。
さすが「くまさん」♪
- さくら2006年06月03日 23:30
- 結婚して最初はついつい自分の考えと違うところがいらついて喧嘩しましたねぇ
だんだんそれが相手を自分の考え方と違う人と考えたことによってけんかは少なくなりましたね。ある意味お互いに相手の個を認めた部分があったんでしょうね。チャーミーグリーンの夫婦だって喧嘩はすると思いますよ
でも喧嘩してないときはきっと仲良しでらぶなんですね。
一緒に何をすることでなくてもそばにいてくれる安心感
そゆのが夫婦ですかね^^;
- サララス2006年06月04日 00:33
- こちらでもこんばんは~。
うーむ、なるほど…。そういった「阿吽」な呼吸のカップルになるには、これまた大変なわけですね。うちは15年目ですが、出会った頃よりも好きになってますね、というかもう同化してます(爆)
なので、いなくなった時の寂しさの方を心配してます。
ペットロスならぬ、オットロス…。いや私の方が先かもしれませんけどね。
- SORO2006年06月04日 05:24
- うん。スタイルや容姿は30年も過ぎるとエエカゲン嫌になりますが、たしかに同化していますね。先に逝かれたら、夫婦ロス症候群になりそうです。・・・・
- くまさん2006年06月04日 07:20
- さくらさん
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チャーミーグリーンの夫婦だって喧嘩はすると思います
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そっそっそ・・・・
そうなんですよ・・・
ヒトにはいろんな面がありますから、相手に対してその中の「いいとこ取り」は出来ません。
全ての面で「そのヒト」ですから・・・最終的には「認める」という事でしょうね・・・
サララスさん
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うちは15年目ですが、出会った頃よりも好きになってますね、というかもう同化してます(爆)
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それこそ、理想じゃないですか??
よく、結婚していながら、別な相手と恋愛がしたいなんて平気で言うヒトが居ますが、なんか間違っていますね・・・本来、相手を知れば知るほど、そのヒトのよさが解かるはずなんですが・・・
で「同化」なんですが、よく「夫婦は似てくる」って言いますよね?僕は思うのですが、どうしても譲れない「自分」の核の部分って、ホントはヒトってちょっとだと思いますよ・・・
それ以外は実はどうでも良かったりするんだけど、変に意固地になって我を通そうとして、相手とぶつかっているのではないでしょうか?
自分に合わせてもらうには、相手にも自分が合わせないといけない。
つまり「互いに」歩み寄らないと、旨く行かないと思いますよ・・・で、最初は相手に合わせるのが苦痛であったとしても、それこそ「慣れ」ですよ・・
そのうち苦痛じゃなくなるし、それが普通だと思えてくる。
で、気が付いたら、お互いに似てきたということじゃないでしょうか・・・くまさん
- 【超マニアックな「スーパーリアリティ」の世界】
- 2006年06月04日07:05
さすが「こだわりくまらいおん」・・・・
他人のやらないことに、凝ったりして!!
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ちょっと違った話をします。
僕はヒトと同じことをやらない主義でして・・・
「同じこと」と言っても、「一般的」といわれるヒトと、と言うべきなんですが・・・早い話が、ただのへそ曲がりなんですが、たとえば「写真」に関して言えば、フッーは一眼レフカメラを最初に買うヒトは、「標準レンズ」と呼ばれるものをセットにして買うと思います。
まぁ、「画角」の問題で、平たく言えば「広からず・狭からず」なんですが、僕は最初から「広い」のと「狭い」のと二つを買います。
性格が極端で、中間がないと言う感じなんですが、それが自分のこだわりの範疇になると、もっと極端だったりします。よく、「写真みたい・・・」と言って絵を誉めることがありますよね?
下手な絵が写真みたいなわけはない・・・そう、僕も挫折したけど、デッサン力がなければ、モノを忠実に描けないわけですわ・・・
エァーブラシを使って、超リアルな写真並みの絵を描くヒトが何人も居ます。じゃ、写真の世界では、「リアリティ」は一定なのか?というと・・・
違うんですよ・・・ご存知だろうと思いますが、写真には「粒子」と言うものが存在します。
これはいわば、デジカメの「画素数」を意味します。
CCDそのものの大きさは、規格がいくつかありますがある程度一定です。
つまり画素数とは、一定の大きさの中に、どれだけ細かく「描写」する能力があるか?と言うことなのですが、フイルムも同じで「35ミリ判」と「6×4.5」「6×6」「6×9」と有って、後ろの3つはブローニーフイルムと言う約幅6センチのフイルムです。たとえば「はがきサイズ」に写真を「伸ばす」場合、つまり拡大する場合、フイルムの大きさが変われば、拡大率が変わります。
写真とは「拡大率」が少ないほどシャープに見えて、綺麗です。まぁ・・はがきくらいの拡大率なら、35ミリ判でも6×9判でも、素人の目には大差は有りません。
しかし、新聞紙くらいに伸ばせば、差は素人の目にも歴然です。で、次は、こんどは「粒状性」と言って、同じサイズのフイルムでも、荒いものと細かいものが存在します。これは「フイルム感度」と関係が有り、感度が低いほど粒子は細かくなります。
早い話が「細かい部分が写る」と言うことで、デジカメで言えば300万画素と1200万画素の違いみたいなものです。で、それが写真画像の「きめ細かさ」として現れるわけで、細かいほどリアルに見えます。
で、そこまでは「リアル」と言えますが、世の中にはさらにうえがあり、こんどは同じ粒状性でも、「フイルムの面積」がもっと大きいフイルムが存在します。
俗にシートフイルムと言って「4×5」と「8×10」と呼ばれ、単位はこんどはインチを意味します。
新聞紙の大きさに伸ばしても、拡大率が低いので十分綺麗に見えます。さぁさぁ、お立会い・・
ここからが本文なんですが、フイルムには必ず「粒子」が存在します。
ただし、「一般のフイルム」に限ればの話で、実は「無粒子」と呼ばれるフイルムも存在します。
図書館で昔の新聞を見ようとすると、「マイクロフィルム」に写された画像を見ることになります。
つまりそのマイクロフイルムこそ「無粒子」と呼ばれるもので、幅は35ミリのフイルムで新聞紙の文字が読めるだけの解像度があります。しかしながらあのフイルムには「白と黒」しか写りません。
いゃ、白と黒に「しか」写らないと言う事なんですわ。
つまり僕と一緒で極端なんです、性格が・・・オイオイだから、細かい文字が読めるのですが、実はこのフイルムでも「特殊な現像処理」をすることにより、「灰色」も写せます。
つまり、普通のフイルムと同じように使えるのですが、このフイルムはモノクロフイルムですが、若干普通のモノクロフイルムと「感色性」が違います。つまり同じ色をとっても画像の濃さが違います。粒子が無く、しかも感色性が違うので、一種独特の「異様」な雰囲気があります。
そう・・ヌメッとした写真と言う感じですね・・・
それが、なんか「実物」より「実物らしく」見えたりすることもあり、「超リアリティ」のある写真となります。ただ、このマイクロフィルムそのものは、普通のカメラで使えないのですが、同じ性能のフイルムが「ミニコピー」と呼ばれて35ミリ判のカメラで撮影可能です。
しかし、いくら「無粒子」と言っても「解像度」には限界があります。
つまり、たとえば新聞紙を撮影して、細かい文字が読めても、実は字の周りはにじんでいます。
それが解像度の限界ですが、実はコダックには、このミニコピーフイルムの大判フイルムが存在します。
さっきの6×4.5~6×9フイルムも日本国内で入手できました。今はどうかは判りませんが・・・
これを使えば、新聞紙の文字くらいは朝飯前です、拡大率が下がりますから・・・
ところがところが・・・
世の中にはさらに上がありまして、そのフイルムの「4×5」「8×10」フイルムが実在します。
この世界になると襖絵くらいは無粒子なんですわ・・・
僕はアメリカからこのシートフイルムを取り寄せて、現像処理の試行錯誤に没頭していた時期があり、実際に7メートルまで伸ばしましたが、粒子は見えません。
僕はこれで、中国の「山水画」の世界を、写真で表現するのが夢です。くまさん
- 【オーバークォリティ】
- 2006年06月04日07:53
この話・・・
18年前の話で、ちょうど「アナログ放送」から「デジタル放送」に移るときの話なんだけど、「写真」の専門的な話で、白黒フィルムをフッーのフイルム現像液で現像するのと、「高先鋭度現像液」で現像するのでは、写っている画像の「切れ」が全然違ってくるんだけど、これってまさに当時の「ブラウン管テレビ」から「液晶テレビ」に変わるときと一緒で、「切れ」の違いとして現れていたということ。
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さっきはクォリティの極限の話でした。
そう・・・僕はクオリティに極端に拘る性格で、中途半端なことは好きくないんですが、実は物事は行き着くところまでいくと、必ず反対方向へ動きを変えます。僕は踊りの写真を若い頃ライフワークとして撮ってきました。
「ヒトの体が作り出すフォルムの美」がテーマなんですが、踊りの写真って素人が撮ると、「動いている途中」にシャッターを切ります。
結果として、ぶれているのですが、それを「動きがある」と思い込んでいるヒトが居ますが、実はそれは「流れて」居るだけの事です。
動きは必ず「頂点」に達すると、必ず一瞬「止まる」訳です。そして反対方向に動きを変えます。
早い話が、腕を思いっきり広げれば、いずれ限界に達しますよね、それ以上伸ばせないわけです。
すると、次には何が起きるか??
つまり、こんどは腕を閉じるしかないわけです。
そこですね、大事なのは・・
その瞬間には必ず止まるし、その瞬間を捉えれば、その前後の動きが見えてきます。それが「動き」なんですよ・・・っう、話は今回置いといて・・・
そう、クォリティの話しなんですが、僕はテレビの画面に不満がありました。もっと細かい部分を見たいと・・・それがハイビジョンになりデジタルになり、そして50インチを越えるテレビが出回るようになった。
自宅では32インチのソニーのブラウン管テレビで、ハイビジョンも見れます。ところが、最近もっと大きなテレビに興味が湧き、電気店で見るのですが・・・
50インチを超えた液晶やプラズマを見ていると、なんか疲れませんか?
それは、シャープすぎるし、明るすぎるし、鮮やか過ぎる様に僕には見えるのですが・・・
とてもじゃないけど、ずっと見て居たいと思えない。
逆に、映画の様に、プロジェクター式の方がゆっくり見てられるように思う。どうなんだろう・・・・今の大型テレビはオーバークォリティではないかと僕は思うんだけど・・・・
コメント
- 【ボロボ850】
- 2006年06月06日06:12
っ・ったくぅ・・・・
まさに物は考えようで、180度変わるよね・・・いゃホンマ
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先日から、僕はモノは受け取り様と言う話をよくする。
なんなんだろう・・・
僕にとっては、それってごく当たり前なんだけど、そうでない人が多いのかなぁ?たとえば車の話。
そうボルボについて言うと、あれが日本に入ってきた頃、「この車なんて不細工なんや!!」「あんな車に乗るヒトの気が知れんわ・・・」とマジに考えた。
僕の美意識からは大きくかけ離れた、正に弁当箱・・・・・そして、10年位前かなぁ・・・
アルバイトで少し来ていたヒトの、父親が車好きらしい・・・
で、その彼女も夜中に放送のカーレースなども見るくらい、本人も車好き。
で、うちの仕事では軽のワゴン車を使っていたけど、本人はボルボエステートの中古に乗っていると言う。
どこがええんやろ??と僕には思えた、当時。こんどは、それからまた数年が経ち、僕より年上の女性を営業担当の嘱託として雇ったら・・・
そのヒトもボルボ好き・・・・
なんか、何度も交通事故に遭って入院した経験があり、それからボルボだと言う・・・確かに丈夫なのは、コマーシャルを見ていて知ってはいるけど、それでも不細工な車としか僕には映らない訳・・・
ところが、2年前に乗っていた車がディーゼルのワゴン車だったんだけど、どうも大阪では次の車検が通らないと言う。
で、乗換えを考えた時、今度はワゴン車じゃなく、荷物の詰める乗用車くらいにしようと考えた。
もちろん金が無いから中古車を買うんだけど、「復元」のシゴトって、結構コストが掛かるから、一般大衆のヒトを相手にしたシゴトじゃなく、どうしても金に余裕のある人か、あるいは社寺などの宗教団体がターゲットになる。すると、僕はブランド品が大嫌いで、その価値も、いゃその必要性も無いのに、やたらとブランド品を買いたがる「その他大勢」の日本人が大嫌いなんよ・・・
つまり、自分自身に誇れるものが無いくせに、やたらと「金で買える」モノを自慢するヤツが居るけど、そんなのサイテーと思う。
だから、あえて「コストパフオーマンス」に拘るんだけど、それでも歳をとってくると、と言うか、必要に迫られるとと言うか・・
つまり、僕本人はそう言うブランド志向が無いけど、相手がそう言う持ち物で相手の価値を見るので有れば、あえて逆らうより、むしろそれを逆手にとろうと考えたわけ・・・だって、相手はそう言う世界に生きてきたニンゲンだとしたら、こっちは「ボロは着てても、こころは錦」であっても、それを見抜けないわけやん・・・
どんなにいい仕事をしようが、それ以前に仕事を「貰う」事のほうが大変なんよ・・・
そう、貰うためには、相手に逆らうより、逆手に取ることもやむなしと思えるようになった。で、どうせ買うなら「外車」で、ソレナリに「知名度」があり、かと言って、「成金趣味」と言うほどでもない車・・・・
と、思って、いろいろネットの中古車を探すと、ベンツ・BMW・ボルボ・・・・とかになるわけ・・・ベンツはなぁ・・高いしなぁ・・・成金趣味でも有るしなぁ・・・・
BMWもあまり乗りたいデザインでもないし・・・・と、見ていると、今度は「ボルボ」が気になりだしたわけ・・
昔は「間違ってもボルボなんか・・・」と思っていたはずなのに、その間違いを犯しそうに思えてきた。なんなんだろうね・・・・
僕って、見ての通り、四角四面の「角のある性格」やん、イャホンマ歳をとると丸くなるって言うけど、そう言うのが嫌いなんよ・・・
こだわりは捨てたくない。そんなことを考えていると、今まで嫌いだった弁当箱が、何故か一番「自分らしい車」に思えてきた。
そうだ、そうなんだぁ・・・ボルボって僕にぴったし・・・・
と、コロっと考えが変わってしまうわけ、僕ちんは・・・
で、特に850は僕が見ていても一番「ボルボらしい」と思えた、角が有って、それでも綺麗に見えてくるから不思議やねぇ・・・・ホンマ、痘痕もエクボやでぇ・・・
で、「ボルボ850のエステートのターボつき」に絞っていろいろ探したわけ・・・
当時はオークションなんかでも車がよく売れていた。
特にボルボ850のターボは結構いい値段なんよ・・・・
デイラーに聞くと、ターボなしで10万キロ以上走ったものでも100万円をくだらない。
僕はコストパフォーマンスに拘るから、どうせなら安いのを探したわけ・・・・
すると、滋賀県の中古屋で一台、相場をはるかに下回ったエステートターボを見つけた。
なんと39万だったかなぁ・・・・実は僕は大阪なんだけど、Yahooのオークションに出された別の安いボルボをわざわざ高速を使って埼玉まで見に行ったことがある。
ひどかったその車の程度が・・・・
そんな経験があったから、とにかく確認してから・・・と思ったわけ、夜にネットを見ていて。
すると、僕は「すぐやる課」なんよね・・・
そのまま滋賀県のその中古車屋まで夜中に走った。
夜、ライトの下でその車を見る限り、「悪くは無い・・・」わけ。で、夜が明けて結局買うことになったんだけど、実は何故安いかというと「左ハンドル」なんよ。
僕は外車に乗っているニンゲンが元々嫌いで、なおかつ「左ハンドル」なんて、日本に合わないわけよ、不便で・・・ずっとそう考えていたものが、「値段」に釣られて、ちょっと考えたわけ・・・
もし、運転席が左側だったら・・・・とその時頭に中でシュミレートしてみると・・・そう・・・モノは考え様なんよ、いくらでも変わってしまう、イャホンマ
運転できないことも無いなぁ・・・と思えてきた。結局安さに負けたわけ・・・
で、多少のトラブルは有ったけど、コストパフオーマンスは確かに高かった。
実は同時にワーゲンの「ポロ」も別のルートで買った。
複数の人間が乗るために・・・で、去年の暮れにまた霊によって、いゃ例によって、うちの金回りが悪くなった。
そう、慢性化してるんだけど、その時は最悪だった。で、やむなく、軽自動車一台置いて、ポロもボルボもオークションに出した。
ところがなかなか売れない2台とも・・・
ボルボは人気が有るはずだし、高く売れると見ていたのに、結局ボルボのほうが売れ残った。で、考えたわけ・・・
結構不思議経験をしている僕としては、「あぁ、自分の意思に反して、売れないと言うことは、つまりこの車に乗れ!!」と言われているんだと考えたわけ・・・・
確かに運転していて、座席のつくりがすばらしく、長時間乗っていても疲れないわけ・・・
で、売るのを諦めて、ちょっと手を入れて今でも乗っているんだけど、なんと言うかなぁ・・
運転していて、わくわく感と言うか、安心感と言うか・・・
運転がぜんぜん苦にならないわけ、そのボロボ・・ほんと、気は持ち様だと思うよ・・・・
くまさん